部長と私の秘め事
「母親から、来年の一月下旬には相手の女性と正式に顔合わせをしろと言われてる。そうなる前に断りたいんだ。来月上旬には片を付けたい。縁談を回避できたら、お礼に何でもご馳走するしプレゼントする」

「そんなのいいですよ。ご褒美目当てにやる訳じゃないんですから」

「じゃあ、俺の相手役をしてくれるのか?」

「あっ」

 うっかり恋人役(仮)を受け入れた言い方をしてしまい、私は冷や汗を掻く。

 そのとき前菜が運ばれ、私はわざとらしく咳払いをしてナイフとフォークを手にする。

「……おいし」

 シュリンプカクテルに、マグロのミ・キュイ、小さなタルトにチーズとキャビアが載ったおつまみ。

 それらを食べつつ、私は溜め息をついて言った。

「どんな形であれ助けてもらったので、尊さんが困っているなら手を貸しますよ。ただ、言いにくいんですが、一癖ありそうなお母様に目を付けられて、面倒が起こらないように配慮してほしいです」

「任せとけ」

 尊さんは静かに笑い、シャンパンを一口飲む。

 私は前菜を大人しく食べながら、隣にいる良く言えばミステリアス、悪く言えば正体不明で信頼できない男の事を考える。

 彼が普通の人でないのは確かだ。

 三十二歳なのに部長で、顔がいい上に女性の扱いに慣れていて、セックスだってうまい。

〝普通〟なら、すでに結婚して子供がいてもおかしくない。

(どうして独身なんだろう)

 その理由を知るには、彼に関わらないとならない。

 前菜を食べ終えてシャンパンを飲んでいると、食器が下げられて百合根のポタージュが出された。

 食べながら考えていたけれど、一人で思い悩んでも何も解決しないから聞いてみる事にした。

「……尊さんって何なんですか? ただの〝部長〟じゃないでしょう?」

 彼は私を見てうっすら笑った。

 その皮肉げな表情もまた、色気があって憎たらしいぐらい格好いい。

「俺と付き合える?」

 何度も繰り返されたその質問の裏には、「付き合う覚悟がなければ自分の事は教えない」という意味が込められている。

 同時に、「逃げるならここで逃がす」と言われている気がした。

 尊さんの手をとれば、いい意味でも悪い意味でも、尋常ではない世界が私を待っている。

 ――進むか、戻るか。

 危険がありながらも魅力たっぷりの尊さんの手をとるか、凡庸な生活に戻り二度と彼と関わらないか。

 そう。この誘いを断ったら、尊さんは二度と私を誘わないだろうと直感で分かった。

 職場で顔を会わせても個人的に話しかけず、メッセージを送っても無視するか、ブロックされる。

 ――嫌だ。

 そう思った瞬間、ポコッ……、と心の底から、あぶくのような想いがこみ上げた。

 私はようやく自分の想いを自覚する。

 彼が魅力的なのは分かっていた。

 意地悪な言い方をしながら実は優しいところも、大人びて達観しているようで、昭人には大人げなくやり返すところも、仕事ができるところも、さり気なく職場の皆を気遣っているところも、低い声も、眼差しも、鍛え上げた体も、エッチしている時の少しかすれた声も、――――何もかも好きだ。

 気がついたら尊さんのすべてに惹かれている。

 ――この人を手放したくない。

 ――もっと尊さんを知りたい。

 ――どんな関係になってもいい。この人となら、炎の中に身を投じるような恋をしてもいい。

 ――やってやろうじゃない。

 ――恋は、戦いだ。

 私は目に強い力を宿し、尊さんを睨み付ける。

「……ホント、悪い男ですね」

「付き合える?」と尋ねられたのに対し、私は「はい」と言っていない。

 でも彼はその一言で、私の気持ちを理解したようだった。

「多少の毒がなきゃ、薬にもならねぇよ」

「……減らず口ばっかり」

 私は途中だったポタージュを口にし、チラッと尊さんを見て言う。

「面倒は嫌ですから、会社の人には内緒ですよ」

「了解」

 彼は軽やかに返事をしたあと、シャンパンの残りをクーッと飲んでから爆弾発言をした。

「俺、社長の息子なんだ」

「ぶふんっ」

 私はポタージュを噴き出しかけ、涙目になった。

 ……鼻、痛った!

 目をまん丸にして尊さんを見ると、彼は「悪戯成功!」みたいな顔でニヤニヤしている。

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