部長と私の秘め事
 ……どうしよう。

 私は頭の中を真っ白にして固まったあと、慌てて【来なくて大丈夫ですって!】とメッセージを打つ。

 けれどそれに既読がつく事はなく、私たちは駅長室に向かったのだった。

 神くんが撮った写真には、親指の付け根にほくろがあるおじさんの手が写っていて、バッチリ私の股間
を触っているのが写っていた。

 おじさんは「偶然当たっただけ」と言い張っていたけれど、私は何回もグリグリされて不快だった事を訴え、神くんもおじさんが執拗に何回も触っていた事を証言する。

 その間、息を乱した尊さんが駆けつけた。

「えっ? 部長、なんで……」

 神くんが呆気にとられている間、尊さんはおじさんを睨み、唇を引き結ぶ。

 そしてガチガチに身を強張らせている私を――、抱き締めてきた。

「み……っ、尊さん……っ?」

 神くんもいるのに!

 必死に彼を制そうとしたけれど、私こそ動揺して彼を「尊さん」と言ってしまった。

 神くんが見ている前だから……と必死に尊さんの胸板を押し返すけれど、彼は私を抱き締めて離さない。

 やがて、絞り出すように言った。

「……すまん。……怖かっただろ。……すまなかった」

 その悔恨に満ちた声を聞くと、もう何も言えなかった。

 私は抵抗するのをやめると彼の背中に腕を回し、ポロッと涙を流してしまう。

 周囲はしばし抱き合う私たちを見守っていたけれど、そのうち警官が声を掛けてきた。

「えーと、あなたは……、恋人ですか?」

 尋ねられ、尊さんは体を離して答える。

「婚約者です。会社の上司でもあります」

 そのあと、私たちは近くにある警察署に向かう事となった。

 着いたのは徒歩数分の警察署で、私は女性警官に話を聞かれ、痴漢された時の事をなるべく冷静に伝えた。

 別室では神くんも目撃した様子を説明し、おじさんも事情を聞かれているんだろう。

(あーあ。あと一週間で北海道なのに、なんでこうなったかな)

 私は心身共に疲弊し、しょぼしょぼになりながら話し続ける。

 途中で女性警官と体勢を再現する事もあり、相手が女性であっても体験がダブって本当に気が滅入る。

 結局、解放されたのはお昼前で、疲れ切った私と神くん、尊さんは警察署の外に出て大きな溜め息をついた。

 痴漢に遭った場合、警察官じゃない一般人でも〝逮捕〟はできるらしい。

 現行で罪を犯した人を〝現行犯人〟と言い、そういう人は逮捕状がなくても誰であっても逮捕する事ができる、と決まりがあるみたいだ。

 けれど一般人が逮捕した場合、すぐに駅員や警察に引き渡さないといけない決まりもある。

 これからおじさんは四十八時間以内に検察庁に送られ、その後二十四時間以内に勾留か起訴、釈放いずれかとなる。

「示談って言われても、金を受け取る必要はねぇ。社会的に抹殺する」

 尊さんは吐き捨てるように言い、私はしょんぼりとしたまま言う。

「……社会的に抹殺なんてしなくていいですよ。もう二度とああいう事をしないって約束して、反省してくれれば……」

 自分より怒っている人を見ると、何となく冷静になってしまう。

「朱里は甘いんだよ。優しすぎる。蜜の味を知った奴は、ちょっとやそっと叱られても、思い出した頃にまた同じ事をする」

 尊さんが恐い顔をして言い、私は唇を曲げる。

「……ま、まぁまぁ、お二人とも……」

 そこで神くんが声をかけてきて、私たちはハッと彼の存在を思い出す。

 我に返った尊さんは深呼吸し、「悪い」と言ってスマホを出すと電話をした。

「……もしもし、時沢か? すまん、上村さんの痴漢騒ぎを聞いて、心配になって警察に向かって、今終わった」

 スマホのスピーカーから、係長の大きめの声が漏れてくる。

《上村、大丈夫でしたか?》

「……大丈夫、とは言い切れないが、できる限りのフォローはする」

《まぁ、もうそろそろ昼ですし、神と三人で何か食ってから戻ってきたらどうですか? 今日それほど忙しくないんで、ゆっくりで大丈夫です》

「分かった。恩に着る」

 尊さんは電話を切ったあと大きな溜め息をつき、腕時計を見てから「何か食うか」と歩き始めた。

「神、朱里を助けてくれて感謝する」

 尊さんはもう神くんに付き合っている事を隠さずお礼を言う。

「……あの、部長と上村さんって、やっぱりそういう……」

 微妙な表情をした神くんに、尊さんはまじめな顔で言う。
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