部長と私の秘め事
「結婚するつもりだ。……でもちゃんとした時期に発表するから、それまで黙ってもらえるとありがたい」

「それは……、いいですけど……」

 神くんはお調子者ではないし、口も固いからきっと大丈夫だろう。

「……はぁー……。……僕、上村さんに片思いしてたんですけど、……そっかぁ……」

 いきなり神くんが爆弾をぶっ込んできて、私と尊さんは目を見開いて立ち止まった。

 彼は動揺した私たちを見てニコッと笑う。

「でも、想うだけ自由ですよね?」

「……にゃろう」

 尊さんは彼の頭をワシワシと撫で、背中をトンと叩いてからまた歩き始める。

 そのあと、本当に神くんを気にせずプライベートモードで話し始めた。

「朱里、もう電車通勤はしないでほしい。俺と一緒に車で出勤してくれ。行動を制限するようで悪いけど、こんな思いは二度としたくない」

「……はい」

 みんなに同棲していると知られたら気まずいから電車通勤を続けたけれど、こんな事になった手前、もう意地を張れない。

「僕も同感ですね。守ってくれる人がいるなら、そうしたほうがいいです」

 神くんも尊さんに同意し、二人に言われて私は「そうします……」と返事をした。

 そのあと尊さんが手を握って尋ねてきた。

「大丈夫か? 今日は早退しとくか?」

「いえ、大丈夫です。痴漢ごときでいちいち早退できません。前にも言いましたけど、これが初めてじゃないですから」

 そんなにやわじゃないと言いたかっただけだけど、溜め息をついた尊さんにポンと頭を撫でられた。

「……そんなん、慣れるなよ」

 尊さんをチラッと見ると、思った以上に彼のほうがダメージを受けているみたいだった。

 思い詰めた横顔はどこか殺気立っていて、触れれば切れそうな雰囲気を発している。

「……怒ってくれてます?」

 尊さんの顔を覗き込むと、彼はムッとした顔で応える。

「当たり前だろ。可能なら今すぐあいつをピーしてピーしてピーだ」

「んっふふふふふふふ……」

 自主規制した尊さんの言葉を聞いて、私は彼の手をギュッと握り笑い崩れる。

 本当はとても動揺してる。

 学生時代からずっと痴漢に遭い続けて、慣れたといえば慣れたけど、慣れたくはない。

 一人でいるところを狙われれば、怖くて声も出せなくなる。

 かつての恵が天真爛漫な自分を『損なわれた』と感じたように、私だって酷く自分が汚された気持ちになり、しばらく落ち込んでしまう。

 でも『男の人に立ち向かって、もしも仕返しされたらどうしよう?』と思うと何もできず、結局は泣き寝入りしていた。

 表向き私はずっと一人行動の〝クールな上村さん〟だったけど、人知れず尊厳を踏みにじられ、なかなか他人に弱みを見せられなくなった結果、自己肯定感が低くなってしまった。

 でも今は尊さんに大事にされて甘やかされているから、ちょっとずつ自分を雑に扱うのをやめて大切にしようと思えている。

 だから被害に遭った直後でも、彼が怒り狂っているのを押し殺して、何とか私を明るい気持ちにさせようとしてくれているのを感じ、笑う事ができていた。

 ――尊さんとなら大丈夫。

 そう思って笑った時、神くんがしみじみと言った。

「部長ってプライベートだとそういう感じになるんですね。意外と溺愛系……」

「俺は一途な男だよ」

 尊さんは自分で言い、ニヤリと笑ってみせる。

「しかしこうなると、牧原さんとかが悲鳴を上げそうですね」

 綾子さんの名前が出て、私は「うーん」という顔になる。

「まぁ、しゃーねぇだろ。他人に遠慮してたら自分の幸せなんて掴めねぇんだから」

「確かにそうですね。……まぁ、僕は今からでも上村さんがこっちを向いてくれるなら、牧原さんの味方をしますが」

 神くんがしれっとそんな事を言い、私はびっくりして目を見開く。

 尊さんは相手にしない……と思っていたら、溜め息混じりにこんな事を言った。

「お前のスペックで言われるときついんだよ……。頼むからやめてくれ」

「え? なんですかそれ?」

 目を瞬かせて尊さんの袖を引くと、彼は意味ありげに神くんを見る。

「神って名字、そのまんまだよ」

「ん?」

 目を瞬かせて頭の上に疑問符を浮かべていると、神くんがニコニコして近くにあるビルを指さした。

「あれ、うちのです」

「へ?」

 言われて彼が指さしたビルを見ると、『グランドエクスペリエンス東京』がそびえ立っている。

 東京駅近くにあるだけあって、グレードが超高い国内ブランドホテルの一つだ。

「あれ……。これって……『アンド・ジン株式会社』……じんっ!?」

 ぐりんっと振り向いて神くんを見ると、彼は「ピンポーン」と言って両手でピースサインをし、ニコニコ笑っている。
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