部長と私の秘め事
 いわずもがな、尊さんは高身長のイケメンで、大体の女性ならお近づきになりたい優良物件だ。

 逆ナンされてもおかしくないけど、現場を目撃するのは初めてなのでガン見してしまった。

 キャッキャしている女性二人は、私と同じ二十代半ばぐらいだ。

 作務衣は着ない方針らしく、一人はニットワンピース、もう一人はニットにマーメイドスカートを穿いていた。

 どちらかというとセクシーな雰囲気の女性を前に、尊さんは無の顔をしている。

 表面上、失礼にならないように軽く微笑んでいるけれど、内心で「早くこの会話、終わらねぇかな」と思っている顔だ。

 尊さんはそう大きく表情を変える人じゃないけど、私は彼の喜怒哀楽すべての顔を知っているので、無の顔だと分かってしまった。

(どうやって登場しよう)

 三人の姿を見ていると、声を掛けるタイミングを失ってしまって、私は階段の上で棒立ちになる。

 ――と、尊さんがこちらに気づき、大きく手を振った。

「今行く」

 同時に、女性二人がジロッと私を見てきた。怖い。

 尊さんは彼女たちに「じゃ、すみません」と言って会釈し、一段抜かしに階段を上がってくる。

「ふふん? お楽しみだったんじゃありませんこと?」

 顎を上げてちょっと尊大な態度をとると、彼はげんなりとして言った。

「勘弁してくれよ……」

 時刻を確認すると十八時二十分で、店に向かうのに丁度いい。

 二階の奥には『仙食庵(せんじきあん) 』と木製の看板がついた扉があり、スタッフに予約の旨を告げると、少し待ったあとに右手奥にある『壷中天(こちゅうてん) 』に案内された。

 内装はやっぱり古民家という感じで、年季の入った黒っぽい木がメインの、天井には梁などもある作りだ。

 席は半個室になっていて、私たちはどっしりした木製のテーブルを挟んで座った。

 二人ともビールを頼んだあと、お猪口に入った甘い果実酒を飲み、先付から順番に和食のコースを食べる。

「お風呂凄かったです。そっちも凄かったですか?」

「語彙」

 私が興奮して言うと、尊さんはクックック……と笑い崩れる。

「いいんですよ。真に凄いものの前では、人は『凄い』としか言えなくなるんですから」

 私は屁理屈を言いながら、海老のジュレが掛かった焼き茄子を食べる。

「気持ちよかったよ。……朱里が側にいたらもっと気持ちよかったと思うけど」

「……言い方」

 私は頬を染めて視線を逸らす。

「あ、そうだ。職場のお土産ってどうします?」

「俺が買ってくから、朱里は何もしなくていい」

「神くんは……、口止め料とかって、どうなんでしょう?」

「あいつは信頼できるよ。言いふらしたり、約束を破ったり嘘をつく事が、どれだけ簡単に人の信頼をなくすか分かってる。自分の価値を下げる行為はしない奴だ」

「……そうですね」

 彼の言葉を聞いて、「深いな」と感じてしまった。

 人との約束を守る、嘘をつかない、遅刻をしない、何かあったら連絡するなどは、一見とても些細な事だけど、その積み重ねが信頼を作っていく。

 それに何かをすぐ言いふらす人は、絶対信頼できないし側にいてほしくないタイプだ。

「……そうだ。恵は私と違って友達が多いんですけど、その中にも色んな人がいるんです。前に聞いた人は、遊ぶ約束をして、時間通り待ち合わせ場所についても全然来なくて、電話したら『まだ家にいる』って平気で言うんですって」

「すげぇな」

「平気で何回も遅刻するから、そのうち嫌になって付き合うのをやめたって言ってました。他にも、遊ぶ約束をドタキャンしたのに、SNSに他の友達とテーマパークに行ってる写真を上げてたって別の人から聞いて、激怒してました」

「そういう人は切っていいと思うぜ。前にも言ったけど、自分の周り五人の平均は自分って話。少しでも『嫌だな』と思う要素がある相手と付き合ってると、不満が溜まって愚痴っぽくなったりで、本人の質も下がるんだよ」

「そうですね」

 私は溜め息をつき、合鴨の白菜スープ仕立てをつつく。

「自分を軽んじる相手に、丁寧に接する必要はねぇよ。俺にも人間関係の優先順位はあるけど、優先順位が低い相手を適当に扱いはしない。相手を見て態度を変える奴は、どこかで化けの皮が剥がれる。そうならないために、いつも誠実でいるべきなんだよ」

「確かに、そうですね」

 私は頷いてビールを飲んだあと、溜め息をつく。

「この話、続きがあるんですけど、いいです?」

「どうぞ?」

「恵は『そういう奴はどこかで因果応報な目に遭う』って言ってたんです。でもその人、どうやらお金持ちに見初められたらしくて、すでに結婚して働かずにいい暮らしをしてるんですって。それ聞いた時、『マジか』って溜め息が出ちゃって」

 尊さんはビールを一口飲み、「そういうのあるよな」と笑う。

「怜香が長い間女王のように振る舞っていたように、信じられない事をしてる奴が、恵まれた環境にいる事ってあるんだよ。へたに『あいつはこういう奴なんです』なんて言えば、こっちが誹謗中傷、名誉毀損の加害者になる。この世界は善人だけが報われる、綺麗な世界じゃない。どんなクズだって、要領が良ければ〝上〟へ行ける腐った場所だ」

「ですよねー……」

 私は脱力して項垂れる。

「そういう時は、他人と自分を比べるのをやめる。それ一択だ。そいつがどんな暮らしをしようが、自分の生活が良くなる訳じゃねぇ。単に気に食わないだけだろ? 冷たい言い方だけど、それは中村さんの考え方の問題だ」

 彼は椅子に背中を預け、腕を組んで微笑む。

「感情としては『ムカつくな』って共感できるし『どっかでバチが当たればいい』とも思うよ。でも問題は『相手をどうしたいか』じゃない、『自分がどうなりたいか』だ。相手の不幸を願い続けていたら怨念の塊になってしまうし、人が離れていく。腹立つ相手の事を考えるだけ損だよ」

 私は溜め息をつき、「……その通りです」と頷く。

 その時、大きなお皿に盛られた見事なお造りが運ばれてきた。

「わあぁ、凄い!」

 私は思わず声を上げ、小さく拍手をする。

 スタッフがお刺身の説明をして去ったあと、尊さんは醤油に山葵を溶きながら言った。

「ま、今は美味いもんの事を考えてくれよ。俺、朱里がニコニコして飯を食う姿が好きなんだ」

 そう言われて、せっかくのご馳走なのに嫌な話をしてしまったのに気づいた。

「……ごめんなさい」

「いいよ。いつもは忙しくて口にするまでもない事でも、旅先でゆっくりした時に、ポロポロ出るもんってあると思う。いわゆる〝語り〟な」

 穏やかに笑う尊さんを見て改めて「大人だな」と感じ、彼が言っていた言葉を思い出した。

『朱里の役目は、しっかり楽しむ事』

(はい)

 心の中で頷いた私は、大きな牡丹海老をとり、ニュッと頭をとる。

「いただきます! んーっ、甘い!」

 ブリンブリンの牡丹海老を食べて幸せそうに笑うと、尊さんはスマホを構えて私を撮った。

「よし、いい顔激写」

「もーっ!」

 私は笑い崩れ、あえてピースしてみせる。

「いいね、もっと笑顔ちょうだい」

 速水カメラマンに言われ、私はクスクス笑いながら新鮮なお刺身を堪能した。

 そのあと温物が出たあと、あつあつに熱された石で富良野牛を焼き、ぶっとい焼きタラバガニの脚を二本食べた。

 さらにアサリと鱈のみぞれ鍋、土鍋で炊かれた炊き込みご飯を完食したあと、デザートが出て食事が終わった。

< 220 / 313 >

この作品をシェア

pagetop