部長と私の秘め事
 恐る恐る弾いていたけれど、慣れたから二回目はもう少し自信を持って弾ける。

 テンポを上げると、今度は小牧さんと尊さんがグリッサンドを駆使してゴージャスな雰囲気に仕立てあげてくれ、大地さんと小牧さんもそれに合わせ、時にコル・レーニョで楽器の本体を弓で叩き、リズムを取る。

 リビングからは裏拍をとった拍手が聞こえ、子供たちが「猫踏んじゃった!」と歌いながら踊っている。

「One more time!」

 二回目の終わりに尊さんが楽しげに言い、私はもう少しテンポを上げて速めの『猫踏んじゃった』を弾いた。

 途中からタンバリンの音が聞こえ、顔を上げるとちえりさんが楽しげにリズムを刻んでいた。

「Last!」

 尊さんの声が聞こえ、私は可能な限り速く『猫踏んじゃった』を弾く。

 チラッと周囲を見ると、大地さんと小牧さんは笑顔でリズムに乗って弓を動かしている。

 私の隣に座った弥生さんも笑顔で、尊さんは今までにない楽しそうな顔をしていた。

 ――あぁ、良かった。

 ――今日、ここに来られて良かった。

 嬉しくて、幸せで、私はちょっぴり涙を流してしまう。

 最後のチャン、チャチャチャ~ラ、チャンチャンッは溜めを作り、全員でトレモロをして終わった。

「ブラボー!」

 誰かが大きな声で言い、みんなが大きな拍手をくれる。

「朱里さん、イェーイ!」

 弥生さんとハイタッチをしたあと、尊さんが「朱里」と両手を差しだしてくる。

「尊さん、イェーイ!」

 彼とパンッとハイタッチをした直後、ギュッと抱き締められた。

「サンキュ」

 尊さんは耳元で小さく囁いたあと、すぐに私を離して大地さんや小牧さんの元に向かう。

 不意を突かれた私は、彼の腕の力強さに胸を高鳴らせ、真っ赤になっていた。

 そのあと気を取り直して全員で手を繋ぎ、カーテンコールのようにお辞儀をする。

 楽器をしまって席に戻ると、百合さんはこの上なく優しい顔をして言った。

「ありがとう。最高の演奏だったわ。……そうね。音楽ってこういうものね」

 リビングの空気は最初に真剣な話をしていた時よりずっと柔らかくなり、みんなニコニコ笑顔だ。

「お祖母ちゃん、今日、尊くんと朱里ちゃんを連れてきて良かったでしょう?」

 小牧さんがドヤ顔で言い、周りの方々がドッと笑う。

「……そうね。みんなには感謝しないと。……なかなか尊に声を掛けられずにいたけれど、勇気を出して一歩前に進むと、こんなにも明るい景色が見えるのね」

 百合さんの言葉のあと、将馬さんが微笑んだ。

「尊、朱里さん。これからはもっと気軽に訪ねてくれ。良かったらお盆や正月、何かイベントのある日も、そうでない日も、何かあったら連絡してほしい」

「ありがとうございます」

 尊さんは微笑んでお礼を言う。

 私は彼がやっとお正月やお盆に〝親戚の集まり〟に参加できるのだと思うと、嬉しくなって涙ぐんでしまった。

「うぅ、うう~~……」

「……何泣いてるんだよ」

 尊さんはグスグス泣き始めた私を、苦笑いして抱き締める。

「だって……っ、うぅっ、……うれじい……っ」

 これまで孤独に戦ってきた尊さんが、やっと親戚に受け入れられて愛されている。

 願ってやまなかった姿を見て感極まった私は、涙を止められずにいた。

「朱里さんは優しい人ね」

 百合さんは立ちあがって私の前にしゃがむと、そっと腕をさすってくる。

「あなたみたいな女性が尊の相手で安心したわ。尊を宜しくお願いいたします」

 彼女に頭を下げられ、涙腺が臨界点を超えた。

「うぅう……っ、よろじぐお願いじばずっ」

 みんな、べしょべしょに泣き崩れた私を、微笑んで見守ってくれていた。

 そのあともスイーツを食べながら飽きる事なく話をし、アンコールを受けて尊さんがピアノを演奏してくれた。

 一曲は、あかりちゃんが好きだった『きらきら星』を色んなバージョンでアレンジした、モーツァルトの『きらきら星変奏曲』。

 そして本当の最後のアンコールには、渾身のリスト『ラ・カンパネラ』を弾いてくれた。

 全員で拍手した頃、速水邸のチャイムが鳴り、いつの間に頼んだのか特上寿司と茶碗蒸し、唐揚げが届く。

「贔屓にしているお店、とても美味しいのよ」

 百合さんが言って、みんなで美味しいお寿司をいただき、お腹がこなれたあと、おいとまする事にした。

「また、いつでも来てちょうだい」

 そう言って、百合さんは私たちの手に何かを持たせた。

「ん……、んっ?」

 私と尊さんの手には、立派な水引で飾られた『ご婚約祝』のご祝儀袋がある。しかも結構な厚みがあるんですが……。

「いけません」

 中に少なくないお金が入っていると察した尊さんは、まじめな顔でご祝儀袋を返そうとする。

 けれど百合さんは固辞した。

「私は今まであなたに何もしてあげられなかったわ。お年玉すらあげられなかった。だから……」

「こんなに沢山、いただけません」

 尊さんはなおも首を横に振り、返そうとする。

「いーじゃないの!」

 そんな二人の間に割って入ったのは、ちえりさんと小牧さんだ。

「備えあれば憂いなしって言うじゃない」

「そうそう。結婚式、新婚旅行の足しにするとか、いずれ生まれるベイビーのために使うとか、色々使い道はあるわ」

 二人の今後、特に子供について言われ、尊さんは溜め息をつく。

 百合さんはそんな彼の手を、両手で包んだ。

「遺言書にあなた達の事を書きたいと思っているけれど、可能なら生きているうちに、孫に何かさせてちょうだい。そのほうが税金もあまりかからないしね」

 彼女は最後に少し悪戯っぽく言う。

 尊さんが「受け取れない」と感じるのは分かるけれど、ここは受け取っておいたほうがいい気がした。

「尊さん。今は受け取らせていただきましょう。ちえりさん達の言う通り、大切な事に使ったら〝生きたお金〟になります」

 彼は少し困った表情をしていたけれど、私に言われて「分かったよ」と微笑んだ。

「……では、謹んで受け取らせていただきます」

「ありがとう」

 百合さんはホッとしたように笑い、私と尊さんの手を順番に握ってきた。

「元気でね。また必ず来てちょうだい」

「はい!」

 返事をすると、百合さんも周りの皆さんも、嬉しそうに笑う。

 そして改めて婚約祝いの食事会をする約束をして、速水邸を出た。



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