部長と私の秘め事
「……結婚するつもりで同棲もしています。篠宮家の事情にもリアルタイムで立ち会いました。先方の父方、母方のご家族にも受け入れていただいて、部長の抱える複雑な事情を理解できるのも、私だけという自負があります」
緊張で表情を強張らせた私は、そのまま訴えた。
「確かに速水部長は素敵な方です。お兄さんの風磨さんも王子様的存在として女性社員に人気がありますし、部長は格好いいだけでなく人格者です。とてもつらい思いをしたからこそ、他人に優しくできる人だと思っています」
綾子さんたちは飲食する手を止め、真剣に聞いてくれている。
「綾子さんの向上心は凄いと思います。誰だって理想的な家庭を築きたいものです。あなたは女性としてとても魅力的ですし、仕事もできる上、女磨きも怠っていません。みんなが嫌がる事を率先してやりますし、チームがごたついても纏める能力があります。きっとお付き合いしている龍一さんも、そういう所に惹かれたのでは……と思います」
綾子さんを褒めると、彼女は少し気分良さそうな顔になる。
「……でも、妥協するタイミングを失うと、幸せを逃しませんか? 龍一さんは十分理想的な彼氏さんに思えます。なのに龍一さんと別れて、婚約者のいる部長に乗り換えたいとまだ思いますか?」
ここまで踏み込むのは言い過ぎかもしれないけど、野心に目がくらんでいるなら、止まるべきタイミングを自覚してほしかった。
「随分、愛されてる自信があるのね?」
綾子さんは値踏みするような目で尋ねてくる。
「あります。伊達に修羅場をくぐってきていませんから」
まっすぐ綾子さんの目を見て伝えると、彼女はしばらく私を見つめ返したあと、「はぁ……」と溜め息をついて表情を和らげ、言った。
「やーめた」
「えっ?」
綾子さんは目を丸くした私や恵、瑠美さん、美智香さんが見ているなかで、割り箸をパキッと二つに割ってから食事を始めた。
「食べましょ? 次の料理を運ぶタイミングもあると思うし」
「そ、そうですね」
瑠美さんが同意し、私たちは前菜を食べ始める。
綾子さんは食べながら言う。
「ごめんなさいね。確かに私、速水部長に応えてもらえるなら、ワンチャンありって思ってた。でもここまで想い合ってる人がいるとは思っていなかったのよ。そもそも、上村さんと速水部長が付き合っているのを知らなかったし」
私は理解を示してくれる綾子さんの言葉を聞き、少しずつ緊張を解いていった。
「凄いわね。継母の元経理部長なんて、当たりがキツかったんじゃない? あの鬼ババ」
「そうなんです。事件前はご挨拶したら、出身大学や一般人の生まれとか何やかやで、手ひどい嫌みを言われました。……リアルタイムのお家騒動の時も、凄かったですよ……」
私は今でも鮮烈な印象のある怜香さんを思いだし、溜め息をつく。
「あの騒動って元社長の隠し子である速水部長の母親と妹を、正妻である元経理部長が手引きして殺させたって事でいいの?」
「……ですね」
私は言葉少なに答える。
「詳細は伏せますが、速水部長は死ぬよりつらい目に遭い続けてきました。でも、最近はとても楽しそうなんです。私も家庭の事情から暗い人生を送ってきて、十二年前、中学生の時は自殺しかけました。……その時に命を助けてくれたのが、当時二十歳の速水部長だったんです。だから運命……って言ったら大げさですが、お互い今が一番最高の時を過ごせていると思います」
「えぇ……!? なにそれ、運命じゃない! 素敵!」
綾子さんはキュルンと目を潤ませる。
「っていうか、上村さんよく生きていてくれたわね? 死ななくて良かったわ。生きてるのが一番!」
彼女はニコッと笑って言うと、ワインを飲んで自分の事を語り始めた。
「さっき上村さんに言われた時、核心を突かれてドキッとしたのよ。……私ね、あまり人には言えていないけど、子供の頃に両親が離婚して、ホステスをしていた母に育てられたの。途中からパトロンが複数ついて生活が安定して、母はその中から一番自分と子供を大切にしてくれて、将来的に安定しそうな人と結婚した。今の父親がその人なんだけど、かなり年上だけどいい人よ」
私は今まで知らなかった綾子さんの生い立ちを知り、彼女の野心の原動力に納得した。
「母がホステスになる前、私は極貧生活を送っていた。それこそ命の危機を覚えるぐらいね。だから貧乏は嫌だと思ったし、お金を持ってる性格のいい男性がいかに大切かを学んだ。母からも男性をよく見極めるよう言われて、男性に好かれるだけじゃなく、敵を作らないために女性にも好かれるにはどうすればいいか教えられたわ。でも学生時代はうまく振る舞っていたつもりだけど、陰で『母親は水商売』って言われてた。それが悔しくて、自分は何が何でも四年制の大学に進学して、大企業に入ってやるって誓ってた」
綾子さんはワインをもう一口飲み、自嘲めいた溜め息をつく。
「普段から身なりには気をつけて、流行の物にも目を光らせてた。大学生頃には合コンに明け暮れて色んな男を知って、社会人になってからは本命を射止められるようにさらに頑張ったわ。男を立てつつ、自分もしてもらって当たり前の女にならない。そういう努力を続けた。その結果、龍一と付き合う流れになったの。……彼は遊び人だったけど、今、私と付き合いつつ、私の真剣具合を図ってるみたい。龍一は三十四歳で、そろそろ身を固めないと……と思ってる。でも、勝ち組人生になって軌道にのっているのに、結婚相手が〝ハズレ〟じゃないか、常に見定められている」
いつも悠々とした綾子さんが、そういうプレッシャーを感じていたとは知らなかった。
「だから、速水部長なら恋人を試す真似をしないんじゃないか……って思ったの。小料理屋の女将と仲がいいって話はあったけど、基本的に女性の陰がないから、フリーなんだと思っていたわ。だから上村さんが秘書になると聞いて驚いて、どういう関係なのか聞きたかったの」
「……事情は分かりましたけど、恐い顔で見ていたのは……」
恐る恐る尋ねると、綾子さんは「ああ!」と声を上げた。
「ごめんね! もし思い込みで、上村さんは速水部長と何の関係もなく、ただ能力を買われて抜擢されただけならどうしよう……って、声を掛けるのをかなり躊躇ってたのよ」
「はぁー……」
ドッと疲れを覚えた私は、大きな溜め息をついて脱力する。
緊張で表情を強張らせた私は、そのまま訴えた。
「確かに速水部長は素敵な方です。お兄さんの風磨さんも王子様的存在として女性社員に人気がありますし、部長は格好いいだけでなく人格者です。とてもつらい思いをしたからこそ、他人に優しくできる人だと思っています」
綾子さんたちは飲食する手を止め、真剣に聞いてくれている。
「綾子さんの向上心は凄いと思います。誰だって理想的な家庭を築きたいものです。あなたは女性としてとても魅力的ですし、仕事もできる上、女磨きも怠っていません。みんなが嫌がる事を率先してやりますし、チームがごたついても纏める能力があります。きっとお付き合いしている龍一さんも、そういう所に惹かれたのでは……と思います」
綾子さんを褒めると、彼女は少し気分良さそうな顔になる。
「……でも、妥協するタイミングを失うと、幸せを逃しませんか? 龍一さんは十分理想的な彼氏さんに思えます。なのに龍一さんと別れて、婚約者のいる部長に乗り換えたいとまだ思いますか?」
ここまで踏み込むのは言い過ぎかもしれないけど、野心に目がくらんでいるなら、止まるべきタイミングを自覚してほしかった。
「随分、愛されてる自信があるのね?」
綾子さんは値踏みするような目で尋ねてくる。
「あります。伊達に修羅場をくぐってきていませんから」
まっすぐ綾子さんの目を見て伝えると、彼女はしばらく私を見つめ返したあと、「はぁ……」と溜め息をついて表情を和らげ、言った。
「やーめた」
「えっ?」
綾子さんは目を丸くした私や恵、瑠美さん、美智香さんが見ているなかで、割り箸をパキッと二つに割ってから食事を始めた。
「食べましょ? 次の料理を運ぶタイミングもあると思うし」
「そ、そうですね」
瑠美さんが同意し、私たちは前菜を食べ始める。
綾子さんは食べながら言う。
「ごめんなさいね。確かに私、速水部長に応えてもらえるなら、ワンチャンありって思ってた。でもここまで想い合ってる人がいるとは思っていなかったのよ。そもそも、上村さんと速水部長が付き合っているのを知らなかったし」
私は理解を示してくれる綾子さんの言葉を聞き、少しずつ緊張を解いていった。
「凄いわね。継母の元経理部長なんて、当たりがキツかったんじゃない? あの鬼ババ」
「そうなんです。事件前はご挨拶したら、出身大学や一般人の生まれとか何やかやで、手ひどい嫌みを言われました。……リアルタイムのお家騒動の時も、凄かったですよ……」
私は今でも鮮烈な印象のある怜香さんを思いだし、溜め息をつく。
「あの騒動って元社長の隠し子である速水部長の母親と妹を、正妻である元経理部長が手引きして殺させたって事でいいの?」
「……ですね」
私は言葉少なに答える。
「詳細は伏せますが、速水部長は死ぬよりつらい目に遭い続けてきました。でも、最近はとても楽しそうなんです。私も家庭の事情から暗い人生を送ってきて、十二年前、中学生の時は自殺しかけました。……その時に命を助けてくれたのが、当時二十歳の速水部長だったんです。だから運命……って言ったら大げさですが、お互い今が一番最高の時を過ごせていると思います」
「えぇ……!? なにそれ、運命じゃない! 素敵!」
綾子さんはキュルンと目を潤ませる。
「っていうか、上村さんよく生きていてくれたわね? 死ななくて良かったわ。生きてるのが一番!」
彼女はニコッと笑って言うと、ワインを飲んで自分の事を語り始めた。
「さっき上村さんに言われた時、核心を突かれてドキッとしたのよ。……私ね、あまり人には言えていないけど、子供の頃に両親が離婚して、ホステスをしていた母に育てられたの。途中からパトロンが複数ついて生活が安定して、母はその中から一番自分と子供を大切にしてくれて、将来的に安定しそうな人と結婚した。今の父親がその人なんだけど、かなり年上だけどいい人よ」
私は今まで知らなかった綾子さんの生い立ちを知り、彼女の野心の原動力に納得した。
「母がホステスになる前、私は極貧生活を送っていた。それこそ命の危機を覚えるぐらいね。だから貧乏は嫌だと思ったし、お金を持ってる性格のいい男性がいかに大切かを学んだ。母からも男性をよく見極めるよう言われて、男性に好かれるだけじゃなく、敵を作らないために女性にも好かれるにはどうすればいいか教えられたわ。でも学生時代はうまく振る舞っていたつもりだけど、陰で『母親は水商売』って言われてた。それが悔しくて、自分は何が何でも四年制の大学に進学して、大企業に入ってやるって誓ってた」
綾子さんはワインをもう一口飲み、自嘲めいた溜め息をつく。
「普段から身なりには気をつけて、流行の物にも目を光らせてた。大学生頃には合コンに明け暮れて色んな男を知って、社会人になってからは本命を射止められるようにさらに頑張ったわ。男を立てつつ、自分もしてもらって当たり前の女にならない。そういう努力を続けた。その結果、龍一と付き合う流れになったの。……彼は遊び人だったけど、今、私と付き合いつつ、私の真剣具合を図ってるみたい。龍一は三十四歳で、そろそろ身を固めないと……と思ってる。でも、勝ち組人生になって軌道にのっているのに、結婚相手が〝ハズレ〟じゃないか、常に見定められている」
いつも悠々とした綾子さんが、そういうプレッシャーを感じていたとは知らなかった。
「だから、速水部長なら恋人を試す真似をしないんじゃないか……って思ったの。小料理屋の女将と仲がいいって話はあったけど、基本的に女性の陰がないから、フリーなんだと思っていたわ。だから上村さんが秘書になると聞いて驚いて、どういう関係なのか聞きたかったの」
「……事情は分かりましたけど、恐い顔で見ていたのは……」
恐る恐る尋ねると、綾子さんは「ああ!」と声を上げた。
「ごめんね! もし思い込みで、上村さんは速水部長と何の関係もなく、ただ能力を買われて抜擢されただけならどうしよう……って、声を掛けるのをかなり躊躇ってたのよ」
「はぁー……」
ドッと疲れを覚えた私は、大きな溜め息をついて脱力する。