部長と私の秘め事
恵は痴漢に遭ってから、いっさい異性に興味を示さなくなった。
私に告白してくれたからといって同性が好きなわけでもなく、本来なら異性が恋愛対象なんだろうけど、いい印象を抱けないまま今に至る。
思春期に刻まれたトラウマは根深く、恵がいまだ男性に嫌悪感、不信感を抱いていてもおかしくない。
勤務中に男性が苦手という様子はいっさい見せなかったけれど、本当は私に知らせなかっただけで、嫌な気持ちになっていた事はあったかもしれない。
男性と付き合った事はあるけれど、付き合えるかどうか試してみた……に近い感覚だ。
だから今、いくら高収入イケメンとはいえ、涼さんの胸板をモロに見てしまって、恵のトラウマが刺激されてしまったのかと心配してしまったのだ。
……と言っても、痴漢の裸を見た訳じゃないし、おじさんと涼さんとではビジュアルに大きな差があるわけだけれど。
そう思っていた時、恵がボソッと小さな声で言った。
「……違う」
「えっ?」
思わずドキッとして恵の顔をよく見ると、キュッと唇を引き結んで涼さんから頑なに目を逸らし、真っ赤になっている。
――これは!
思わず涼さんのほうを見ようとすると、恵は「違うから!」と大きな声で言い、私の顔を両手で挟んでグイッと自分のほうを向かせる。
「あぐっ」
振り向こうとした力と恵の力がせめぎ合い、私はくぐもったうめき声を漏らす。
そんな私を見て恵は泣く寸前の顔で息を震わせながら吸い、「あり得ない!」と言って部屋を出て行った。
「あっ! 恵! これからレストランだよ!」
私は慌てて恵を追いかけようとしたけれど、涼さんが優しく肩に手を置いて制止してきた。
「尊、朱里ちゃん、先にレストラン行ってて。俺は彼女と一緒にあとから行くから」
彼は苦笑いして言ったあと、カードキーとお財布、スマホをポケットに入れて部屋を出て行った。
「あー……」
私は閉じたドアを見て、間延びした声を漏らす。
「もしかして……、もしかするのかもな?」
後ろで尊さんが立ちあがった気配がし、彼はこちらに歩み寄ってポンと私の肩に手を置く。
「……どうなんだろう。こんな事初めて」
私は溜め息をつき、ポツポツと語り出す。
「今まで恵が、男性にあんな反応を見せた事はありませんでした。学生時代は女子にお構いなく部活前に着替える男子がいたし、裸に慣れていないわけじゃないです。それに、私が昭人と付き合っている時、恵も何人かと付き合っていましたし。……でも『やっぱ無理』って、二週間も経たずに別れていましたけど」
「……なるほど」
尊さんはベッドに腰かけ、頷く。
「恵が言うには『自分を好きになった男がメッセージを送ってくるのを見るだけで、気持ち悪くて堪らない』みたいです。……でも基本的な恋愛対象が男性なのは確かだし、私の事を好きだと言っても、セックスしたいとは思わないみたいです」
それを聞き、尊さんは少し安堵したのか小さく溜め息をつく。
「私に関しては、『一緒にいて、時々抱き締めて、大切にしたいし、大切にされたい』と望んでいるみたいで、私もなるべく希望に応えたいと思っています。たまに酔っぱらった時、気持ちが盛り上がってキスをされる事もあったけど、尊さんと付き合ってからはなくなりました」
彼は息を吐き、私の腕を引っ張ると自分の膝の上に座らせた。
「……中村さんも複雑な過去持ちだし、ちゃんと男に目を向けられるようになるまで、時間がかかったのかもな。……異性にトラウマができると、どうしてもフィルターができる。『こいつは自分を傷つけるかもしれない』っていう怯えが根底にあって、異性に対して懐疑的になる。……でも、今日一日一緒に遊んで、涼は違うって分かったかな。……それでいきなり風呂上がりの姿を見せられて、〝男〟だと認識してしまったというか……」
「……かもですね」
私はお腹の前に回った尊さんの手を何とはなしに触り、親友を想って小さく笑う。
「涼さんが恵に応える見込みは、どれぐらいですか?」
尋ねると、尊さんは「うーん……」と少し考えてから言った。
「正直、涼は経験豊富だ。学生時代に大体の事は済ませたし、女性側からのアプローチが多すぎて供給過多になり〝満腹〟状態が続いている。今まであいつを求めた女性は、ハイクラスの男とデートをして愛されたいと願っていた。涼も『十人と付き合えば、十人ともそうだった』と言ってた。だから『例外はいるかもしれないけど、当分自分からは女性を求めたくない』と言って、女性以外の刺激を求めるようになった」
想像通りの事を聞き、私はコクンと頷く。
「だから、あいつを見て嫌な顔をした中村さんが珍しかったのかな。今日、アトラクションを回っている間、俺にちょいちょい『彼女、どんな人?』って聞いてたよ。深い話は避けたけど、基本的な情報は教えておいた。……で、今まで涼が避けてきたタイプの女性じゃないと分かって、余計に興味を抱いたみたいだった」
「恵って都会でキラキラしてるより、ソロキャンするの好きですもんね。男性に媚びるタイプじゃないですし」
タイミングが合う時は一緒にキャンプをするけれど、そうじゃない時は一人でフラッとあちこち行っているみたいだ。
「……うまくいくといいな。涼ならその気になればいつでも結婚相手を見つけられるけど、『なるべく自分で〝いい〟と思った人と出会いたい』と言っていたから」
「ですねぇ……」
頷いたあと、私は尊さんに「そろそろレストランに向かうか」と言われて部屋を出た。
**
私に告白してくれたからといって同性が好きなわけでもなく、本来なら異性が恋愛対象なんだろうけど、いい印象を抱けないまま今に至る。
思春期に刻まれたトラウマは根深く、恵がいまだ男性に嫌悪感、不信感を抱いていてもおかしくない。
勤務中に男性が苦手という様子はいっさい見せなかったけれど、本当は私に知らせなかっただけで、嫌な気持ちになっていた事はあったかもしれない。
男性と付き合った事はあるけれど、付き合えるかどうか試してみた……に近い感覚だ。
だから今、いくら高収入イケメンとはいえ、涼さんの胸板をモロに見てしまって、恵のトラウマが刺激されてしまったのかと心配してしまったのだ。
……と言っても、痴漢の裸を見た訳じゃないし、おじさんと涼さんとではビジュアルに大きな差があるわけだけれど。
そう思っていた時、恵がボソッと小さな声で言った。
「……違う」
「えっ?」
思わずドキッとして恵の顔をよく見ると、キュッと唇を引き結んで涼さんから頑なに目を逸らし、真っ赤になっている。
――これは!
思わず涼さんのほうを見ようとすると、恵は「違うから!」と大きな声で言い、私の顔を両手で挟んでグイッと自分のほうを向かせる。
「あぐっ」
振り向こうとした力と恵の力がせめぎ合い、私はくぐもったうめき声を漏らす。
そんな私を見て恵は泣く寸前の顔で息を震わせながら吸い、「あり得ない!」と言って部屋を出て行った。
「あっ! 恵! これからレストランだよ!」
私は慌てて恵を追いかけようとしたけれど、涼さんが優しく肩に手を置いて制止してきた。
「尊、朱里ちゃん、先にレストラン行ってて。俺は彼女と一緒にあとから行くから」
彼は苦笑いして言ったあと、カードキーとお財布、スマホをポケットに入れて部屋を出て行った。
「あー……」
私は閉じたドアを見て、間延びした声を漏らす。
「もしかして……、もしかするのかもな?」
後ろで尊さんが立ちあがった気配がし、彼はこちらに歩み寄ってポンと私の肩に手を置く。
「……どうなんだろう。こんな事初めて」
私は溜め息をつき、ポツポツと語り出す。
「今まで恵が、男性にあんな反応を見せた事はありませんでした。学生時代は女子にお構いなく部活前に着替える男子がいたし、裸に慣れていないわけじゃないです。それに、私が昭人と付き合っている時、恵も何人かと付き合っていましたし。……でも『やっぱ無理』って、二週間も経たずに別れていましたけど」
「……なるほど」
尊さんはベッドに腰かけ、頷く。
「恵が言うには『自分を好きになった男がメッセージを送ってくるのを見るだけで、気持ち悪くて堪らない』みたいです。……でも基本的な恋愛対象が男性なのは確かだし、私の事を好きだと言っても、セックスしたいとは思わないみたいです」
それを聞き、尊さんは少し安堵したのか小さく溜め息をつく。
「私に関しては、『一緒にいて、時々抱き締めて、大切にしたいし、大切にされたい』と望んでいるみたいで、私もなるべく希望に応えたいと思っています。たまに酔っぱらった時、気持ちが盛り上がってキスをされる事もあったけど、尊さんと付き合ってからはなくなりました」
彼は息を吐き、私の腕を引っ張ると自分の膝の上に座らせた。
「……中村さんも複雑な過去持ちだし、ちゃんと男に目を向けられるようになるまで、時間がかかったのかもな。……異性にトラウマができると、どうしてもフィルターができる。『こいつは自分を傷つけるかもしれない』っていう怯えが根底にあって、異性に対して懐疑的になる。……でも、今日一日一緒に遊んで、涼は違うって分かったかな。……それでいきなり風呂上がりの姿を見せられて、〝男〟だと認識してしまったというか……」
「……かもですね」
私はお腹の前に回った尊さんの手を何とはなしに触り、親友を想って小さく笑う。
「涼さんが恵に応える見込みは、どれぐらいですか?」
尋ねると、尊さんは「うーん……」と少し考えてから言った。
「正直、涼は経験豊富だ。学生時代に大体の事は済ませたし、女性側からのアプローチが多すぎて供給過多になり〝満腹〟状態が続いている。今まであいつを求めた女性は、ハイクラスの男とデートをして愛されたいと願っていた。涼も『十人と付き合えば、十人ともそうだった』と言ってた。だから『例外はいるかもしれないけど、当分自分からは女性を求めたくない』と言って、女性以外の刺激を求めるようになった」
想像通りの事を聞き、私はコクンと頷く。
「だから、あいつを見て嫌な顔をした中村さんが珍しかったのかな。今日、アトラクションを回っている間、俺にちょいちょい『彼女、どんな人?』って聞いてたよ。深い話は避けたけど、基本的な情報は教えておいた。……で、今まで涼が避けてきたタイプの女性じゃないと分かって、余計に興味を抱いたみたいだった」
「恵って都会でキラキラしてるより、ソロキャンするの好きですもんね。男性に媚びるタイプじゃないですし」
タイミングが合う時は一緒にキャンプをするけれど、そうじゃない時は一人でフラッとあちこち行っているみたいだ。
「……うまくいくといいな。涼ならその気になればいつでも結婚相手を見つけられるけど、『なるべく自分で〝いい〟と思った人と出会いたい』と言っていたから」
「ですねぇ……」
頷いたあと、私は尊さんに「そろそろレストランに向かうか」と言われて部屋を出た。
**