部長と私の秘め事
「忍者モードはもういいよ」

 涼さんはクスクス笑って部屋の中ほどに入り、アルコーヴベッドの上にバッグを置いてから、「こっちか」と空いたベッドに腰かける。

「緊張してる?」

 ニコニコ笑った彼に話しかけられ、私は無言のままコクコクと頷く。

「じゃあ、こっちおいで。ツボ押してあげる」

 涼さんは私を手招きし、私は「ツボ?」と首を傾げる。

 おそるおそる彼に近づくと、涼さんは私を隣に座らせ、手を握ってくる。

「わっ」

 ビクッとして身を竦ませると、彼は「相当緊張してるね。手が冷たい」と驚いたように言って、自分の両手で私の手を包んできた。

「あっ、あの、手汗掻いてるかもしれないので」

 慌てて言うけれど、「掻いてないよ」とサラリと受け流される。

 かわりばんこに手を温められたあと、彼は私の掌の真ん中あたりを指圧してきた。

「ここは老宮(ろうきゅう)。手を握った時に、中指の先が当たる所。こっちは内関(ないかん)。手首の皺から指三本分下」

 そう言って、涼さんは私の手首の真ん中をギュウ……と押す。

「ゆっくり深呼吸してね。怖い事は何もない。今日はこれから、一日の疲れを癒すために寝るだけ」

 言いながら、涼さんは私の背中に手を置き、円を描くように撫でた。

「ひっ、…………ぅ」

「はい、リラックス。背中を撫でられると安心するよ。怖くない、怖くない」

 ゆったりとした声で誘導されているうちに、だんだん張り詰めていた気持ちがほぐれていく気がする。

「……ツボ、詳しいんですね」

「定期的に整骨院に通っていて、先生とも話すし、興味があって自分でも本を買って見てみたんだ。東洋医学も面白いよ」

 そう言ったあと、涼さんはニヤッと笑って私の頭のてっぺんを親指でグーッと押してきた。

「そこ、ゲリツボじゃないですか!」

 突っ込むと、彼は「あははは!」と笑う。

「よくそう言われてるけど、ここは百会(ひゃくえ)。俺もよく、自律神経を整えるためにここに鍼を打ってもらってる」

「えぇ? 頭のてっぺんに? ……痛くないです?」

「鍼は慣れたらこっちのもんだよ。逆に普通の電気マッサージより効くから、俺は鍼のほうが好きだね」

「ふぅん……」

 涼さんは頭のてっぺんを押すのをやめ、また手のツボを優しく押してくる。

「女性だと顔の美容鍼をする人もいるね。うちの母親や姉なんかは、鍼まみれになった写真を送ってくる」

「……あ、お姉さんいるんですか」

「二つ上の三十四歳、既婚。甥っ子と姪っ子が可愛いよ」

「へぇ……」

 今まで涼さん単体で見て、手の届かない物凄い人と思っていたけれど、考えてみれば彼にもご家族がいるのは当たり前だ。

「セレブ一家、凄いお屋敷に住んでそう」

 思わずボソッと呟くと、彼はにっこり笑って言った。

「じゃあ今度、俺の家に来る? 家族に会わせてもいいけど」

「急すぎます!」

 お風呂に入る時だって、つま先から順番にお湯を掛けなければいけない。そうでなければヒートショックだ。

「確かに急かぁ……。まぁ、家族に会わせるのは急でも、興味があったら俺の家に遊びにきなよ。共用部にあるレストランで食事をしてもいいし」

 そうだ……。そうだった。

 下手をすれば篠宮さんよりお金持ちな彼が住むマンションなら、敷地内にお洒落なカフェやレストラン、プールにジムがあってもおかしくない。セレブめ!

「あと、三十歳の妹もいるし二十八歳の弟もいるね」

 家族構成を聞くと、やっぱり年齢が私より高めだ。

「……ロリコン?」

 色んなものを取っ払ってそう言うと、涼さんは手を打ち鳴らして笑い始めた。

「恵ちゃん幼女だったの? それはそれで可愛いけど」

「ち……っ、ちがっ」

 間違えたと思った時には遅く、涼さんはツボに入ったらしくケラケラ笑っている。

 やがてその笑いが落ち着いた頃、彼はポンポンと私の背中を叩いた。
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