部長と私の秘め事

実家にて

 仕事納めをしたあと、私は二十九日の午前中に吉祥寺(きちじょうじ)にある実家に顔を出した。

 ゲーム会社に勤めている二十八歳の継兄、亮平(りょうへい)は、年末になって実家に帰省している。

 エステティシャンで二十四歳の継妹、美奈歩(みなほ)は実家暮らしで、私が帰ったのを見ると素っ気なく「お帰り」と言ってスイッと自室に向かった。

「朱里、お帰り。あら? 荷物少なくない?」

 私を迎えた母は、ショルダーバッグだけなのを見て目を瞬かせる。

「今年は別のところで過ごすから、挨拶だけしに来たの」

「そう。彼氏でもできた?」

「そんなとこ」

 答えた時、リビングのソファでテレビを見ていた亮平が、チラッと私を見た。

「これ、いとこのお年玉、渡しておいてくれる?」

 私は母にポチ袋を渡す。

 お財布が痛くなるけれど、私も子供の頃にお年玉をもらっていたから、大人になったらやっていかないと。

 年末に文房具店に行って可愛いポチ袋を選んで、一言書いたメッセージカードも入れているけれど、「喜んでくれるかな」と楽しみでもある。

 そうしているのは父の影響で、父は毎年お年玉と一緒にメッセージカードをくれた。

 今もそのカードはお菓子の缶に入れて、大切にとってある。

 私はリビングに入って変わりないかチラッと見てから、母に尋ねた。

「正月料理作ってるの? 夕方まで手伝うよ」

「そう? ありがと」

「お継父さんは?」

「朱里のために注文していた、お寿司を取りにいってるわ」

「そんなんしなくていいのに」

 私は笑いながらコートを脱ぎ、ソファの側に丸めてバッグと一緒に置く。

 今日は特にお洒落をしているでもなく、ウォームブラウンのタートルネックニットに、ジーンズというカジュアルな格好だ。

 なのに、コートを脱ぐとまた亮平がチラッとこちらを見たのが分かった。

 ……やりづらいなぁ。

「元気だった?」

 亮平が声を掛けてきて、私は「うん」と返事をする。

「そっちは?」

「そこそこ。……彼氏できたんだ? どんな人?」

「結婚するつもりだから、その内ちゃんと会わせる」

「ふぅん……」

 私は根掘り葉掘り聞かれるのを避けて、そう言っておく。

「会わせる」と言えば、急いで相手の事を気にする必要もなくなるだろう。

 それに結婚すると言えば、変な目で見てこなくなるだろうし。

 継兄との会話が終わった時、冷蔵庫を開けた母が「やだ~!」と大きな声を上げた。

「どうしたの?」

「椎茸と柚子と……」

 言いながら母は慌ててメモを書く。

「買ってきてあげるよ」

「そう? ごめんね。任せたわ」

 話していると、亮平がこちらを見て言った。

「じゃあ俺も行こうかな。テレビつまんないし」

「そうしてくれる? ついでにおやつも沢山買ってきていいわよ。お小遣いあげるから、好きな物買ってきなさい」

 ……母よ。あなたは娘を幾つだと思っているんだ。

 私は心の中で突っ込みを入れつつ、亮平と買い物に行かなければならない事態に溜め息をついた。

「軽い買い物だし、一人でいいよ」

「いや、自分で飲むビールとか買いたいし」

「……そう」

 母は私と亮平が微妙な関係になっている事に、多分気づいていない。

 というか、私が気づかせていない。

 母は再婚した事で私に負い目を持っているから、家ではいつも明るく振る舞い、〝理想の母〟を演じようとしていた。

 夫の元妻と比べられないように、亮平と美奈歩に少しでも好かれるように、けれど私の事も独りぼっちにしないように、本当に気を遣って過ごしている。

〝上村朱里〟になって十年近く経っているけれど、母はいまだ明るく振る舞い続けていた。

 まるで演技していたのが〝地〟になり、定着してしまったかのようだ。

 私はそんな母に心配を掛けたくないから、どんな事があっても口にしないようにしていた。

 痴漢に遭っても言わなかったし、一人暮らしを始めたあと、最寄り駅から家まで誰かにつけられても、決して家族に助けを求めなかった。

 昭人にフラれてボロボロになった時も、母から聞かれるまで黙っていた。

 その代わり恵には何でも相談し、時には恵の男友達にも協力してもらって防犯対策をしていた。

 痴漢やストーカー被害は、本当なら警察に連絡するものだと分かっている。

 でも実際に被害がない限り、警察は動いてくれないというし、実家に連絡がいったら嫌だから相談する事ができなかった。

 今、亮平と微妙な攻防戦をしているのを聞いても、多分母は兄妹のじゃれつき程度にしか思っていないだろう。

「じゃあ、行ってくる」

 溜め息をついた私は脱いだばかりのコートを着て、マフラーを巻く。

 亮平は先に玄関に行き、黒いチェスターコートを羽織り車のキーを手に取っていた。

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