部長と私の秘め事

思い出と対峙する時

 あまりにお金がありすぎても困るけど、彼なら多分、私よりずっとお金について勉強していて、有効的な使い方が分かっているんだろう。

 私は〝自分のもの、お金〟をあまり持っていなくて、涼さんと結婚したらすべてにおいてオマケみたいな存在になってしまうけど、なるべく堂々としていたい。

 彼を狙うセレブの女性たちを前にしたら気が引けるだろうし、嫌みを言われる事もあるかもしれない。

 けど、涼さんはこんな私を好きだと言ってくれて、結婚したいと望んでくれている。

(その気持ちを信じないと)

 自分に言い聞かせた私は努めて微笑み、提案した。

「話は戻りますけど、じゃあ、次の週末とか、お天気が良かったらどこか行きましょうか」

「そうだね!」

 涼さんは嬉しそうに笑い、スマホを開いてスケジュールを確認していく。

 私は彼と予定を擦り合わせつつ、今この瞬間も、朱里が笑顔でいる事を願っていた。



**



 六月下旬になり、ニュースではキャスターが梅雨入りを宣言した。

 土曜日の朝、シトシトと雨が降る様子を窓から見下ろした私――上村朱里は、マンションの敷地内にある庭に植えられた紫陽花を見て溜め息をつく。

「大丈夫か? アンニュイな朱里もいとをかしだけど」

 淹れ立てのコーヒーをテーブルの上に置いた尊さんが、後ろから私を抱き締めてきた。

「ん……」

 私は胸の前に回った腕を抱き、窓ガラスを伝う雫、その向こうに映っている自分の顔を見た。

 いつものようにポンポンと何か言いたかったけれど、なぜか言葉が出てこない。

 まるで喉の奥に何かをギュッと押し込まれ、言葉を封じられたかのようだ。

 しばらく、私はそのまま窓辺に立っていたけれど、外を見て「雨降ってるね」とか「梅雨が始まったね」と言うでもなく、ただ黙ってぼんやりとしていた。

 けれどこのままじゃ、せっかく尊さんが淹れてくれたコーヒーが冷めてしまうと、緩慢になった思考を動かし、モソリと彼の腕の中で体を反転させる。

「ん? 抱っこか?」

「……抱っこ……」

 そのまま私はぎゅー……、と尊さんに抱きついて脱力する。

「よしよし。梅雨時期になって不調が始まったな」

 尊さんは私を抱き上げ、ソファまで連れて行くと私を膝の上に載せたまま「ほれ」とカフェオレのマグカップを渡してくれる。

 彼が自分のマグカップを手にすると、私は小さく「チンチン……」と言って乾杯した。

 尊さんは「ぶふ……っ」と噴き出し、脱力する。

「元気がなくてもお前は愉快な女だよ」

 そのまま、私たちは黙ってコーヒーを飲んでいた。

「……六月病……、なんちゃって」

「カタツムリなら、元気になる時期だけどなぁ」

「んー……」

 私はカフェオレを飲んでカップをテーブルの上に置くと、へちゃりと尊さんに抱きついた。

 そのまま、私はしばらく尊さんの鼓動を感じながら黙っていた。

(分かってる。これは毎年の事で、黙って耐えていたら通り過ぎる事。梅雨時期なんて一か月ぐらい我慢してたら終わる。……一か月なんて毎日一生懸命過ごしてたらすぐだし……)

 自分に言い聞かせながらも、私は尊さんの胸板にぐりぐりと顔を押しつける。

「髪、ボサボサになるぞ」

「……梅雨時期になった時点で、ボンバーヘッドは確定ですよ。尊さんも一緒にボンバー、ミコボン、アカボン」

「……ちょっと可愛いじゃねぇか……」

 尊さんはクスッと笑って、自分のマグカップをテーブルの上に置く。

 私はそのまま、彼に抱きついてうーうーうなっていた。

「しんどいなら、梅雨休暇でも出してやりたいけどなぁ……」

「無理矢理にでも働くから、気が紛れるんですよ。家にいてぼんやりしてたら、もっと色々考えてしまいそうです」

「まぁな。……つらい時ほどがむしゃらに動いていたら、いつか霧が晴れてたって事もある」

 そう言ったあと、尊さんはポンポンと私の後頭部を撫でる。

「でも、つらかったら無理せず泣き言いってくれよ。全部受け止める度量はあるつもりだから」

「ん……」

 私は小さく返事をし、何度目になるか分からない溜め息をつく。

 しばらく尊さんのぬくもりや匂いを感じて自分を落ち着かせていたけれど、自分を叱咤すべく言葉を口にする。
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