部長と私の秘め事
「……温まったか? そろそろのぼせちまうな」

「そうですね」

 本当は髪を洗いたかったけど、メイクを落とさずにお風呂に入ってしまったので、一旦洗面所でメイク落としをするのが先だと思った。

「あぁ~、十年分温まった気がする」

 バスルームから出たあと、私はバスタオルで火照った体を拭きながら言う。

「なんか冷たいもんでも食うか? アイスいくか?」

「いきます! 先日、尊さんが買ってきてくれた、お高いアイス!」

「よしよし、お前は食い気があるほうが健康的でいいよ。『いつもの朱里だな』と思えるから」

「ふふふ」

 私たちはそんな会話をしながら、ボディケアをして下着をつける。

(あーあ、メイクがドロドロだ)

 私は洗面所の鏡に映った自分の顔を見て苦笑いしつつ、ふと思った事を口にした。

「私、学生時代から割とよく食べる感じだったんですが、……多分、あれって寂しさや強いストレスを誤魔化すためだったのかもしれません。……そのまま、今でも幸せな食いしん坊になっていますが」

「ストレスって食に出るよな。俺は食えなくなったタイプだけど」

 尊さんは一旦洗面所から出ると、着替えを持って戻ってきた。

「ほれ、とりあえずいつものワンピース」

「ありがとうございます」

 彼はTシャツを着たあと、デニムのファスナーを上げつつ言う。

「前になんかで見たけど、ストレス発散の術として、理想なのは外に出す発散なんだとさ。カラオケ行ったり、体を動かしたり、行動するタイプ。食べたり買い物をしたり、内に入れるタイプの発散は、結果的には良くないそうだ」

「まぁ、確かに食べ過ぎたら身になりますし、散財したらお金なくなりますしね。……私はなかったけど、好きでもない相手と付き合ってセックスするとか、ホスト屋さんに行くとかお酒、煙草とかギャンブルとか、……そういうのもやり過ぎたら破滅に繋がりますよね。……健全に生きるって難しい~」

 メイクを落としてフェイスケアをしていると、尊さんは私のヘアクリップを取って雨で湿った髪をドライヤーで乾かし、丁寧にブラッシングしてくれる。

「身も心も健康でいるって、簡単なようでいて難しいよな。……どんな人にだって理不尽なつらい出来事って起こるけど、日頃健康な食事をして適度に運動して、ポジティブ思考になれていたら、ダメージをしなやかに回避できるのかもしれない。……でも、心身共に健康な人でも、つらい事はつらいし、そういう人でもある日突然鬱病になるけどな」

「そうですね。……可能な限り、何があっても逐一報告して、一緒に悩んでくれる人がいたら、心の負担は軽くなるのかも。一人で誰にも言わず、抱え込むってしんどいから」

 最後に日焼け止めをつけ、私は「ふぅ」と息を吐く。

「ま、俺たちもこうやって色々実感した訳だし、何でも話し合っていこうぜ。それで、デートしたり美味い飯を食ったりして、笑い合って痛みをごまかしていくんだ」

「はい」

 鏡を見た私は、自分が随分スッキリした表情をしているのを自覚した。

 毎日自分の顔を見ているけれど、なんかこう……、ちょっと変わったように思える。

 今までの自分も嫌いじゃなかったけど、アップデートした自分はもっと好きになれそう。

「さて! アイスが私を待っている!」

「食う気があるなら、今日は特別に二個いってもいいぞ」

「やったね!」





 そのあと、私たちはリビングダイニングで軽快なジャズを聴きながらアイスを食べた。

 尊さんとたわいのない話をして笑い、不意に窓の外を見ると、雨はもう上がっていた。

「あ……、尊さん、虹!」

 窓辺に立った私は、思わずベランダに通じるドアを開け、室内に置いてあるサンダルを履いて外に出る。

「おー……、ホントだ」

 後ろから歩いてきた尊さんも、空を見上げて笑う。

 空はいまだ雲に覆われているものの、雲間から差し込んだ光によって大きな虹ができていた。

「雨が降ったあとは晴れるんですね。綺麗な虹も見られる」

「ベタな言い回しかもしれねぇが、止まない雨はないよ」

「ですね」

 私たちはしばし寄り添って、東京の街並みや虹を眺めていた。

 相変わらず私の苦手な梅雨時期で、雨も紫陽花もてるてる坊主も、すぐに好きになれる気はしないけど、「悪くない」と思えた。



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