部長と私の秘め事

十二年の時を経て

 私は実家に連絡を入れ、翌週の週末に尊さんと一緒に帰省した。

 車に乗って吉祥寺の実家に行ったのは、午前十時半だ。

 休みの日の午前中から申し訳ないけど、母とはちゃんと話しておきたい。

「ちょっとぶりね」

「母の日はサッと来てサッと帰ってごめんね」

 先月の母の日、私は尊さんの車に乗せてもらって一瞬だけ実家に帰り、母の日の花束と贈り物を渡した。

「大丈夫よ。ありがとうね。梅雨時期になってジメジメしてるけど、体調は崩してない?」

 そう尋ねる中に、母がこの時期の私を気遣っているのが分かった。

「朱里ちゃん、篠宮さん、いらっしゃい」

 父も出て来て、その後ろには美奈歩も顔を覗かせている。

 彼女はもう以前みたいに険のある表情をしておらず、笑顔でもないけど、普通に私たちを迎えてくれていた。

 尊さんが手土産のお菓子を渡し、母がコーヒーとお茶菓子を出してくれたあと、私は最近あった事など世間話をしたあとに、慎重に切りだした。

「……あのね、お父さんの事だけど。……澄哉、お父さん」

 実父の名前を出すと、母の表情が微かに強張った。

「先週、上石神井に行ったの。……ずっと思い出せていなかったんだけど、結婚するのにいつまでも過去から逃げてたらいけないと思って」

「……大丈夫だったの?」

 母は気遣わしげに尋ねる。

「……大丈夫、だったかは分からないけど、……全部思い出した。……動揺したけど、尊さんが支えてくれた。……お母さん、お父さんが亡くなったあと、裁判を起こして戦っていたんだね。当時の私、何も覚えてなくて……ごめん」

「ううん、そんな事いいの」

 母は微笑んだあと、「そっか、思い出したのか」と呟くように言い、コーヒーを一口飲んだ。

「思い出してつらかったでしょう。よく頑張ったわね。篠宮さんも、支えてくださり、ありがとうございます」

 そう言った母は少し涙ぐんでいた。

「……お母さん、私、ずっと今まで一人で悲劇のヒロインを演じていて、ごめんなさい。お母さんは生活を支えたり、会社相手に戦ったり、悲しむ暇もなく動き続けていたのに」

「そんな事はいいのよ。二人家族になって、朱里を守れるのは私しかいない。澄哉さんの忘れ形見でもある、大切な朱里を守るためなら何だってできた」

 笑顔でそう言った母を見て、「強いな」と感じた。

 先日女子会で母の話をしていて、恵のところの佳苗さんや、経営者をしているエミリさんのお母さん、美魔女の春日さんのお母さん……、彼女たちに対したらうちの母はほんわりおっとりしていて、あまり強そうじゃないなと思っていた。

 ……いや、母同士戦わせてタッグマッチする訳じゃないけど。

 でも、うちの母は母で、大人しそうに見えてとても芯の強い人だ。

 性格的に人に対してガツガツものを言うタイプじゃないのに、父が務めていた会社を相手に訴訟を起こし、和解金としてかなりの額を得た。

 その傍ら、自暴自棄になっている思春期の娘の面倒をみて、パートに出て働いて、これから先の事も考えないとならなかった。

 母自身、夫を自死で亡くして悲しくて仕方がないはずなのに、悲嘆に明け暮れる事なく現実を見据え、戦い続けた。

 それは、誰にでもできる事じゃないと思う。

 きっと中には、悲しみに溺れて泣き暮らす日々を送る人もいるだろうから。

「……今だから聞くけど、凄く下世話な事を聞いていい? 和解金ってどれぐらいもらったの?」

 尋ねると、母は「んー……」と迷ってから腰を浮かせて口元に手を当て、ヒソヒソ話の体勢をとる。

 私も顔を近づけると、コソッと「一億」と囁かれた。

「…………っ!」

 目をまん丸にした私を見て、母は「しー」と唇の前に人差し指を立てる。

 その時、父が口を開いた。

「僕も若菜さんが和解金をもらった話は聞いていたけど、詳しい金額は知らないし、それでいいと思ってる。それは若菜さんと朱里ちゃんのためのお金で、主に朱里ちゃんの学費、四年制大学に通って就職するまでに使うべきものと思っている。精神的なダメージを受けた母子が保証されるのは当然だと思うし、それとはまったく別に、僕は若菜さんを好きになったから上村家の新しい母になってもらい、扶養下で平和に過ごしてほしいと思っていたんだ。……僕は普通の家庭より稼ぎがある自負があるし、若菜さんの前の家庭の事は置いておいて、自分の家庭は自分で養うと思って今までやってきた」

 今の父の意見も聞き、彼もまたできた人だなと思った。

 これが下世話な男なら、母が得た和解金が幾らなのかを気にし、それにたかろうとしてもおかしくない。

 でも父は「そのお金は今野家のもの」と思って興味を示さなかった。

 その上で、自分は自分で上村家の父親として、家族全員を養う。……その覚悟も、なかなかできないものだと思う。

「……今さらだけど、凄く立派な父と母がいて誇らしい」

 照れながら言うと、両親は嬉しそうに笑った。
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