部長と私の秘め事
「今だから言っておくけど、朱里は何回もお父さんと喧嘩してたわよ。『お父さん嫌い』って言ったら、澄哉さんは『朱里ちゃん、許して~』って朱里をくすぐったり笑わせたりしてた。朱里もそれを分かっていて、本気じゃない『嫌い』を言っていたのよ。……だからね、澄哉さんは前日のあれを何とも思ってない。確信して言えるわ。朱里の『嫌い』は自分への甘えだと分かっているから、絶対にあの言葉が原因な訳がないの」
母に真剣な表情で言われ、幸せな記憶を思い出した私は小さく頷いた。
「……うん。信じる。……でも、冗談であっても、甘えありきでも人に『嫌い』って言うのは良くないね。……今は言わない」
そう言うと、母は微笑んで小さく頷いた。
アルバムは何冊にも渡って私たち親子を写し、とても優しい目線で空や草花、虫や鳥を撮っていた。
ただ木の葉を写しただけなのに、父の写真からは木々を揺らす風を感じ、ザワザワという葉擦れの音、揺れる木漏れ日まで伝わってきそうな作品だった。
「……優しい人だったんだね」
「そうよ。太陽のように明るくて、夏の風みたいに爽やかで、晴れ渡った空のように純粋な人だった。よく人に道を聞かれる人で、困ってそうな白杖の方がいたら自分から声を掛けて、目的地まで送っていったりとかね。ベビーカーを押した女性がいたら、ベビーカーを階段の上まで運んだり、とにかく人助けをする優しい人だった。私の誇りよ」
そんなにいい人が、ブラック企業にこき使われて自ら命を絶ってしまったなんて、悲しすぎる。
小学校の卒業式を迎えた私は、人気女性アイドルのようなショートブレザーにリボン、チェックのスカートを穿いてピースしていた。
その日の夜はご馳走だったみたいで、家族三人、ホールケーキを囲んで笑顔の写真があった。
さらに中学校の入学式、少し成長した私や、家に遊びに来るようになった恵との写真が混じるようになり、――――少ししてからアルバムの写真は途切れた。
分かっていても、〝終わり〟があると思い知るのはつらい。
「澄哉さんの写真はここまでだけど、中学生以降の朱里の写真は、お母さんが撮ってるからね。こう見えても澄哉さんに色々教えてもらったの。彼ほど上手に撮れないけど、記念に撮っておくぐらいならできるわ」
そう言って母は横から別のアルバムを出し、テーブルの上に置いた。
開くと、中学二年生以降の私や恵が写っている。
今までのアルバムとは違い、父を喪ったあとの私は無表情に近かった。
母が再婚するまでの間に住んでいたアパートで、恵が来て一緒に宿題をやったり、カレーを作ったりしたのは覚えている。
夜寝る時は母と同じ部屋に布団を並べて寝て、『プライベートがない』と思いながらも、一人で寝ずに済む事に安堵していた。
それでも母は今思えば裁判やら、掛け持ちした仕事やらで忙しくしていて、夜遅い時は私が食事を作ったりもした。
山梨にいる父方の祖父母、京都にいる母方の祖父母からは、たまにFAXが送られてきて、心配してくれていたのを覚えている。
祖父母は仕送りとして野菜や食べ物などを送ってくれ、手紙に私でも作れそうなレシピを書いてくれていた。
今思うと、確かに色んな人から支えてもらっていた。
でも当時の私は目の前の暗くて細い道しか見えず、周りの景色を認識できていなかったんだろう。
「……京都のお祖母ちゃんは、当時何か言ってた?」
「……そうね。『朱里を連れて一旦こっちに戻ってきたら?』って言われたけど、『もうちょっと頑張ってみる』って言ったの」
母は京都出身で、今は標準語だけどイントネーションが少し違う。
驚いた時とかはあちらの言葉が出てしまったりで、なんとなく京都に憧れを持っている私は、母の優しげな話し方が好きだ。
「今度、篠宮さんも一緒に、京都の実家に行きましょうか。私は実家に泊まるけど、二人はホテル泊にして、空き時間にデートしたら?」
「う……、うん」
私は上ずった声で返事をし、期待の籠もった目で尊さんを見る。
「ぜひお邪魔したいと思います」
「じゃあ、そのうちスケジュールを決めましょうか」
「はい」
それでアルバムを見る流れは終わったけど、私は一つ気になる事があって父に尋ねてみた。
「今さらなんだけど、……もし良かったら前の奥さん……、尚美さんやみんなの写真、見せてもらってもいい?」
そう言うと、父は「勿論」と笑ってアルバムを取りに行った。
家の中には尚美さんを含めた家族写真が飾られてあるけど、再婚したあとの写真もある。
以前も今も家族を大切にしてくれるのはありがたい事だけれど、今までの私は尚美さんの顔を見ると、無意識に申し訳なさを覚えていた。
でも今なら、みんなの〝傷〟を見せ合って、全員で前を向いて歩けるような気がする。
母に真剣な表情で言われ、幸せな記憶を思い出した私は小さく頷いた。
「……うん。信じる。……でも、冗談であっても、甘えありきでも人に『嫌い』って言うのは良くないね。……今は言わない」
そう言うと、母は微笑んで小さく頷いた。
アルバムは何冊にも渡って私たち親子を写し、とても優しい目線で空や草花、虫や鳥を撮っていた。
ただ木の葉を写しただけなのに、父の写真からは木々を揺らす風を感じ、ザワザワという葉擦れの音、揺れる木漏れ日まで伝わってきそうな作品だった。
「……優しい人だったんだね」
「そうよ。太陽のように明るくて、夏の風みたいに爽やかで、晴れ渡った空のように純粋な人だった。よく人に道を聞かれる人で、困ってそうな白杖の方がいたら自分から声を掛けて、目的地まで送っていったりとかね。ベビーカーを押した女性がいたら、ベビーカーを階段の上まで運んだり、とにかく人助けをする優しい人だった。私の誇りよ」
そんなにいい人が、ブラック企業にこき使われて自ら命を絶ってしまったなんて、悲しすぎる。
小学校の卒業式を迎えた私は、人気女性アイドルのようなショートブレザーにリボン、チェックのスカートを穿いてピースしていた。
その日の夜はご馳走だったみたいで、家族三人、ホールケーキを囲んで笑顔の写真があった。
さらに中学校の入学式、少し成長した私や、家に遊びに来るようになった恵との写真が混じるようになり、――――少ししてからアルバムの写真は途切れた。
分かっていても、〝終わり〟があると思い知るのはつらい。
「澄哉さんの写真はここまでだけど、中学生以降の朱里の写真は、お母さんが撮ってるからね。こう見えても澄哉さんに色々教えてもらったの。彼ほど上手に撮れないけど、記念に撮っておくぐらいならできるわ」
そう言って母は横から別のアルバムを出し、テーブルの上に置いた。
開くと、中学二年生以降の私や恵が写っている。
今までのアルバムとは違い、父を喪ったあとの私は無表情に近かった。
母が再婚するまでの間に住んでいたアパートで、恵が来て一緒に宿題をやったり、カレーを作ったりしたのは覚えている。
夜寝る時は母と同じ部屋に布団を並べて寝て、『プライベートがない』と思いながらも、一人で寝ずに済む事に安堵していた。
それでも母は今思えば裁判やら、掛け持ちした仕事やらで忙しくしていて、夜遅い時は私が食事を作ったりもした。
山梨にいる父方の祖父母、京都にいる母方の祖父母からは、たまにFAXが送られてきて、心配してくれていたのを覚えている。
祖父母は仕送りとして野菜や食べ物などを送ってくれ、手紙に私でも作れそうなレシピを書いてくれていた。
今思うと、確かに色んな人から支えてもらっていた。
でも当時の私は目の前の暗くて細い道しか見えず、周りの景色を認識できていなかったんだろう。
「……京都のお祖母ちゃんは、当時何か言ってた?」
「……そうね。『朱里を連れて一旦こっちに戻ってきたら?』って言われたけど、『もうちょっと頑張ってみる』って言ったの」
母は京都出身で、今は標準語だけどイントネーションが少し違う。
驚いた時とかはあちらの言葉が出てしまったりで、なんとなく京都に憧れを持っている私は、母の優しげな話し方が好きだ。
「今度、篠宮さんも一緒に、京都の実家に行きましょうか。私は実家に泊まるけど、二人はホテル泊にして、空き時間にデートしたら?」
「う……、うん」
私は上ずった声で返事をし、期待の籠もった目で尊さんを見る。
「ぜひお邪魔したいと思います」
「じゃあ、そのうちスケジュールを決めましょうか」
「はい」
それでアルバムを見る流れは終わったけど、私は一つ気になる事があって父に尋ねてみた。
「今さらなんだけど、……もし良かったら前の奥さん……、尚美さんやみんなの写真、見せてもらってもいい?」
そう言うと、父は「勿論」と笑ってアルバムを取りに行った。
家の中には尚美さんを含めた家族写真が飾られてあるけど、再婚したあとの写真もある。
以前も今も家族を大切にしてくれるのはありがたい事だけれど、今までの私は尚美さんの顔を見ると、無意識に申し訳なさを覚えていた。
でも今なら、みんなの〝傷〟を見せ合って、全員で前を向いて歩けるような気がする。