部長と私の秘め事
「謝らないでよ。もう十年前の事だよ? っていうか、悪いのはあの継母でしょ? 少し前にニュースになって、ワイドショーを見て大体の事情は分かったけど、君のお母さんに嫉妬して、子供ごと憎んだからありとあらゆる嫌がらせをした……のは一応理解したけど、到底まともな人間のする事じゃない。……女だから、夫の心を奪われた屈辱はある程度察する。でもね、人には超えてはならない一線がある。それを大きく踏み越えて、人としてやってはいけない事を沢山しまくったあの人には、もう何も同情できない」
淀みなく言った宮本さんが、こう言い切れるようになるまで、沢山の葛藤があったと思う。
でも彼女はそれらに折り合いをつけ、尊さんを責めず「あなたは悪くない」と言い聞かせていた。
背筋を伸ばして座った彼女は、まるで太陽に向かって咲く向日葵のようだ。
堂々としていて、決して打ちひしがれない。
太陽を失った時は俯いて種という名の涙を零したかもしれないけれど、光がある以上彼女は上を向いている。
今の彼女にとっての光は、旦那さんと子供、そして広島での生活だ。
その時、パフェとコーヒーが提供され、尊さんはコーヒーを一口飲んでから小さく笑った。
「……本当はもっと責められるかと思った。何を言われても甘んじて受け入れ、謝り倒すつもりでいた。……でも、宮本は変わらないな」
「短い間だったけど、私たちは同僚だった。一緒に仕事をして飲んで、会社の愚痴を言った。上京したてで寂しい想いをしていたけど、君みたいに性別を超えて仲良くなれた友人がいて、本当に楽しかったんだ。私は一度友達と思った人は信じ抜く。どんなに自分がつらい目に遭っても、それを友達のせいにしたりなんかしない」
宮本さんは先ほどから一度も、尊さんの事を〝元彼〟と言っていない。
私に配慮しているのだとしても、ハッキリと線引きして「今はまったく何とも思っていない」と主張しているその姿は潔くて格好良かった。
「私ね、広島で生まれ育って、大人になって上京して色んな目に遭って、またここへ帰ってきた。……広島にいると平和について考える機会が凄く増える。毎年八月に黙祷をしているけど、東京にいた頃は忘れていた事もあった。……この街は一度破壊し尽くされ、それでも蘇った奇跡の街だと思ってる」
私はパフェを食べつつ、宮本さんの話を真剣に聞く。
「ちょっと真面目な話になるけど、原爆投下する場所に広島が選ばれたのも、ざっくりと言ってしまえば〝運が悪かった〟に尽きるじゃない。広島の人たちが他の土地の人より悪い人だった訳じゃない。ただ、空爆目標都市の中で連合軍の捕虜施設がないと思われていたから選ばれただけ。……人生の上で起こる物事って、そういう事が多いんだよ。私は可能な限り人に優しく、善く生きてきたつもりだった。お年寄りには席を譲ったし、困っていそうな人がいたら積極的に声を掛けた。……そうしたら『いつか巡り巡って良い事が起きるよ』って祖母に言われていた」
宮本さんはパフェのアイスを弄びつつ、少し強張った表情で続ける。
「……でも、正直に誠実に生きていれば、いい事が起き続ける訳じゃない。どんな人にも平等に不幸は訪れる。いい人であろうと努力していても、やけっぱちになって悪事に手を染めても、いつか病気になるし、怪我もするし、友達や家族は亡くなる。……自分自身が悪い事に手を染めていたら、自業自得な事も起こるから、なるべく善く生きていたほうがいいと思うけどね」
彼女はそこまで言い、アイスを一口食べてから息を吐く。
「私は自分の身に起こった事を、仕方ない悪運と思うようにした。この街に生きていた人たちだって、『どうして自分がこんな目に』と思ったでしょう。みんな同じ。理不尽な出来事に巻き込まれた時は、大きすぎる運命のうねりに蹂躙されるしかないの。きっかけとなった存在がいるとしても、自分一人じゃ対処しきれない場合もある。……あの時、証拠を掴んで裁判を起こしたとしても、きっと握りつぶされていた。巨額の和解金を渡されて〝なかった事〟にされる。……そして私がどれだけ憤り、悲しみ、絶望を訴えても、君の継母の腐りきった根性がまともになる事はない。それだけは言い切れる」
尊さんは静かに頷いた。
「彼女は今、裁判を受けてるだろうけど『自分は夫を寝取られた』という被害者意識がある以上、心から改心する事はないんじゃないかな。『自分は悪くない』と思う事でしか、あの人は弱い自分の心を守れないんだと思う。……あの人は老舗旅館のお嬢様で、昔から知っている人にとっては〝いい人〟だったと思う。……でも安定した生活を壊されれば、どんな人でも豹変する。彼女はいつ夫に離婚を切り出されるか怯え、君たち家族を異様なまでに見張っていたと思う。常に猜疑心に苛まれ、家族を信じる事ができなかった篠宮怜香は、不幸な人だと思う」
静かに言い切った宮本さんは、とても穏やかな顔をしていた。
「哀れだと思うし、彼女がそこまで堕ちた理由には同情する。……でも私は彼女を許さないし、法の裁きを受ける事になってせいせいしている。君が動いたんだよね? ありがとう」
感謝の言葉を向けられたけれど、尊さんは苦しげな表情で首を横に振った。
「……俺は家族の無念を晴らすために動いただけだ。宮本に危害を加えた事までは、罪を追及しきれていない。……お前が被害者として名乗り出るなら……」
「ううん」
尊さんの言葉の途中で、宮本さんはきっぱりと否定する。
淀みなく言った宮本さんが、こう言い切れるようになるまで、沢山の葛藤があったと思う。
でも彼女はそれらに折り合いをつけ、尊さんを責めず「あなたは悪くない」と言い聞かせていた。
背筋を伸ばして座った彼女は、まるで太陽に向かって咲く向日葵のようだ。
堂々としていて、決して打ちひしがれない。
太陽を失った時は俯いて種という名の涙を零したかもしれないけれど、光がある以上彼女は上を向いている。
今の彼女にとっての光は、旦那さんと子供、そして広島での生活だ。
その時、パフェとコーヒーが提供され、尊さんはコーヒーを一口飲んでから小さく笑った。
「……本当はもっと責められるかと思った。何を言われても甘んじて受け入れ、謝り倒すつもりでいた。……でも、宮本は変わらないな」
「短い間だったけど、私たちは同僚だった。一緒に仕事をして飲んで、会社の愚痴を言った。上京したてで寂しい想いをしていたけど、君みたいに性別を超えて仲良くなれた友人がいて、本当に楽しかったんだ。私は一度友達と思った人は信じ抜く。どんなに自分がつらい目に遭っても、それを友達のせいにしたりなんかしない」
宮本さんは先ほどから一度も、尊さんの事を〝元彼〟と言っていない。
私に配慮しているのだとしても、ハッキリと線引きして「今はまったく何とも思っていない」と主張しているその姿は潔くて格好良かった。
「私ね、広島で生まれ育って、大人になって上京して色んな目に遭って、またここへ帰ってきた。……広島にいると平和について考える機会が凄く増える。毎年八月に黙祷をしているけど、東京にいた頃は忘れていた事もあった。……この街は一度破壊し尽くされ、それでも蘇った奇跡の街だと思ってる」
私はパフェを食べつつ、宮本さんの話を真剣に聞く。
「ちょっと真面目な話になるけど、原爆投下する場所に広島が選ばれたのも、ざっくりと言ってしまえば〝運が悪かった〟に尽きるじゃない。広島の人たちが他の土地の人より悪い人だった訳じゃない。ただ、空爆目標都市の中で連合軍の捕虜施設がないと思われていたから選ばれただけ。……人生の上で起こる物事って、そういう事が多いんだよ。私は可能な限り人に優しく、善く生きてきたつもりだった。お年寄りには席を譲ったし、困っていそうな人がいたら積極的に声を掛けた。……そうしたら『いつか巡り巡って良い事が起きるよ』って祖母に言われていた」
宮本さんはパフェのアイスを弄びつつ、少し強張った表情で続ける。
「……でも、正直に誠実に生きていれば、いい事が起き続ける訳じゃない。どんな人にも平等に不幸は訪れる。いい人であろうと努力していても、やけっぱちになって悪事に手を染めても、いつか病気になるし、怪我もするし、友達や家族は亡くなる。……自分自身が悪い事に手を染めていたら、自業自得な事も起こるから、なるべく善く生きていたほうがいいと思うけどね」
彼女はそこまで言い、アイスを一口食べてから息を吐く。
「私は自分の身に起こった事を、仕方ない悪運と思うようにした。この街に生きていた人たちだって、『どうして自分がこんな目に』と思ったでしょう。みんな同じ。理不尽な出来事に巻き込まれた時は、大きすぎる運命のうねりに蹂躙されるしかないの。きっかけとなった存在がいるとしても、自分一人じゃ対処しきれない場合もある。……あの時、証拠を掴んで裁判を起こしたとしても、きっと握りつぶされていた。巨額の和解金を渡されて〝なかった事〟にされる。……そして私がどれだけ憤り、悲しみ、絶望を訴えても、君の継母の腐りきった根性がまともになる事はない。それだけは言い切れる」
尊さんは静かに頷いた。
「彼女は今、裁判を受けてるだろうけど『自分は夫を寝取られた』という被害者意識がある以上、心から改心する事はないんじゃないかな。『自分は悪くない』と思う事でしか、あの人は弱い自分の心を守れないんだと思う。……あの人は老舗旅館のお嬢様で、昔から知っている人にとっては〝いい人〟だったと思う。……でも安定した生活を壊されれば、どんな人でも豹変する。彼女はいつ夫に離婚を切り出されるか怯え、君たち家族を異様なまでに見張っていたと思う。常に猜疑心に苛まれ、家族を信じる事ができなかった篠宮怜香は、不幸な人だと思う」
静かに言い切った宮本さんは、とても穏やかな顔をしていた。
「哀れだと思うし、彼女がそこまで堕ちた理由には同情する。……でも私は彼女を許さないし、法の裁きを受ける事になってせいせいしている。君が動いたんだよね? ありがとう」
感謝の言葉を向けられたけれど、尊さんは苦しげな表情で首を横に振った。
「……俺は家族の無念を晴らすために動いただけだ。宮本に危害を加えた事までは、罪を追及しきれていない。……お前が被害者として名乗り出るなら……」
「ううん」
尊さんの言葉の途中で、宮本さんはきっぱりと否定する。