部長と私の秘め事
平和記念公園は元安川と太田川によるデルタにある。
二本の川を突っ切るように平和大通り、平和大橋があって車が通行できるようになっている。
公園の入り口には祈りの泉があり、近くに資料館がある。
資料館には広島のジオラマがあり、それに映像を映す形で過去の街並みや、原爆の投下によってどれほどの被害が起こったのか分かるようになっていた。
原爆の爪痕を色濃く残す歴史を見たあと、今もなお献花され続けている慰霊碑や様々な平和に関するモニュメントがある公園を通る。
原爆ドームは三角州の先端の対岸にあり、周囲は柵や生け垣に囲まれて、敷地内に入れないようになっている。
当時の被害をそのままに残した建物の死骸を前にし、私は胸の奥をギュッと握られたような感覚になった。
「生って、常に死の隣にあると思うんだ。私も死のうと思った時期があるから、よく分かる。そのたびにここを思い出して『まだやれる』って自分に言い聞かせた。一瞬にして理不尽に命を奪われる残酷さを思えば、私はまだ選択できるもの」
原爆ドームを見上げながら宮本さんは言い、私の背中をトンと叩く。
「きっとこれから、楽しい事ばかりじゃなく、歳を重ねるごとにつらい出来事も増えると思う。……でも、絶望なら味わった。どん底を知ったと思えるから私は頑張れる」
「……そうですね。死んでしまったら終わりだから」
私は父と、この地で奪われた沢山の命を想い、グッと拳を握った。
見学しているうちに時刻は十五時半になり、敷地内に広島城がある、広島護国神社も案内したいと言われ、そちらに向かう事にした。
広島護国神社は、戦没者を祀った神社だ。
自分の願いを優先するより、まず追悼と日頃の感謝を捧げ、それからこのささやかな幸せと平和が続きますように、と願った。
そのあと、夏目さんたちにご飯に誘われ、平和大通り沿いにあるお店にお邪魔した。
お子さんはまだ四歳と二歳なので、宮本さんのお母さんが迎えに来て、預かってくれた。
一瞬だけ挨拶をしたけれど、宮本さんと雰囲気がそっくりな、細身でキリッとした感じのマダムだった。
お店はどうやら旦那さん――、知樹さんの行きつけらしい。
梁が剥き出しになった木製の屋根がお洒落な、モダンなカウンター席やテーブル席のあるお店で、お肉から牡蠣料理、サラダに揚げ物など、何でもある居酒屋スタイルだ。
生牡蠣は美味しいし、牡蠣フライもお肉も天ぷらも、何でも美味しい。
さんざん食べて飲んで……としたあと、ビールで顔を赤くした宮本さんが笑った。
「今回は来てくれてありがとうね。本当に会えて良かった。私も心の中で一区切りつけられた気がする」
「俺もだ」
尊さんも頷き、私は彼のスッキリした横顔を見て微笑む。
宮本さんはさらに続けた。
「来てくれて本当に感謝してるし、今まで沢山伝えたように、速水くんには感謝はすれど、怒ってなんかない。……でも、もうこれで最後にしよう」
やんわりと告げられ、尊さんも「そうだな」と頷いた。
「俺から連絡した事で、多少なりとも動揺させてしまったと思う。ご家族や土地のお陰で今を生きられていても、俺の存在で過去を振り向かざるを得なかったと思う。本当に申し訳ない。言ってしまえば、誤解を解く事と自己満足のために訪れたと言っていいのに、よく会う気持ちになってくれたと思う。……それに知樹さんだって、俺の事を快く思っていなかっただろうに、よく受け入れてくれたと思います。本当に心から感謝します」
そう言われ、知樹さんは穏やかに笑った。
「凜と出会った時、彼女は人間不信になっていました。海を見てボーッとしていたから、なんだか放っておけなくて。ナンパと思われてもいいから、声を掛けて連絡先を交換して、何回か会っていくうちに少しずつ心を開いていってくれました」
彼は思い出すように目を細め、小さく笑む。
「最初は手が付けられないぐらい動揺していて、衝動的に何かしてしまいそうな感じがあったから、『何かあったら俺を頼って』と言って、精神科に通うのも、夜に心細くなった時も、すべて付き合いました。……そうやって信頼関係ができて、凜に何があったのかを聞きましたが、……彼女は速水さんの事を一言も悪く言っていませんでした。……だから、彼女を傷つけた人たちには怒りを抱いていたけれど、〝東京の気の合う同僚〟には特に怒っていなかったんです」
宮本さんはひたすら「自分はもう大丈夫」と言っていたけれど、こうやって側で支えてきた知樹さんの言葉は重みがある。
このまま綺麗にお別れしても良かったけど、知樹さんとしては「うちの凜はこれだけ傷付いていた」という現実を私たちに知らせたかったんだと思う。
宮本さんは「言わなくていいよ」と夫を小突いていたけれど、知樹さんは動じていない。
二本の川を突っ切るように平和大通り、平和大橋があって車が通行できるようになっている。
公園の入り口には祈りの泉があり、近くに資料館がある。
資料館には広島のジオラマがあり、それに映像を映す形で過去の街並みや、原爆の投下によってどれほどの被害が起こったのか分かるようになっていた。
原爆の爪痕を色濃く残す歴史を見たあと、今もなお献花され続けている慰霊碑や様々な平和に関するモニュメントがある公園を通る。
原爆ドームは三角州の先端の対岸にあり、周囲は柵や生け垣に囲まれて、敷地内に入れないようになっている。
当時の被害をそのままに残した建物の死骸を前にし、私は胸の奥をギュッと握られたような感覚になった。
「生って、常に死の隣にあると思うんだ。私も死のうと思った時期があるから、よく分かる。そのたびにここを思い出して『まだやれる』って自分に言い聞かせた。一瞬にして理不尽に命を奪われる残酷さを思えば、私はまだ選択できるもの」
原爆ドームを見上げながら宮本さんは言い、私の背中をトンと叩く。
「きっとこれから、楽しい事ばかりじゃなく、歳を重ねるごとにつらい出来事も増えると思う。……でも、絶望なら味わった。どん底を知ったと思えるから私は頑張れる」
「……そうですね。死んでしまったら終わりだから」
私は父と、この地で奪われた沢山の命を想い、グッと拳を握った。
見学しているうちに時刻は十五時半になり、敷地内に広島城がある、広島護国神社も案内したいと言われ、そちらに向かう事にした。
広島護国神社は、戦没者を祀った神社だ。
自分の願いを優先するより、まず追悼と日頃の感謝を捧げ、それからこのささやかな幸せと平和が続きますように、と願った。
そのあと、夏目さんたちにご飯に誘われ、平和大通り沿いにあるお店にお邪魔した。
お子さんはまだ四歳と二歳なので、宮本さんのお母さんが迎えに来て、預かってくれた。
一瞬だけ挨拶をしたけれど、宮本さんと雰囲気がそっくりな、細身でキリッとした感じのマダムだった。
お店はどうやら旦那さん――、知樹さんの行きつけらしい。
梁が剥き出しになった木製の屋根がお洒落な、モダンなカウンター席やテーブル席のあるお店で、お肉から牡蠣料理、サラダに揚げ物など、何でもある居酒屋スタイルだ。
生牡蠣は美味しいし、牡蠣フライもお肉も天ぷらも、何でも美味しい。
さんざん食べて飲んで……としたあと、ビールで顔を赤くした宮本さんが笑った。
「今回は来てくれてありがとうね。本当に会えて良かった。私も心の中で一区切りつけられた気がする」
「俺もだ」
尊さんも頷き、私は彼のスッキリした横顔を見て微笑む。
宮本さんはさらに続けた。
「来てくれて本当に感謝してるし、今まで沢山伝えたように、速水くんには感謝はすれど、怒ってなんかない。……でも、もうこれで最後にしよう」
やんわりと告げられ、尊さんも「そうだな」と頷いた。
「俺から連絡した事で、多少なりとも動揺させてしまったと思う。ご家族や土地のお陰で今を生きられていても、俺の存在で過去を振り向かざるを得なかったと思う。本当に申し訳ない。言ってしまえば、誤解を解く事と自己満足のために訪れたと言っていいのに、よく会う気持ちになってくれたと思う。……それに知樹さんだって、俺の事を快く思っていなかっただろうに、よく受け入れてくれたと思います。本当に心から感謝します」
そう言われ、知樹さんは穏やかに笑った。
「凜と出会った時、彼女は人間不信になっていました。海を見てボーッとしていたから、なんだか放っておけなくて。ナンパと思われてもいいから、声を掛けて連絡先を交換して、何回か会っていくうちに少しずつ心を開いていってくれました」
彼は思い出すように目を細め、小さく笑む。
「最初は手が付けられないぐらい動揺していて、衝動的に何かしてしまいそうな感じがあったから、『何かあったら俺を頼って』と言って、精神科に通うのも、夜に心細くなった時も、すべて付き合いました。……そうやって信頼関係ができて、凜に何があったのかを聞きましたが、……彼女は速水さんの事を一言も悪く言っていませんでした。……だから、彼女を傷つけた人たちには怒りを抱いていたけれど、〝東京の気の合う同僚〟には特に怒っていなかったんです」
宮本さんはひたすら「自分はもう大丈夫」と言っていたけれど、こうやって側で支えてきた知樹さんの言葉は重みがある。
このまま綺麗にお別れしても良かったけど、知樹さんとしては「うちの凜はこれだけ傷付いていた」という現実を私たちに知らせたかったんだと思う。
宮本さんは「言わなくていいよ」と夫を小突いていたけれど、知樹さんは動じていない。