部長と私の秘め事
母親の七恵さんは、すぐ『ちょっとご飯食べていきなさいよ~』と誘ってくるし、何なら泊まらせたがる。
俺は大学生時代に物凄く荒れて不摂生をしていたから、彼女には〝栄養状態の悪い犬〟のように思われていたみたいだ。
顔を合わせる機会があったら必ず飯に誘われて、食っている時に『美味しい?』と尋ねられた。
俺の母とはまったくタイプが異なるが、七恵さんに世話を焼かれている時、『母親ってこんな感じだったっけ』と妙な懐かしさを感じる事があった。
三日月家の他の家族たちも、俺が食卓に混じっても嫌な顔一つせず、ずっと前から交流があったように接してくれた。
そういう意味で三日月家には恩があるし、第二の家族的にも思っている。
彼らは人の本質を見抜く目を持っているから、一度「こいつは大丈夫だ」と判断すると、人付き合いの垣根がグッと低くなる。
悪く言えばズケズケと踏み入ってくるタイプだが、一線は守るので決して不快にはならず、気がついたら身内扱いされている不思議な人たちだ。
勿論、彼らのお眼鏡に適わなかった時は、当たり障りなく接されて綺麗に別れ、疎遠になっていくのだと思う。
「……七恵さんと佳苗さんって、気ぃ合いそうだよな」
「ああ、そうだね。名前も似てるしね。……っていうか、母親同士で飲んだら凄い事になりそう」
俺は似た物同士の二人が盛り上がっている様子を想像し、「ぶふっ」と噴き出す。
「家族の要になるのは母親だから、そこが強固に結びつくなら幸いな事だと思う」
「だな。中村家のご家族もみんないい人だから、うちの家族もすぐに仲良くしてくれると信じてる」
家族の話をしていて思い浮かぶのは、うちのどうしようもない父親と、犯罪者になった継母だ。
怜香については血は繋がっていないからどうでもいいが、家族を紹介するにあたって、風磨の印象が悪くならなければいいが……、と少し不安に思っている。
だが上村家の家族も人のできた人たちだし、きっと理解してくれる。
(朱里は一番俺の〝事情〟を理解してくれている。でも結婚式に本当の意味での俺の家族が参列できないのは、何だか申し訳ないな)
上村家はステップファミリーだが、ぎこちない期間はあっても、彼女自身の頑張りもあって、新たに本当の〝家族〟になろうとしている。
それに対して俺は父親との関係が希薄だし、風磨とも微妙、実母と妹は鬼籍に入っている。
篠宮ホールディングスの御曹司で副社長なんて立派な肩書きがあっても、結婚するにあたって胸を張って〝家族〟と言える人がいない。
朱里は「気にしていないし、風磨さんとは関係を構築中だし、速水家の人たちもいる」と言うだろうが、〝普通〟の家族を持っていない事をこんなに引け目に思う日がくると思わなかった。
今の流れで自分の事を考えたからといって、涼や中村さんの家族を羨んでいる訳ではない。
人は人、自分は自分。それぐらいは弁えている。
「みんなで幸せになれたらいいな」
親友に微笑みかけると、涼は笑い返し、ポンポンと俺の背中を叩いてきた。
涼はあえて何も言わないが、家族の話になると俺が自分の境遇を鑑みる癖があると分かっている。
大学生時代に凄まじく荒れて、毒という毒を吐き散らかしたから、今改めて言う事はない。
俺も涼も、刻々と変わっていく現実に対処し、過去に負わされた心の傷が少しずつかさぶたに覆われているのを感じている。
けれどお互いの過去に何があったかは承知しているから、こうやって無言のうちに「分かっている」と励まし合う事ができていた。
(帰国したら、ちえり叔母さんたちと温泉か)
百合さん……、もとい祖母も一緒だというので、少し緊張しているのは否めない。
みんなのお陰で和解できたと思っているし、俺も百合さんも、少しずつ歩み寄ろうとしている。
ただ〝計らい〟で二人きりにされたら、きっと話す事がなくなって困るだろうから、「そうしてくれるなよ」と女性陣に対して祈っている。
(でも、……縁を切られたと思っていた人と、一緒に温泉旅行に行けるなんてな)
少し前の自分なら、信じられなかっただろう。
(本当に、朱里と付き合うようになってから、色々な事が好転していったように思える)
俺はコスメの棚の前ではしゃいでいる彼女を見て、目を細めて笑う。
朱里には感謝してもしきれないし、「愛している」の言葉じゃ済まない感情を抱いている。
(いつまでも二人で笑っていられますように)
心の中で祈ったあと、――いつか彼女に子供が宿る事を考え、そっと微笑んだ。
**