部長と私の秘め事
「……直接祝いの言葉を言えなくてすみません」

 尊さんの言葉を聞いた百合さんは、前を向いたままだったけれど、優しく笑ったのが分かった気がした。

「ありがとう。とても嬉しかったわ」

「どういたしまして」

 車内はほっこりした空気になり、みんな尊さんと百合さんの会話の続きを待っていた。

 尊さんはキュッと私の手を握り、私もそれを握り返す。

 少し絶ったあと、百合さんが話し始めた。

「……とても嬉しいわ。尊が孫として傍にいてくれて、凄く嬉しいの。……でも正直に言うと、私にあなたを孫と呼ぶ資格があるのか分からなくて、嬉しくてこれからも一緒に過ごして、さゆりができなかった分あなたを見守りたいのに、……臆病になっている自分がいるわ。……私は娘と孫を見殺しにしたも同然だから」

「……っ、そんな事ありません!」

 尊さんは強い声で言い、唇を引き結ぶ。

「母は一度も恨み言を口にしませんでした。それが母の誇りです。むしろ、期待に添った生き方をできなかった事を悔いていました。……ですから、決してそんな事を言わないでください」

 そのあと、車内はしばらく沈黙に包まれた。

 やがて、百合さんが絞り出すように言う。

「難しいわね。残るのは後悔ばかり。カッとなって言ってしまった事を、撤回できないと思い知った時の絶望。……あんな事になるなんて思いも寄らなくて、子供が大きくなった頃、いつか歩み寄って和解できると信じていた。……でも、人生ってすべてタイミングの折り重なりだわ。運命の女神の衣を掴み損ねてしまったら、二度と機会は与えられない。……場合によっては再びチャンスを得られる事もあるかもしれないけど、過去に戻れない以上〝同じタイミング〟は絶対にない」

 重たい沈黙のあと、尊さんが言った。

「母と妹を喪った俺の痛みと、娘と孫を喪ったあなたの痛みは同じではありません。……俺自身、数え切れないぐらいの〝もしも〟を考えました。でもあなたが言ったように、時間は戻りません。……死者がどう思っていたかを想像しても、想像の範囲を超える事はないんです」

「……そうね。あなたの言う通りだわ」

 百合さんは溜め息混じりに言う。

「……母の思い出話なら、沢山聞きたいです。俺も、俺の知る記憶を教えたい。……でも、もう嘆いても二人は生き返らない事は受け入れないと。……俺もみんなも、悲しむだけ悲しんだと思います。二十二年経って、今がある。思い出して懐かしむ事はしても、自分を責めるのはやめましょう。……未来の話をするんです」

 私は窓の外を見て涙を流し、尊さんの手を握り続けた。

「……私、もう八十二歳になったわ。未来を見られるかしら」

 寂しげな百合さんの声を聞き、尊さんはしっかりとした声で言った。

「見るんです。……俺が見せます。ひ孫を抱かせて『生きるのが楽しい』『ひ孫の成長を見守れるのが嬉しい』って思わせてみせます」

 彼の言葉を聞いて、私は一人でコクンと頷いた。

 まだ結婚もしていないし、子供の事は分からない。

 誰かのために生む訳じゃないし、私と尊さんの家族を増やし、みんなで幸せに生きていくためだ。

 でも、私たちの子供の誕生を喜んでくれる人がいるなら嬉しいし、成長を見守って幸せを感じてくれるなら、頻繁に挨拶に行きたい。

 私はグスッと洟を啜り、笑って言った。

「すぐに騒がしくなりますよ。子供の成長ってあっという間ですから」

 すると前の席から、同じようにグスッと音が聞こえた。

「……そうね。……歳を取ると弱気になって駄目ね。もっと若い人と接して、未来を見ていかないと」

 私は涙を流しながら笑う。

「大丈夫ですよ! 『上手くいく』って思えばそうなります。気持ちで負けたら駄目なんです!」

 うっかり「気持ちで負けたら特盛りラーメンなんて完食できません」と言いかけたけど、グッと堪えた。私は空気が読める女だ。

「じゃあ、みんなで熊野大社と伊勢神宮で『いい事ありますように』ってお願いしないとね」

 ちえりさんが明るく言い、弥生さんが「神社仏閣だ~い好き!」と喜ぶ。

「二箇所とも、すんごいパワースポットだから、御利益あるといいですね」

 尊さんに言うと、彼は表情を和らげて頷く。

「ああ」

 そのあと、スマホで熊野大社や那智の滝、伊勢神宮などについて調べつつ、とりとめのない明るい話をして過ごした。

 きっとあとでゆっくりと語る時もあるだろうけど、そういうのは夜のほうがいいのかもしれない。



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