部長と私の秘め事
ちなみに御縣彦社の八咫烏が、一代目の神武天皇を熊野から奈良の橿原まで送り届けたあと、石の姿になって休憩しているという烏石も、見えない場所にある。
拝殿の前には煙を浴びる所があり、そこでありがたい煙をパフパフする。
小さく一礼したあとお賽銭を入れ、鈴を鳴らしてから二礼、二拍手、なむなむ……。
(これからも尊さんと一緒にずっと幸せで仲良くいられますように。恵と涼さんも、春日さんと神くんも、エミリさんと風磨さんも、ラブラブでいられますように。家族もみんな健康で長生き、今日一緒に来た百合さんや将馬さん、ちえりさん、大地さん、小牧さん、弥生さんも、みんな健康で幸せでいられますように)
そのあとも思いつく限りの人の名前を列挙し、病気をせず、健康で幸せになれるようお願いした。
最後に忘れずに、一礼。
今は季節外れだけど、桜の時期には後白河天皇が植えた枝垂れ桜、奥州の藤原秀衡が植えた、秀衡桜もある。
そのあと社務所で、両親のために那智の滝の水が入っている延命水守を買った。
どうやら飛瀧神社に運気上昇の強そうなお守りがあるようなので、恵や涼さん、いつもの女子メンバーにはそれを買っていく事にした。
「……お守りもらっても、困りますかね?」
「いいんじゃないか? アンチ神道って訳でもないし。涼も知り合いから色々もらってるけど、『守られてる感があってお得』って言ってた」
「あはは!」
「それによく言われる事だけど、お守りが沢山あっても喧嘩する事はないそうだ。色んな神様がいても、結局は神無月に出雲大社に行く訳だしな」
「なるほど」
そのあと三百円を払って護摩木を買い、願掛けをしながら胎内くぐりをした。
小さなグレーの鳥居をくぐって階段を下っていくと、私でもかなり狭いと思う木の中に入る。
中は木の幹が剥き出しになっているけれど、崩れてこないように金属パイプやプレートなどで補強されてある。
「おおぅ……、思ったより狭い……。つっかえる」
思わず口走りつつも、心の中ではお願い事をし、手すりのついている狭い金属の階段を上がっていく。
「おぉー……」
階段を上がると視界一面にクスノキの緑や立派な枝振りが見え、神聖な気持ちになる。
階段を下りて地上に戻ると、すぐ横手にある絵馬掛所に護摩木を挿し、再度拝む流れだ。
なお、入り口と出口はちゃんと書いてあるので、逆走する心配はない。
長生殿からの絶景を写真に収めたあと、右手奥にある出口から出てすぐにある天台宗のお寺、青岸渡寺に向かった。
青岸渡寺は、西国三十三ヶ所第一番札所だ。
西国三十三ヶ所というのは、お遍路さんのように色んなお寺を回る奴を言うそうで、日本最古の観音様巡礼のルートだ。
西暦七百十八年、徳道上人が病気で生死の淵を彷徨っていた時、閻魔様に会って「苦しんでいる人を救うために、三十三ヶ所の観音様を祀る霊場を開き、巡礼させるようにいいなさい」と言われたそうだ。
どうやらありがたいお経の中で、観音様は人を救うために三十三人に分身していて、それぞれの姿に合わせた説法を持っているらしい。
当時は人々に相手にされなかったけれど、徳道上人が亡くなって約二百七十年後、十九歳の花山法皇によって、再び三十三ヶ所巡りにスポットライトが当たった。
西国三十三ヶ所は、和歌山、大阪、兵庫、京都、奈良、滋賀、岐阜に跨がっている。
理由があって現地に来られない人のために、各地に坂東三十三ヶ所や、秩父三十四ヶ所などの、写し霊場と呼ばれる巡礼路が創られたらしい。
今、神社仏閣が好きな人が集めている御朱印のルーツは、その徳道上人が閻魔様から授かった、三十三個の宝印が起源とされている。
今まで御朱印の意味があまり分からずにいたけれど、三十三ヶ所の宝印(御朱印)を集めると、極楽浄土への通行手形になるようだ。
で、私たちが今いる青岸渡寺は、その一番目のお寺という事になる。なんか凄い。
明治元年に神仏分離令が出され、明治政府は神道を国の支えにする方針にした。
でもそれ以前は千年以上、神仏習合という、仏教も神道も仲良く融合した考えが持たれていた。
熊野もその考えがある場所だったので、このように神社のすぐ横にお寺がある作りになっていて、何なら昔は廊下で繋がっていたそうだ。
那智大社やどこを見ても一面朱塗りの建物ばかりだけど、お寺の境内に入ると一気に茶色になる。
今建っているお堂は豊臣秀吉の弟、秀長によって一五九〇年に建てられたもので、建物としては六代目だそうだ。
国の重要文化財で、世界遺産、日本遺産にも登録されている。
ミコペディアによると単層入母屋造りで、屋根は杉の板を使ったこけら葺き、建物の材料はすべて熊野杉でできているそうだ。
拝殿の前には煙を浴びる所があり、そこでありがたい煙をパフパフする。
小さく一礼したあとお賽銭を入れ、鈴を鳴らしてから二礼、二拍手、なむなむ……。
(これからも尊さんと一緒にずっと幸せで仲良くいられますように。恵と涼さんも、春日さんと神くんも、エミリさんと風磨さんも、ラブラブでいられますように。家族もみんな健康で長生き、今日一緒に来た百合さんや将馬さん、ちえりさん、大地さん、小牧さん、弥生さんも、みんな健康で幸せでいられますように)
そのあとも思いつく限りの人の名前を列挙し、病気をせず、健康で幸せになれるようお願いした。
最後に忘れずに、一礼。
今は季節外れだけど、桜の時期には後白河天皇が植えた枝垂れ桜、奥州の藤原秀衡が植えた、秀衡桜もある。
そのあと社務所で、両親のために那智の滝の水が入っている延命水守を買った。
どうやら飛瀧神社に運気上昇の強そうなお守りがあるようなので、恵や涼さん、いつもの女子メンバーにはそれを買っていく事にした。
「……お守りもらっても、困りますかね?」
「いいんじゃないか? アンチ神道って訳でもないし。涼も知り合いから色々もらってるけど、『守られてる感があってお得』って言ってた」
「あはは!」
「それによく言われる事だけど、お守りが沢山あっても喧嘩する事はないそうだ。色んな神様がいても、結局は神無月に出雲大社に行く訳だしな」
「なるほど」
そのあと三百円を払って護摩木を買い、願掛けをしながら胎内くぐりをした。
小さなグレーの鳥居をくぐって階段を下っていくと、私でもかなり狭いと思う木の中に入る。
中は木の幹が剥き出しになっているけれど、崩れてこないように金属パイプやプレートなどで補強されてある。
「おおぅ……、思ったより狭い……。つっかえる」
思わず口走りつつも、心の中ではお願い事をし、手すりのついている狭い金属の階段を上がっていく。
「おぉー……」
階段を上がると視界一面にクスノキの緑や立派な枝振りが見え、神聖な気持ちになる。
階段を下りて地上に戻ると、すぐ横手にある絵馬掛所に護摩木を挿し、再度拝む流れだ。
なお、入り口と出口はちゃんと書いてあるので、逆走する心配はない。
長生殿からの絶景を写真に収めたあと、右手奥にある出口から出てすぐにある天台宗のお寺、青岸渡寺に向かった。
青岸渡寺は、西国三十三ヶ所第一番札所だ。
西国三十三ヶ所というのは、お遍路さんのように色んなお寺を回る奴を言うそうで、日本最古の観音様巡礼のルートだ。
西暦七百十八年、徳道上人が病気で生死の淵を彷徨っていた時、閻魔様に会って「苦しんでいる人を救うために、三十三ヶ所の観音様を祀る霊場を開き、巡礼させるようにいいなさい」と言われたそうだ。
どうやらありがたいお経の中で、観音様は人を救うために三十三人に分身していて、それぞれの姿に合わせた説法を持っているらしい。
当時は人々に相手にされなかったけれど、徳道上人が亡くなって約二百七十年後、十九歳の花山法皇によって、再び三十三ヶ所巡りにスポットライトが当たった。
西国三十三ヶ所は、和歌山、大阪、兵庫、京都、奈良、滋賀、岐阜に跨がっている。
理由があって現地に来られない人のために、各地に坂東三十三ヶ所や、秩父三十四ヶ所などの、写し霊場と呼ばれる巡礼路が創られたらしい。
今、神社仏閣が好きな人が集めている御朱印のルーツは、その徳道上人が閻魔様から授かった、三十三個の宝印が起源とされている。
今まで御朱印の意味があまり分からずにいたけれど、三十三ヶ所の宝印(御朱印)を集めると、極楽浄土への通行手形になるようだ。
で、私たちが今いる青岸渡寺は、その一番目のお寺という事になる。なんか凄い。
明治元年に神仏分離令が出され、明治政府は神道を国の支えにする方針にした。
でもそれ以前は千年以上、神仏習合という、仏教も神道も仲良く融合した考えが持たれていた。
熊野もその考えがある場所だったので、このように神社のすぐ横にお寺がある作りになっていて、何なら昔は廊下で繋がっていたそうだ。
那智大社やどこを見ても一面朱塗りの建物ばかりだけど、お寺の境内に入ると一気に茶色になる。
今建っているお堂は豊臣秀吉の弟、秀長によって一五九〇年に建てられたもので、建物としては六代目だそうだ。
国の重要文化財で、世界遺産、日本遺産にも登録されている。
ミコペディアによると単層入母屋造りで、屋根は杉の板を使ったこけら葺き、建物の材料はすべて熊野杉でできているそうだ。