部長と私の秘め事
「不安がらなくても、私たちはもう尊くんを受け入れているわ。仲良くなりたい。……ちゃんと叔母と甥になりたいの」
言ったあと、彼女は百合さんを見た。
「……そうね。……私もちゃんと〝祖母と孫〟になりたいわ。誕生日とか、そういう理由がなくても尊がフラッと遊びに来てくれるような、そんな気さくな関係になりたい。……なりたいけど、……まだ罪悪感があるのは事実ね」
彼女は暗い、木立の奥にある海を見る。
「……家の玄関のドアを見ると、最後にさゆりが出て行った時の事を思い出すの。百合の花は大好きなはずなのに、毎年さゆりがプレゼントしてくれた事を思い出すわ。……あの子がピアノの発表会で演奏した『きらきら星変奏曲』を聴くと、涙が出てしまう。……あの時、さゆりはミスをしてしまったけれど、私は最後まで弾き切った事を褒めるべきだった。……でも、……当時の私は『あんな簡単な所でミスするなんて』と怒ってしまったの。……幾つも幾つも、後悔ばかり蘇る。……あの子がつらい思いをして出産した時も、傍にいてあげられなかった。出産後、夫もおらず独りで育児をして大変だったろうに、……拒否される事を恐れて声を掛けられなかった。……『今さら何を言っているの? 母親ぶらないで』って言われるのが恐かったのよ」
百合さんの唇から漏れる本音を聞いて、私は涙を流していた。
「春、尊の顔を見た時、さゆりと顔立ちが似ていてハッとしたわ。深く思考しているような、物言いたげな眼差しがとても似ているの。……それにあの音。……さゆりからピアノを習っていたんでしょうけど、タッチが似ているの。……加えて『きらきら星変奏曲』をミス一つなく引き切った尊を見て、…………さゆりがいるように思えてしまった」
一つだけ言わないと、と思い、私は口出しした。
「尊さんにとって、『きらきら星変奏曲』は特別な曲なんです。ネガティブなイメージのある曲じゃなくて、大切な家族との思い出が詰まった大事な曲です。……妹のあかりちゃんも、いつも『きらきら星』を弾いていました。……さゆりさんは決して、嫌いな曲と思っていなかったと思います。……私はこの程度しか知りませんが、……尊さんに聞いたらもっと教えてくれるんじゃないでしょうか」
沈黙の間、掛け流しのお湯が流れる音が響き、周囲のお湯が風に吹かれて流れる。
「……そうね。『分かってもらいたい〝けど〟』と二の足を踏んでいないで、生きている間にちゃんと会話をすべきだわ」
百合さんの言葉には、とてつもない重みがあった。
「もしお疲れでなかったら、お風呂上がりに尊さんと話してあげてください」
「ええ、ありがとう」
百合さんにお礼を言われ、私はニコッと笑う。
「朱里さんは、尊に優しくしてもらえているの?」
逆に彼女に尋ねられ、私は満面の笑顔で答えた。
「はい! 尊さんいわく、ふくふくの猫にしてもらえてます」
その言葉を聞き、全員が笑う。
「……私、ちょっと前まで、周りすべてが嫌いでツンツンしていたんですが……。まぁー……、気がついたら尊さんに手懐けられて、餌付けもされて、幸せでふくふくにされましたね……」
小牧さんが言った。
「ちょっと前までの尊くんも似たようなものだったし、人って大切なものができると『幸せにしてあげたい』って思うものだから。そのベクトルがお互いに向いたなら最高じゃない? 朱里さんだけふくふくにされたんじゃなくて、尊くんも確実に幸せになってる。……ちょっと前までうちの店に来ていた彼、あの歳で疲れ果てて夢も希望もないって感じだったけど……。最近はすごーく幸せそうなのよね」
私は照れ笑いする。
「それなら……、いいんですが……」
「私が店を開いたのが二十五歳の時でね、最初にお母さんから尊くんを紹介されたのが、高校卒業前かしら。亡くなったさゆり伯母さんの話はたまに聞いていて、その子供……従兄なんだと聞いた時は、他の従兄弟みたいに子供の頃からの付き合いじゃなかったから、違和感はあったわね。……でも凄く痩せていて不幸そうで、『優しくしてあげたいな』って思ったの」
今まで知らなかった尊さんのエピソードを聞け、私は興味津々だ。
「お祖母ちゃんの家にはすぐ連れて行けなくても、東雲家は別だからね。お母さんが尊くんに連絡をつけて連れてきたけど、んまー……、すごーくよそよそしくて、遠慮していて。『自分なんてここにいちゃいけない』って感じだったから、私たち、徹底的に懐かせようとしたわね」
「尊さんこそ野良猫でしたか」
私が「あはは!」と笑うと、みんなも笑う。
「でも何回か会っていくうちに、少しずつ慣れてくれたわ。私が飲食店をやりたいって話をしたら、篠宮ホールディングスに勤めている観点から、色々アドバイスしてくれて。私がお店を出す頃には部長さんになってたわね。その頃から何もかもを諦めた雰囲気があったけれど、朱里さんと付き合い始める直前まで『気にしてる部下がいる』って楽しそうに言ってて」
(わぁ……)
尊さんに惚気(?)られていたと知り、私はニマニマする。
言ったあと、彼女は百合さんを見た。
「……そうね。……私もちゃんと〝祖母と孫〟になりたいわ。誕生日とか、そういう理由がなくても尊がフラッと遊びに来てくれるような、そんな気さくな関係になりたい。……なりたいけど、……まだ罪悪感があるのは事実ね」
彼女は暗い、木立の奥にある海を見る。
「……家の玄関のドアを見ると、最後にさゆりが出て行った時の事を思い出すの。百合の花は大好きなはずなのに、毎年さゆりがプレゼントしてくれた事を思い出すわ。……あの子がピアノの発表会で演奏した『きらきら星変奏曲』を聴くと、涙が出てしまう。……あの時、さゆりはミスをしてしまったけれど、私は最後まで弾き切った事を褒めるべきだった。……でも、……当時の私は『あんな簡単な所でミスするなんて』と怒ってしまったの。……幾つも幾つも、後悔ばかり蘇る。……あの子がつらい思いをして出産した時も、傍にいてあげられなかった。出産後、夫もおらず独りで育児をして大変だったろうに、……拒否される事を恐れて声を掛けられなかった。……『今さら何を言っているの? 母親ぶらないで』って言われるのが恐かったのよ」
百合さんの唇から漏れる本音を聞いて、私は涙を流していた。
「春、尊の顔を見た時、さゆりと顔立ちが似ていてハッとしたわ。深く思考しているような、物言いたげな眼差しがとても似ているの。……それにあの音。……さゆりからピアノを習っていたんでしょうけど、タッチが似ているの。……加えて『きらきら星変奏曲』をミス一つなく引き切った尊を見て、…………さゆりがいるように思えてしまった」
一つだけ言わないと、と思い、私は口出しした。
「尊さんにとって、『きらきら星変奏曲』は特別な曲なんです。ネガティブなイメージのある曲じゃなくて、大切な家族との思い出が詰まった大事な曲です。……妹のあかりちゃんも、いつも『きらきら星』を弾いていました。……さゆりさんは決して、嫌いな曲と思っていなかったと思います。……私はこの程度しか知りませんが、……尊さんに聞いたらもっと教えてくれるんじゃないでしょうか」
沈黙の間、掛け流しのお湯が流れる音が響き、周囲のお湯が風に吹かれて流れる。
「……そうね。『分かってもらいたい〝けど〟』と二の足を踏んでいないで、生きている間にちゃんと会話をすべきだわ」
百合さんの言葉には、とてつもない重みがあった。
「もしお疲れでなかったら、お風呂上がりに尊さんと話してあげてください」
「ええ、ありがとう」
百合さんにお礼を言われ、私はニコッと笑う。
「朱里さんは、尊に優しくしてもらえているの?」
逆に彼女に尋ねられ、私は満面の笑顔で答えた。
「はい! 尊さんいわく、ふくふくの猫にしてもらえてます」
その言葉を聞き、全員が笑う。
「……私、ちょっと前まで、周りすべてが嫌いでツンツンしていたんですが……。まぁー……、気がついたら尊さんに手懐けられて、餌付けもされて、幸せでふくふくにされましたね……」
小牧さんが言った。
「ちょっと前までの尊くんも似たようなものだったし、人って大切なものができると『幸せにしてあげたい』って思うものだから。そのベクトルがお互いに向いたなら最高じゃない? 朱里さんだけふくふくにされたんじゃなくて、尊くんも確実に幸せになってる。……ちょっと前までうちの店に来ていた彼、あの歳で疲れ果てて夢も希望もないって感じだったけど……。最近はすごーく幸せそうなのよね」
私は照れ笑いする。
「それなら……、いいんですが……」
「私が店を開いたのが二十五歳の時でね、最初にお母さんから尊くんを紹介されたのが、高校卒業前かしら。亡くなったさゆり伯母さんの話はたまに聞いていて、その子供……従兄なんだと聞いた時は、他の従兄弟みたいに子供の頃からの付き合いじゃなかったから、違和感はあったわね。……でも凄く痩せていて不幸そうで、『優しくしてあげたいな』って思ったの」
今まで知らなかった尊さんのエピソードを聞け、私は興味津々だ。
「お祖母ちゃんの家にはすぐ連れて行けなくても、東雲家は別だからね。お母さんが尊くんに連絡をつけて連れてきたけど、んまー……、すごーくよそよそしくて、遠慮していて。『自分なんてここにいちゃいけない』って感じだったから、私たち、徹底的に懐かせようとしたわね」
「尊さんこそ野良猫でしたか」
私が「あはは!」と笑うと、みんなも笑う。
「でも何回か会っていくうちに、少しずつ慣れてくれたわ。私が飲食店をやりたいって話をしたら、篠宮ホールディングスに勤めている観点から、色々アドバイスしてくれて。私がお店を出す頃には部長さんになってたわね。その頃から何もかもを諦めた雰囲気があったけれど、朱里さんと付き合い始める直前まで『気にしてる部下がいる』って楽しそうに言ってて」
(わぁ……)
尊さんに惚気(?)られていたと知り、私はニマニマする。