部長と私の秘め事
 名前を呼ぶ声がしてそちらを見ると、髪を下ろし、ゆったりとしたワンピースを身に纏った百合さんがいた。

「……こんばんは」

 俺は会釈をし、テーブルを挟んで彼女の向かいに座る。

「……疲れてませんか?」

「いい温泉に入らせてもらったから、かなりスッキリしたわ。まだまだ元気よ。……と言いたいところだけど、東京に帰ったら少しゆっくり休みましょうかしらね」

「そうしてください。正直、俺も疲れてるので」

「ふふっ、さすがに疲れちゃったわよね」

 笑い合った時、俺はおずおずとショッパーをテーブルの上に載せた。

「……あの、これ。誕生日の贈り物と言ったらあまりに安価かもしれませんが……」

「あら、ありがとう。値段なんて気にしないわ。見てもいい?」

「はい」

 百合さんはショッパーの中から細長い箱と、大きめの箱を出す。

 そして一つを開封し、大きめのアコヤ真珠がついたペンダントを見て「まぁ……」と目を見開く。

「素敵だわ。ありがとう。尊と一緒に伊勢へ来た思い出になるわね」

「フォーマル用も考えたのですが、カジュアルなほうが着けられる機会が多いかと思って」

「考えてくれてありがとう。沢山つけるわ」

 そう言ったあと、彼女はもう一つの贈り物を開封する。

「凄く立派ね」

 百合さんは箱を開けたあと、プチプチの緩衝材を丁寧にとっていく。

 そして中から現れた物を見て目を瞠った。

「ベタかもしれませんが……」

 俺が贈り物にしたのは、オーダーメイドのグランドピアノ型オルゴールだ。

 ピアノタイプの中でも一番櫛歯(くしば)の数が多い三十本の物で、より複雑なメロディーを奏でられる。

 ガラスの中にオルゴール本体があり、余白の部分にはプリザーブドフラワーが入っている。

 事前に職人さんに伝えて希望のメロディーで作ってもらい、ピアノの蓋を開けた部分には金属のプレートで【Happy Birthday Yuri】と彼女の誕生日を刻印してもらった。

「ありがとう、尊」

 彼女がグランドピアノの蓋を開けた瞬間、『きらきら星変奏曲』の序盤にある、シンプルなテーマの直後にある、バリエーション1が流れ始めた。

 百合さんは口を閉ざし、曲が一周するまでオルゴールを聴いていた。

 しずかなホテルのロビーに、まるで星の瞬きそのもののような可憐な音が響いていく。

 やがて彼女はそっと蓋を閉じ、微笑んだ。

「……さっきお風呂で朱里さんとも話していたばかりなの。……私、さゆりが小学一年生の発表会でこの曲を弾いた時、ミスしてしまった事を怒ってしまったわ。……あとになってから『緊張していたから、ちゃんと最後まで弾ききった事を褒めてほしかった』と言われて、とても気まずく思ったの。……でも当時はプライドが高くて、さゆりに謝る事ができなかった」

 それを聞き、俺は念のため尋ねる。

「お気を害してしまいましたか?」

「いいえ。さゆりが弾いた曲は、すべて私の大切な思い出だわ」

 安心した俺はそっと息を吐き、この曲に込めた想いを伝える。

「『きらきら星変奏曲』は、母が大好きだった曲なんです。……小学一年生の時に弾いた曲だとも聞いていました。……七歳の子供にしては、とてもレベルが高くて凄いと思います。自分にもその母の血が流れていると思うと、誇らしくなりました。……母は幼稚園まで自分にとって簡単な曲でしか発表会の場に立てず、『きらきら星変奏曲』の時は少し無理を言って『弾きたい』と希望を通したそうですね?」

「ええ。『あなたにはまだ無理』と言ったけど、食らいついて練習をして結局全曲弾いてしまうものだから、驚いたわ。……だから余計に才能があると思って期待してしまったの」

 百合さんは懐かしそうに、どこか寂しそうに微笑む。

「母は『大人の仲間入りが許された気がした』と言っていました。……だからミスをして怒られた事はさほど気にしていなくて、その曲を舞台で弾けた事自体に大きな価値を見いだしていたんです」

「……そうなの……」

 彼女は驚いたように瞠目し、呟く。

「……確かに教える側としては、ノーミスで完璧に弾ききる事を求めがちです。ですが母は『きらきら星変奏曲』をきっかけに色んな曲にチャレンジする機会を得て、様々な曲を知り、弾ける喜びに満ちあふれていました。本当は学校にも行かず、一日中ピアノを弾いて過ごしたかったほどだと言っていました」

 百合さんは何かの感情を抑えるように、キュッと唇を引き結ぶ。

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