部長と私の秘め事
どうしたらいいか分からないまま、学校に行き習い事をこなし、帰って食事をする。
父がいない時、尊は部屋で食事をするので、顔を合わせる機会もなくなっていく。
俺と尊というボタンは、掛け違えたまま、どんどんずれていってしまった。
同じ家に住む兄弟でも、俺たちは通う学校が違う。
接点がないまま進学し、気になった娘と付き合ったり別れたりを繰り返す。
滅多な事がない限り会話をしなくなった尊は、俺にとって喉に刺さった小骨のような存在になっていた。
尊が大学に進学した時、いい友達と出会ったようで少し安心した。
大学進学と共に一人暮らしを始めていたから、俺と尊の間にはほとんど接点がない。
でも偶然、友人と尊の大学があるエリアに行った時、彼が友人たちと笑っている様子を目にし、ずっと胸につかえていたものがフッと軽くなったのを感じた。
――あぁ、良かった。
――お前、ちゃんと友達できたんだな。
昔は、自分の存在意義のように思っていただろうピアノとどう向き合ったらいいか分からなくなり、練習場で泣いていた尊の声を聞いた事もあった。
――あいつの中に、心の支えはあるんだろうか。
――唯一残された母親との接点であるピアノも、好きで弾いているのではなく、お母さんに叱られないよう、優勝するためのものとなった。
『――――母さん……っ! もうこんな気持ちでピアノを弾きたくない……っ!』
通りがかったから練習場まで尊を迎えに行った時、そんな泣き声が聞こえ、何も言えなくなった俺はそっと玄関から出た。
ボロボロになりつくした尊を知っているから、彼に友人ができたと知った時は、泣きそうなほど嬉しかった。
でも――、母はすべてを壊す。
大学卒業後、尊は海外へ行く事を考えていたようだったが、母はその退路も断った。
そして尊には速水の姓を名乗らせ、篠宮ホールディングスで飼い殺しにすると宣言したのだ。
あの時の、尊の絶望した顔は忘れられない。
資金を作って、語学の勉強もし、海外で生計を立てるための資格や技術も身につけただろうに。
――母さん。どうしてそこまで尊を憎むの?
――子供の頃にあれだけいびったなら、もう十分だろ。
言いたくても、何年も『口を開かない』という選択をした俺は、兄らしく尊を庇ってやる事もできなかった。
――ごめん。何も言えない俺も同罪だ。
無責任で味方にならない父、全力で憎んでくる継母、〝空気〟の継兄。
こんな家族、ないほうが幸せだろう。
俺は表向き〝篠宮ホールディングスの御曹司〟として周囲からチヤホヤされ、幸せそうな生活を送っていながら、心の中では継弟一人救えない自分に絶望していた。
周りと仲良くやるのは得意だ。
さんざん母の顔色を窺って生きてきたから、空気を読むのは上手い。
話している相手がどんな言葉を求めているのか分かるし、依存させず、かといって突き放しもしない、絶妙な加減で付き合っていくと、つかず離れずの友人が大勢できた。
友人が大勢いて〝人気者〟だからといって、幸せな訳じゃない。
大勢の取り巻きがいても空虚な俺と、少人数でも心からの笑顔を見せられる尊。
第三者から見れば俺のほうが幸せそうに見えるのに、本質は真逆になってしまった。
――どうすればいいのかな。
敷かれたレールを進んで篠宮ホールディングスの役員になった俺は、途方に暮れていた。
周りの役員たちは、きちんとした経歴のある〝大人〟ばかりで、七光りで自分たちと同じポストに収まった俺を快く思っていない。
でもいずれ社長になる俺は、そんな彼らと仲良くなっていかなければならないのだ。
そんな中、エミリと出会った。
『……気持ち悪い』
秘書になった彼女と懇親会がてら飲みに行った時、話の途中でポツリとそう言われた。
『……え?』
自慢ではないが、生まれてこの方異性にそんな事を言われた経験のない俺は、ピキッと固まった。
『あ、ごめんなさい。生理的に無理とか、そういう意味じゃないんです』
――生理的に無理。
その言葉もまた、グサッと胸に刺さる。
『……ど、どういう意味?』
彼女は『うーん……』と考えながら、遠慮なく鉄板焼きのステーキを咀嚼し、嚥下してから言った。
『副社長の笑い方って胡散臭いです』
――胡散臭い。
ズドン、と今度は大砲にでも吹っ飛ばされた気分だ。
父がいない時、尊は部屋で食事をするので、顔を合わせる機会もなくなっていく。
俺と尊というボタンは、掛け違えたまま、どんどんずれていってしまった。
同じ家に住む兄弟でも、俺たちは通う学校が違う。
接点がないまま進学し、気になった娘と付き合ったり別れたりを繰り返す。
滅多な事がない限り会話をしなくなった尊は、俺にとって喉に刺さった小骨のような存在になっていた。
尊が大学に進学した時、いい友達と出会ったようで少し安心した。
大学進学と共に一人暮らしを始めていたから、俺と尊の間にはほとんど接点がない。
でも偶然、友人と尊の大学があるエリアに行った時、彼が友人たちと笑っている様子を目にし、ずっと胸につかえていたものがフッと軽くなったのを感じた。
――あぁ、良かった。
――お前、ちゃんと友達できたんだな。
昔は、自分の存在意義のように思っていただろうピアノとどう向き合ったらいいか分からなくなり、練習場で泣いていた尊の声を聞いた事もあった。
――あいつの中に、心の支えはあるんだろうか。
――唯一残された母親との接点であるピアノも、好きで弾いているのではなく、お母さんに叱られないよう、優勝するためのものとなった。
『――――母さん……っ! もうこんな気持ちでピアノを弾きたくない……っ!』
通りがかったから練習場まで尊を迎えに行った時、そんな泣き声が聞こえ、何も言えなくなった俺はそっと玄関から出た。
ボロボロになりつくした尊を知っているから、彼に友人ができたと知った時は、泣きそうなほど嬉しかった。
でも――、母はすべてを壊す。
大学卒業後、尊は海外へ行く事を考えていたようだったが、母はその退路も断った。
そして尊には速水の姓を名乗らせ、篠宮ホールディングスで飼い殺しにすると宣言したのだ。
あの時の、尊の絶望した顔は忘れられない。
資金を作って、語学の勉強もし、海外で生計を立てるための資格や技術も身につけただろうに。
――母さん。どうしてそこまで尊を憎むの?
――子供の頃にあれだけいびったなら、もう十分だろ。
言いたくても、何年も『口を開かない』という選択をした俺は、兄らしく尊を庇ってやる事もできなかった。
――ごめん。何も言えない俺も同罪だ。
無責任で味方にならない父、全力で憎んでくる継母、〝空気〟の継兄。
こんな家族、ないほうが幸せだろう。
俺は表向き〝篠宮ホールディングスの御曹司〟として周囲からチヤホヤされ、幸せそうな生活を送っていながら、心の中では継弟一人救えない自分に絶望していた。
周りと仲良くやるのは得意だ。
さんざん母の顔色を窺って生きてきたから、空気を読むのは上手い。
話している相手がどんな言葉を求めているのか分かるし、依存させず、かといって突き放しもしない、絶妙な加減で付き合っていくと、つかず離れずの友人が大勢できた。
友人が大勢いて〝人気者〟だからといって、幸せな訳じゃない。
大勢の取り巻きがいても空虚な俺と、少人数でも心からの笑顔を見せられる尊。
第三者から見れば俺のほうが幸せそうに見えるのに、本質は真逆になってしまった。
――どうすればいいのかな。
敷かれたレールを進んで篠宮ホールディングスの役員になった俺は、途方に暮れていた。
周りの役員たちは、きちんとした経歴のある〝大人〟ばかりで、七光りで自分たちと同じポストに収まった俺を快く思っていない。
でもいずれ社長になる俺は、そんな彼らと仲良くなっていかなければならないのだ。
そんな中、エミリと出会った。
『……気持ち悪い』
秘書になった彼女と懇親会がてら飲みに行った時、話の途中でポツリとそう言われた。
『……え?』
自慢ではないが、生まれてこの方異性にそんな事を言われた経験のない俺は、ピキッと固まった。
『あ、ごめんなさい。生理的に無理とか、そういう意味じゃないんです』
――生理的に無理。
その言葉もまた、グサッと胸に刺さる。
『……ど、どういう意味?』
彼女は『うーん……』と考えながら、遠慮なく鉄板焼きのステーキを咀嚼し、嚥下してから言った。
『副社長の笑い方って胡散臭いです』
――胡散臭い。
ズドン、と今度は大砲にでも吹っ飛ばされた気分だ。