部長と私の秘め事
『……すまない。どうしても気になったんだ。……君には悪いが、学生時代、私は本気でさゆりと結婚するつもりでいた。さゆりもそのつもりでいて、速水家を出て将来有望だったピアノも辞め、私と結婚するために人生を空けてくれた。……それを知りながら、私は両親が國見家と交わした約束を前に、怜香を選ぶ事になった。……私はさゆりを見捨てたんだ。……だから、彼女の人生に責任を持つべきだと思った』
怜香は唇を震わせ、大きく息を吸う。
『まるで私と結婚したのが、大きな間違いみたいな言い方じゃない』
『……すまない。怜香の事も愛している。……だが、私にはさゆりの人生を壊した責任があるんだ』
『あなたはあの女への未練を、責任という言葉にすり替えて〝いい人〟でいたいだけよ。結婚の約束をしたのに守る事ができず、かといって相手に自由を与える事もできず、二人の女を独占し続ける、最低な男だと自覚したくなかっただけ!』
私は返す言葉もなく項垂れる。
『……私だって、嫉妬に狂う醜い女になんてなりたくなかったわ。……でもプライドが許さなかった! 國見家の令嬢として大切に育てられ、大企業である篠宮ホールディングスの社長夫人になって、幸せな生活ができると思っていた! ……なのに……っ』
怜香は拳を握り、私を睨み付ける。
『相手がただの一般人だったなら、手切れ金でも渡して諦めさせる事ができた。……でも相手は速水家の令嬢よ? 実家から勘当され、私に土下座しても、あの女には失う事のない気品と誇りがあった。安物の服を着ていても、滲み出る育ちの良さがあったわ。彼女は夫を寝取った女で、私は被害者。……分かっていても、どんどん惨めになってくるの。…………っ、あの女には敵わないんじゃないか、って!』
怜香はかすれた声で叫び、バンッと自分の太腿を叩く。
『沢山努力をしたわ。エステに行って、予約をとるのが難しい美容師に担当してもらって、いつも周りの人に〝若々しくて綺麗〟って褒められたわ! ……でもあなたは一度も私を褒めてくれなかった! 私を見てくれなかった!』
『……すまない』
『もう謝らないで! あなたは言葉ばかり謝って、本心ではちっとも悪いなんて思ってない! 気持ちの籠もっていない謝罪を受けても、何にも心に響かないのよ!』
その日はそれで終わり、怜香は立ちあがって退室した。
次に向かった時は、差し入れとして怜香の好きそうな服、本を持って行った。
原則として自殺を防止するため、衣類には紐がついていない物で、本は一日一人三冊までだ。
現金は三万円まで持てるので、追加の三万円を持っていった。
面会室に現れた怜香は、疲れた表情で椅子に座る。
何から言おうか迷っていた時、彼女から口を開いた。
『……最初からあなたが私に興味を持っていなかった事は分かっていた。でも結婚して子供が生まれれば、愛情が育っていくと信じていたのよ。……でもあなたは風磨がどれだけ努力しても無視して、あの女がいる家へ足繁く通い、あの女との間に子供を作った』
まだ感情的にはなっていないが、怜香の声は震えていた。
『私との間には風磨だけなのに、あの女との間には二人も子供を作った。……種を撒くだけだったら、どんな人にでもできるけどね』
怜香はフッと鼻で嗤い、髪を掻き上げる。
『探偵に頼んで、あなたがあの女に与えたマンションの様子を撮影してもらった。楽しそうに生活する母子に、サイレント機能つきのピアノまで買い与えられて……。あなたはあの女の才能に、そこまで惚れていたのね。……あの女が死んだあとも、アレにその遺志を継がせてピアノを習わせた』
怜香は『ふー……っ』と長く息を吐いて続ける。
『三人とも殺したと思っていたのに、アレが生きていたなんて誤算だったわ。……アレが私と風磨の暮らす家に来た時は、怒りでどうにかなるかと思った』
怜香は顔を上げ、宙空を見つめて言う。
『鬼になんてなりたくなかったのよ。私は被害者で、夫を誑かした女を憎み、その間に生まれた子供を憎む権利がある。自分の家に憎い相手が入ってきたなら、安心できる生活と息子を守るために修羅にでもなるわ』
『……伊形社長と浮気したのも、その意趣返し?』
静かに尋ねると、怜香は息を止める。
そしてゆっくり息を吐き、嗤った。
『当たり前でしょう。本当の私は夫に一途で子供に優しい理想の妻よ。浮気するなんてあり得ない。あなたが私に浮気させたの。……伊形さんだって本気じゃなかった事は分かってたけど、少なくとも二人で過ごしていた時は私を女性として大切に扱い、敬ってくれたわ。……彼といる時だけ、自分が価値のある人間だと思えたの。あなたがあの女に浮気した事を正当化するなら、私にだって正当な理由があるわ』
怜香は涙を流し、不器用に笑う。
『國見家で大切に育てられた令嬢を、あなたが〝こう〟したのよ。あなたが私を人殺しにした。私はこうやって捕まり、罪を償うけど、私を犯罪者に仕立てあげたあなたも檻に入るべきだわ』
その言葉を、私は穏やかな気持ちで受け入れる。
『何もかも君の言うとおりだ。何でも言う事を聞く』
すると怜香はクシャリと表情を歪め、ボロボロと涙を零す。
怜香は唇を震わせ、大きく息を吸う。
『まるで私と結婚したのが、大きな間違いみたいな言い方じゃない』
『……すまない。怜香の事も愛している。……だが、私にはさゆりの人生を壊した責任があるんだ』
『あなたはあの女への未練を、責任という言葉にすり替えて〝いい人〟でいたいだけよ。結婚の約束をしたのに守る事ができず、かといって相手に自由を与える事もできず、二人の女を独占し続ける、最低な男だと自覚したくなかっただけ!』
私は返す言葉もなく項垂れる。
『……私だって、嫉妬に狂う醜い女になんてなりたくなかったわ。……でもプライドが許さなかった! 國見家の令嬢として大切に育てられ、大企業である篠宮ホールディングスの社長夫人になって、幸せな生活ができると思っていた! ……なのに……っ』
怜香は拳を握り、私を睨み付ける。
『相手がただの一般人だったなら、手切れ金でも渡して諦めさせる事ができた。……でも相手は速水家の令嬢よ? 実家から勘当され、私に土下座しても、あの女には失う事のない気品と誇りがあった。安物の服を着ていても、滲み出る育ちの良さがあったわ。彼女は夫を寝取った女で、私は被害者。……分かっていても、どんどん惨めになってくるの。…………っ、あの女には敵わないんじゃないか、って!』
怜香はかすれた声で叫び、バンッと自分の太腿を叩く。
『沢山努力をしたわ。エステに行って、予約をとるのが難しい美容師に担当してもらって、いつも周りの人に〝若々しくて綺麗〟って褒められたわ! ……でもあなたは一度も私を褒めてくれなかった! 私を見てくれなかった!』
『……すまない』
『もう謝らないで! あなたは言葉ばかり謝って、本心ではちっとも悪いなんて思ってない! 気持ちの籠もっていない謝罪を受けても、何にも心に響かないのよ!』
その日はそれで終わり、怜香は立ちあがって退室した。
次に向かった時は、差し入れとして怜香の好きそうな服、本を持って行った。
原則として自殺を防止するため、衣類には紐がついていない物で、本は一日一人三冊までだ。
現金は三万円まで持てるので、追加の三万円を持っていった。
面会室に現れた怜香は、疲れた表情で椅子に座る。
何から言おうか迷っていた時、彼女から口を開いた。
『……最初からあなたが私に興味を持っていなかった事は分かっていた。でも結婚して子供が生まれれば、愛情が育っていくと信じていたのよ。……でもあなたは風磨がどれだけ努力しても無視して、あの女がいる家へ足繁く通い、あの女との間に子供を作った』
まだ感情的にはなっていないが、怜香の声は震えていた。
『私との間には風磨だけなのに、あの女との間には二人も子供を作った。……種を撒くだけだったら、どんな人にでもできるけどね』
怜香はフッと鼻で嗤い、髪を掻き上げる。
『探偵に頼んで、あなたがあの女に与えたマンションの様子を撮影してもらった。楽しそうに生活する母子に、サイレント機能つきのピアノまで買い与えられて……。あなたはあの女の才能に、そこまで惚れていたのね。……あの女が死んだあとも、アレにその遺志を継がせてピアノを習わせた』
怜香は『ふー……っ』と長く息を吐いて続ける。
『三人とも殺したと思っていたのに、アレが生きていたなんて誤算だったわ。……アレが私と風磨の暮らす家に来た時は、怒りでどうにかなるかと思った』
怜香は顔を上げ、宙空を見つめて言う。
『鬼になんてなりたくなかったのよ。私は被害者で、夫を誑かした女を憎み、その間に生まれた子供を憎む権利がある。自分の家に憎い相手が入ってきたなら、安心できる生活と息子を守るために修羅にでもなるわ』
『……伊形社長と浮気したのも、その意趣返し?』
静かに尋ねると、怜香は息を止める。
そしてゆっくり息を吐き、嗤った。
『当たり前でしょう。本当の私は夫に一途で子供に優しい理想の妻よ。浮気するなんてあり得ない。あなたが私に浮気させたの。……伊形さんだって本気じゃなかった事は分かってたけど、少なくとも二人で過ごしていた時は私を女性として大切に扱い、敬ってくれたわ。……彼といる時だけ、自分が価値のある人間だと思えたの。あなたがあの女に浮気した事を正当化するなら、私にだって正当な理由があるわ』
怜香は涙を流し、不器用に笑う。
『國見家で大切に育てられた令嬢を、あなたが〝こう〟したのよ。あなたが私を人殺しにした。私はこうやって捕まり、罪を償うけど、私を犯罪者に仕立てあげたあなたも檻に入るべきだわ』
その言葉を、私は穏やかな気持ちで受け入れる。
『何もかも君の言うとおりだ。何でも言う事を聞く』
すると怜香はクシャリと表情を歪め、ボロボロと涙を零す。