部長と私の秘め事
『あなたはそうやって……っ! ~~~~っ、私が何を言っても、あなたは変わらないのよ!』
何でも怜香の言う事を聞くと言っているのに、なぜ彼女がそんなに泣いているのか分からない。
『怜香が出所するまで待っている。罪を償ったあと、二人で生きていこう』
優しく声を掛けると、怜香は潤んだ目で私を見つめ、とても悲しそうに顔を左右に振り、声を上げて泣いた。
**
父の話を聞き、俺――篠宮風磨は、〝何もしない〟事はここまで人を追い詰めるかと、改めて知った。
父は自分で語った通り、浮気した事を『悪い』と思っているのだろう。
母に対する罪悪感も持っている。
父は母のもとへ何度も通い、数え切れないぐらい謝っているのに、父が謝るほど母の精神は追い詰められているように感じられた。
目の前の父は憔悴しているように見えるが、一連の騒動で心の底から申し訳なく思い、罪悪感を抱いているようには思えない。
我が父ながら、彼を見ているととても恐ろしくなる。
父は自分のどんな振る舞いが母を傷つけ、あそこまで駆り立てたのか、分かっているようで根本的な部分ではまったく理解していないのだろう。
まるで、父の中に底知れないうつろな闇があるようだ。
父は母の事を心の底から愛していないし、きっと俺の事も対して大事に想っていない。
かといって、尊が大切という訳でもない。
もっと尊を愛しているなら、皆がこの家で暮らしていた時、母の攻撃から尊を庇っていただろう。
一見、誰にも興味がなく、何も大切にしているものがないように思える父だが、恐らく彼が最も大事に守っているのは、学生時代のさゆりさんとの思い出ではないだろうか。
彼女と肉体関係を持つ前の、清らかな時間。
生徒会で一緒に過ごし、空き時間に音楽室でさゆりさんのピアノを聴いた、もう取り戻せない美しくも儚い記憶。
父はそれを再び得たいがために、一度は手放したさゆりさんに固執し、彼女は別の道を歩もうとしていたのに引きずり寄せ、犯し、子供を作る事で自分のもとに繋ぎ止めたのだ。
――一番の加害者は、父だ。
『……俺は、父さんの事が怖い』
そう言うと、父は意外そうに目を見開く。
『父さんは今まで自分が、どれだけの人を傷つけてきたか、本当に分かっているのか?』
『自覚している。だから離婚せずにお母さんが出所するまで待ち、そのあとも一緒に生きていくつもりだ』
『……それは本当に、お母さんへの償いになると思っている?』
『怜香はプライドが高い。犯罪を犯して離婚され、実家に戻るとなれば、地元で生きていけなくなるだろう』
『養ってあげる事で、〝自分はいい人だ〟って酔ってない?』
珍しく、俺は棘のある言い方をしていた。
だが父は怒った様子もなく、不思議そうに俺を見つめている。
そんな父を見ていると、今まで感じた事のない怒りが湧いてくる。
『父さんはただ、もう取り戻せない昔の思い出に縋っているだけだよ。決断力がないから、さゆりさんにプロポーズしておきながら、その意志を貫き通す事もできない。結婚したお母さんに生涯を捧げる事もできない。子供たちの〝父親〟になる事もできない。……残酷なフリ方をしておきながら、未練のあるさゆりさんをストーカーし、押しかけて彼女を犯した。……犯して子供を作り、経済的に囲ってしまえば、彼女は他の男性を頼る事ができなくなる。…………残酷だよ』
『……確かに風磨の言う通りだが、子供ができても責任はとっている』
『金を出す事だけが〝責任〟じゃないよ! 俺は父さんから愛されていると一度も感じた事はない。金だけはふんだんに使ってもらったから、不自由はしなかった。それには感謝している。父さんが多忙なのは分かっていたし、寂しくても我慢するしかないと思ってた。…………でも、今自分が社長になって実感したけど、篠宮ホールディングス規模の社長になっても、家庭を大切にする時間は捻出できる。食後にでも、学校で何があったのか、子供から話を聞く事ぐらいできる!』
今俺が口にしているのは、かつて子供だった自分が父にしてほしかった事だ。
してもらえなかったから怒っているというより、そんな簡単な事すらせず、〝父親〟という立場を放棄していた父に苛立っている。
『そこまでさゆりさんが大切で、生ませた子供なら、尊が母さんから陰湿ないじめを受けている時に少しでも庇うべきだったんだ。俺たち兄弟に愛情の差をつけなかったのは、まだマシだ。……でも父さんは、愛情の差をつけなかったというより、つけられなかったんだ。…………父さんは俺たち家族三人、誰の事も愛していない。……あなたが大切にしているのは、少年時代の思い出だけだ』
知らない間に、俺は涙を零していた。
何でも怜香の言う事を聞くと言っているのに、なぜ彼女がそんなに泣いているのか分からない。
『怜香が出所するまで待っている。罪を償ったあと、二人で生きていこう』
優しく声を掛けると、怜香は潤んだ目で私を見つめ、とても悲しそうに顔を左右に振り、声を上げて泣いた。
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父の話を聞き、俺――篠宮風磨は、〝何もしない〟事はここまで人を追い詰めるかと、改めて知った。
父は自分で語った通り、浮気した事を『悪い』と思っているのだろう。
母に対する罪悪感も持っている。
父は母のもとへ何度も通い、数え切れないぐらい謝っているのに、父が謝るほど母の精神は追い詰められているように感じられた。
目の前の父は憔悴しているように見えるが、一連の騒動で心の底から申し訳なく思い、罪悪感を抱いているようには思えない。
我が父ながら、彼を見ているととても恐ろしくなる。
父は自分のどんな振る舞いが母を傷つけ、あそこまで駆り立てたのか、分かっているようで根本的な部分ではまったく理解していないのだろう。
まるで、父の中に底知れないうつろな闇があるようだ。
父は母の事を心の底から愛していないし、きっと俺の事も対して大事に想っていない。
かといって、尊が大切という訳でもない。
もっと尊を愛しているなら、皆がこの家で暮らしていた時、母の攻撃から尊を庇っていただろう。
一見、誰にも興味がなく、何も大切にしているものがないように思える父だが、恐らく彼が最も大事に守っているのは、学生時代のさゆりさんとの思い出ではないだろうか。
彼女と肉体関係を持つ前の、清らかな時間。
生徒会で一緒に過ごし、空き時間に音楽室でさゆりさんのピアノを聴いた、もう取り戻せない美しくも儚い記憶。
父はそれを再び得たいがために、一度は手放したさゆりさんに固執し、彼女は別の道を歩もうとしていたのに引きずり寄せ、犯し、子供を作る事で自分のもとに繋ぎ止めたのだ。
――一番の加害者は、父だ。
『……俺は、父さんの事が怖い』
そう言うと、父は意外そうに目を見開く。
『父さんは今まで自分が、どれだけの人を傷つけてきたか、本当に分かっているのか?』
『自覚している。だから離婚せずにお母さんが出所するまで待ち、そのあとも一緒に生きていくつもりだ』
『……それは本当に、お母さんへの償いになると思っている?』
『怜香はプライドが高い。犯罪を犯して離婚され、実家に戻るとなれば、地元で生きていけなくなるだろう』
『養ってあげる事で、〝自分はいい人だ〟って酔ってない?』
珍しく、俺は棘のある言い方をしていた。
だが父は怒った様子もなく、不思議そうに俺を見つめている。
そんな父を見ていると、今まで感じた事のない怒りが湧いてくる。
『父さんはただ、もう取り戻せない昔の思い出に縋っているだけだよ。決断力がないから、さゆりさんにプロポーズしておきながら、その意志を貫き通す事もできない。結婚したお母さんに生涯を捧げる事もできない。子供たちの〝父親〟になる事もできない。……残酷なフリ方をしておきながら、未練のあるさゆりさんをストーカーし、押しかけて彼女を犯した。……犯して子供を作り、経済的に囲ってしまえば、彼女は他の男性を頼る事ができなくなる。…………残酷だよ』
『……確かに風磨の言う通りだが、子供ができても責任はとっている』
『金を出す事だけが〝責任〟じゃないよ! 俺は父さんから愛されていると一度も感じた事はない。金だけはふんだんに使ってもらったから、不自由はしなかった。それには感謝している。父さんが多忙なのは分かっていたし、寂しくても我慢するしかないと思ってた。…………でも、今自分が社長になって実感したけど、篠宮ホールディングス規模の社長になっても、家庭を大切にする時間は捻出できる。食後にでも、学校で何があったのか、子供から話を聞く事ぐらいできる!』
今俺が口にしているのは、かつて子供だった自分が父にしてほしかった事だ。
してもらえなかったから怒っているというより、そんな簡単な事すらせず、〝父親〟という立場を放棄していた父に苛立っている。
『そこまでさゆりさんが大切で、生ませた子供なら、尊が母さんから陰湿ないじめを受けている時に少しでも庇うべきだったんだ。俺たち兄弟に愛情の差をつけなかったのは、まだマシだ。……でも父さんは、愛情の差をつけなかったというより、つけられなかったんだ。…………父さんは俺たち家族三人、誰の事も愛していない。……あなたが大切にしているのは、少年時代の思い出だけだ』
知らない間に、俺は涙を零していた。