部長と私の秘め事
「子供じゃないし、『私以外の人を見ないで』とか、『新しい友達なんて作らないで』なんて言わないよ? そこまで朱里を束縛したくない。……でも私は最初に違和感があるって言ったし、〝彼〟も同じ事を言ったんでしょ? 朱里の事を一番に思う、アカリストの言葉をもっと信じてほしい」
「んふふっ、アカリスト」
私は思わず笑顔になる。
「朱里の場合さ、〝彼〟に近づきたがる人もいるだろうし、そんな〝彼〟に選ばれた朱里に嫉妬する女もいるだろうし、周りにいる奴らに簡単に気を許しちゃいけないんだよ。……朱里は学生時代、友達とキャッキャウフフできる精神状態になかったから、やっと心の平和が訪れた今、凄くのびのび生きられて、色んな事に意欲を持っていると思う。新しい事をしたいし、もっと色んな人と関わりたいと思っているでしょ」
確かに恵の言う通りで、私はパスタをモグモグしつつ頷いた。
「でも、もう少し自分の立場を自覚したほうがいいよ。私の知ってる人たちは、みんな朱里と〝彼〟が上手くいくよう願ってる。二人とも、一筋縄じゃいかない人生を送ってきたから、本当に幸せになってほしいんだよ。……なのに、変な奴に二人の邪魔をしてほしくない。今、朱里たちは長年の悩みから解放されて、本当の幸せを掴みつつある。……でもそういう、運気的なものが上昇してる時に限って、それにあやかろうっていう人が近づいてくる。全員がそうとは言わないけど、そういう人もいるから気をつけてほしいって話」
「……うん、分かった」
理解を示すと、恵は安心したようにまたスプーンを持つ。
「ぶっちゃけ、私はあの人の事好きじゃない。さも朱里の事を理解したい、好意を持ってるっていう態度をとりながら、微妙に引っ掛かる事を言ってる。本当に誰かに好意を持って仲良くなりたいなら、敬意を持って言葉には気をつけるもんだよ。……ワンチャン、つい要らない事を言ってしまう性格で、好意は本物だとする。……でも、要らん事をポロッと言う人は、トラブルしか生まないよ? 『つい』とか『思わず』って言い訳しても、〝そう〟思ったのは事実なんだから。大人は本音を隠して、他人と上手く合わせてなんぼ。それができない人とはあまり付き合わないほうがいい」
「……そうだね」
「綾子さんも、ちょっとクセのある人だけど、私たちそれなりに上手くやってたじゃん。そやって、思うところはあっても、上手くやれるのが大人なんだよ。本音を漏らして相手を不快にさせるのは、気持ち良く付き合える相手じゃない」
「確かに」
昨晩尊さんに言われ、恵にも改めて言われて、気持ちが固まった。
「あとね、涼子から伝言」
恵はあえて周囲に彼氏と悟られないように、〝涼子〟の名前を使ったけど、私はブハッと噴き出してしまった。
恵はそんな私を見てニヤニヤしつつ、胸ポケットから折り畳んだメモを出し、テーブルの上に滑らせる。
「見てもいいの?」
「あげるよ。あの人なりの金言だから、ありがたく受け取っておきな」
言われてメモを開くと、こう書いてあった。
【Count your blessings.】
「……あなたの祝福を数えなさい?」
直訳して呟くと、恵は中華丼をモリモリ食べ、嚥下してから教えてくれる。
「英語のことわざで、足りないものばかりに目を向けるんじゃなくて、今自分の手元にある幸せを数えて、実感しなさいって意味らしい。……朱里はもう、十分に幸せなんだよ」
その言葉を聞いた瞬間、目の奥が熱くなった。
「ちょ、待って……」
私はフォークとスプーンを置き、俯いて目を瞬かせる。
きっと最後の言葉は恵のものなんだろうけど、思いの外響いてしまった。
「ま、日本風に言えば『足るを知る』かな。……京都の龍安寺を思い出しなよ」
言われた途端、脳裏につくばいが思い浮かぶ。
【吾唯足知】
円形のつくばい――茶室に入る前に手や口を清める手水鉢の中央は正方形に掘られ、そこに水が貯まっている。
そして中央の四角を漢字の一部に当てはめ、上下左右に漢字の残りが書いてあるのだ。
子供の頃、祖母に連れられて意味を教えてもらい、そのあとも何度も龍安寺を訪れた。
――分かっているようで、分かっていなかった。
「……そうだね。私はもう幸せなんだ」
目元を拭い、顔を上げると、恵が微笑んでいる。
こんなに私を想ってくれている親友がいて、婚約者もいて、立派なおうちがあって、涼さんみたいに凄い人からも金言をもらえる私は、十分に幸せだ。
「……私、最近になって色んな願いが叶うようになって、『もっと、もっと』って強欲になっていたのかも」
「気持ちは分かるよ。朱里は愛情に飢えていたし、不安に怯えず、安心できる生活を求めていた。形のないものを欲し続けていたんだよ。ご両親が愛情不足だったと言いたいんじゃなくて、色々あって今まで『愛されてる』って実感を得て満足する事がなかったんじゃない? だからより沢山の繋がり、深い繋がりを求めてしまうんじゃないかな。……でも、さっきも言ったように、今の自分を落ち着いて見つめてみな? 思ってるより悪くないから。だから、焦って幸せ探しをしなくていいんだよ」
「……うん」
そのあと、私は少しポーッとしつつ、パスタを食べ進めた。
「んふふっ、アカリスト」
私は思わず笑顔になる。
「朱里の場合さ、〝彼〟に近づきたがる人もいるだろうし、そんな〝彼〟に選ばれた朱里に嫉妬する女もいるだろうし、周りにいる奴らに簡単に気を許しちゃいけないんだよ。……朱里は学生時代、友達とキャッキャウフフできる精神状態になかったから、やっと心の平和が訪れた今、凄くのびのび生きられて、色んな事に意欲を持っていると思う。新しい事をしたいし、もっと色んな人と関わりたいと思っているでしょ」
確かに恵の言う通りで、私はパスタをモグモグしつつ頷いた。
「でも、もう少し自分の立場を自覚したほうがいいよ。私の知ってる人たちは、みんな朱里と〝彼〟が上手くいくよう願ってる。二人とも、一筋縄じゃいかない人生を送ってきたから、本当に幸せになってほしいんだよ。……なのに、変な奴に二人の邪魔をしてほしくない。今、朱里たちは長年の悩みから解放されて、本当の幸せを掴みつつある。……でもそういう、運気的なものが上昇してる時に限って、それにあやかろうっていう人が近づいてくる。全員がそうとは言わないけど、そういう人もいるから気をつけてほしいって話」
「……うん、分かった」
理解を示すと、恵は安心したようにまたスプーンを持つ。
「ぶっちゃけ、私はあの人の事好きじゃない。さも朱里の事を理解したい、好意を持ってるっていう態度をとりながら、微妙に引っ掛かる事を言ってる。本当に誰かに好意を持って仲良くなりたいなら、敬意を持って言葉には気をつけるもんだよ。……ワンチャン、つい要らない事を言ってしまう性格で、好意は本物だとする。……でも、要らん事をポロッと言う人は、トラブルしか生まないよ? 『つい』とか『思わず』って言い訳しても、〝そう〟思ったのは事実なんだから。大人は本音を隠して、他人と上手く合わせてなんぼ。それができない人とはあまり付き合わないほうがいい」
「……そうだね」
「綾子さんも、ちょっとクセのある人だけど、私たちそれなりに上手くやってたじゃん。そやって、思うところはあっても、上手くやれるのが大人なんだよ。本音を漏らして相手を不快にさせるのは、気持ち良く付き合える相手じゃない」
「確かに」
昨晩尊さんに言われ、恵にも改めて言われて、気持ちが固まった。
「あとね、涼子から伝言」
恵はあえて周囲に彼氏と悟られないように、〝涼子〟の名前を使ったけど、私はブハッと噴き出してしまった。
恵はそんな私を見てニヤニヤしつつ、胸ポケットから折り畳んだメモを出し、テーブルの上に滑らせる。
「見てもいいの?」
「あげるよ。あの人なりの金言だから、ありがたく受け取っておきな」
言われてメモを開くと、こう書いてあった。
【Count your blessings.】
「……あなたの祝福を数えなさい?」
直訳して呟くと、恵は中華丼をモリモリ食べ、嚥下してから教えてくれる。
「英語のことわざで、足りないものばかりに目を向けるんじゃなくて、今自分の手元にある幸せを数えて、実感しなさいって意味らしい。……朱里はもう、十分に幸せなんだよ」
その言葉を聞いた瞬間、目の奥が熱くなった。
「ちょ、待って……」
私はフォークとスプーンを置き、俯いて目を瞬かせる。
きっと最後の言葉は恵のものなんだろうけど、思いの外響いてしまった。
「ま、日本風に言えば『足るを知る』かな。……京都の龍安寺を思い出しなよ」
言われた途端、脳裏につくばいが思い浮かぶ。
【吾唯足知】
円形のつくばい――茶室に入る前に手や口を清める手水鉢の中央は正方形に掘られ、そこに水が貯まっている。
そして中央の四角を漢字の一部に当てはめ、上下左右に漢字の残りが書いてあるのだ。
子供の頃、祖母に連れられて意味を教えてもらい、そのあとも何度も龍安寺を訪れた。
――分かっているようで、分かっていなかった。
「……そうだね。私はもう幸せなんだ」
目元を拭い、顔を上げると、恵が微笑んでいる。
こんなに私を想ってくれている親友がいて、婚約者もいて、立派なおうちがあって、涼さんみたいに凄い人からも金言をもらえる私は、十分に幸せだ。
「……私、最近になって色んな願いが叶うようになって、『もっと、もっと』って強欲になっていたのかも」
「気持ちは分かるよ。朱里は愛情に飢えていたし、不安に怯えず、安心できる生活を求めていた。形のないものを欲し続けていたんだよ。ご両親が愛情不足だったと言いたいんじゃなくて、色々あって今まで『愛されてる』って実感を得て満足する事がなかったんじゃない? だからより沢山の繋がり、深い繋がりを求めてしまうんじゃないかな。……でも、さっきも言ったように、今の自分を落ち着いて見つめてみな? 思ってるより悪くないから。だから、焦って幸せ探しをしなくていいんだよ」
「……うん」
そのあと、私は少しポーッとしつつ、パスタを食べ進めた。