部長と私の秘め事
『……何よ』
怜香は冷笑し、食事の続きを口にする。
『管理職と人事では情報を共有していたけれど、あなたは平社員だし、知らなくても仕方がないでしょう』
そう言ったあと、怜香は邪悪な笑みを浮かべた。
『あなたみたいな未熟な人が、女性を幸せにできると思わないで。私が母親として、相応しい女性を見つけるまで、誰ともお付き合いしてはなりませんよ』
言われて、すぐに理解した。
頭に浮かんだのは、今まで俺に近寄っては、何も言わず去っていった女性たちの顔だ。
最初、彼女たちは俺を好きだと言って寄ってきた。
それが、なぜいきなり離れた?
五人と付き合えば、五人全員が大した理由もなく去っていった。
俺を憎んで悪い噂を流すでもなく、いきなり興味を失ったようにスッと消えた。
学校内ですれ違っても空気のように無視され、宮本に至ってはいなくなってしまった。
――すべて、怜香の差し金だとしたら?
『……あなたがやったんですか……』
低く呟いた俺の声を聞き、継母は目を細めて笑った。
『はした金を掴ませた程度で別れるなら、大してあなたの事を好きじゃなかったのよ。あなたのような人と付き合うより、お金やブランドバッグを選んだほうが現実的でしょう? あなたより将来性のある男性を紹介したら、目をハートにして鞍替えした子もいたわね。女性なんてそんなものよ。騙されたあなたが悪いけど』
そう言って怜香は軽やかに笑った。父と風磨は押し黙り、食事を続けている。
『…………っ!』
あまりの怒りと衝撃で叫びそうになった俺は、そのままレストランの個室を出た。
それから、本当に生活のすべてに色がなくなったように思えた。
飯を食ってもうまくない。映画を見ても、本を読んでも感動できない。
俺のマンションには、母の形見のグランドピアノがある。
母は速水家から勘当されたあと、身一つで父と結婚しようとしていた。
だから所持しているピアノは速水家に縁のある物ではなく、父が母にマンションを買い与えた時、一緒に贈ったものだ。
学生時代、父は音楽室で母が弾くピアノをうっとりとして聴いていたらしく、将来は子供にピアノを習わせたいと決めていたようだ。
グランドピアノのある環境で育った俺は、自然と音楽を愛するようになった。
十歳までは母にピアノを師事し、篠宮家に移ったあとは、父に『ピアノだけは続けてほしい』と頼まれて都内のピアノ教室に通った。
ピアノ教室の先生には期待され、コンクールにも出場してそこそこの成績を収めた。
だが音楽学校に入るつもりはなく、プロになるつもりもない。
クラシックも好きだが、自由さを求めてジャズピアノに手を染め始めた。
ピアノは唯一、俺が自分を表現する手段だった。
篠宮家で弾けば怜香がうるさいと言うのは目に見えているので、俺のピアノは防音が効いた借り物件に移された。
その後、今住んでいるマンションの防音室に置かれてある。
当時、寝食は篠宮家でしていたが、他の時間はピアノのある部屋で過ごし、ひたすら勉強に励んだ。
――だが今は、ピアノを弾いても楽しいと思えない。
宮本も今まで付き合った女性たちも、全員怜香のせいで離れていったと知り、行き場のない怒りを抱くものの、どこにも発散できない。
食べるのも面倒臭くなり、缶コーヒー一本で済ませる日もあった。
そんな中、俺の心を救ったのは、中村さんから送られてくる朱里の写真や動画だった。
『…………は、……よく食うわこいつ』
スマホの動画では、以前より笑うようになった朱里がハンバーガーを食べている。
《マジで? 朱里二個目?》
最近よく動画に登場するようになった田村が呆れたように言い、朱里は《お腹すいたもん》と言って二個目のハンバーガーに手を伸ばす。
《栄養が全部胸にいってるんじゃない? 私に分けてよ》
そう言ったのは中村さんだ。
《分けられるなら分けてあげたいよ。こないだだって痴漢に遭って……、あー、腹立つ》
朱里が痴漢に遭ったと聞いて、気持ちが穏やかでなくなる。
だが田村と付き合い、側に中村さんもいるなら……と自分に言い聞かせた。
朱里はしばらくモグモグと口を動かしていたが、溜め息をついて呟いた。
《家に帰りたくないな》
俺は彼女の今の家庭環境を思い、溜め息をついた。
朱里の母親は再婚し、現在は継父と継兄、継妹と暮らしている。
高校一年生の思春期まっただ中に生活環境が変わり、朱里が動揺していない訳がない。
おまけに今までは母子家庭だったのに、新しい生活空間には血の繋がっていない〝男〟がいる。
《お父さんはいいんだけど、亮平が気になるんだよね。こないだなんて学校まで迎えに来たんだよ? クラスの人に彼氏かって聞かれて困ったもん》
《家族になったばっかりだし心配だったんだろ。朱里は考えすぎだよ。そうやって家族を疑うのは良くないと思う》
田村に言われるが、朱里は首を横に振る。
《……心配……だったのかもしれないけど、……なんか違うんだよなぁ。ハッキリしないけど、雰囲気がねっとりしてるんだもん》
そのあとも朱里は継兄への不満ともつかない感情を吐露したあと、大きな溜め息をついて継妹への愚痴をこぼした。
《美奈歩は私への当たりが強いったら。同じ空間にいるだけなのに、わざとらしく大きい溜め息つくんだよ。……どうすれっつーの》
《朱里は巨乳美少女だから、お兄ちゃんを取られるって思ったんじゃない?》
中村さんに言われ、朱里は彼女を睨む。
《家族なんだから体型とか顔とか関係ないでしょ。……もしも亮平がそういうところを気にしてるんだったら……。うわあああ……! 鳥肌立ってきた!》
嫌がった朱里は、高速で手を動かして自分の二の腕をさする。
《……ところで恵、なんでいっつも動画とってるの?》
怜香は冷笑し、食事の続きを口にする。
『管理職と人事では情報を共有していたけれど、あなたは平社員だし、知らなくても仕方がないでしょう』
そう言ったあと、怜香は邪悪な笑みを浮かべた。
『あなたみたいな未熟な人が、女性を幸せにできると思わないで。私が母親として、相応しい女性を見つけるまで、誰ともお付き合いしてはなりませんよ』
言われて、すぐに理解した。
頭に浮かんだのは、今まで俺に近寄っては、何も言わず去っていった女性たちの顔だ。
最初、彼女たちは俺を好きだと言って寄ってきた。
それが、なぜいきなり離れた?
五人と付き合えば、五人全員が大した理由もなく去っていった。
俺を憎んで悪い噂を流すでもなく、いきなり興味を失ったようにスッと消えた。
学校内ですれ違っても空気のように無視され、宮本に至ってはいなくなってしまった。
――すべて、怜香の差し金だとしたら?
『……あなたがやったんですか……』
低く呟いた俺の声を聞き、継母は目を細めて笑った。
『はした金を掴ませた程度で別れるなら、大してあなたの事を好きじゃなかったのよ。あなたのような人と付き合うより、お金やブランドバッグを選んだほうが現実的でしょう? あなたより将来性のある男性を紹介したら、目をハートにして鞍替えした子もいたわね。女性なんてそんなものよ。騙されたあなたが悪いけど』
そう言って怜香は軽やかに笑った。父と風磨は押し黙り、食事を続けている。
『…………っ!』
あまりの怒りと衝撃で叫びそうになった俺は、そのままレストランの個室を出た。
それから、本当に生活のすべてに色がなくなったように思えた。
飯を食ってもうまくない。映画を見ても、本を読んでも感動できない。
俺のマンションには、母の形見のグランドピアノがある。
母は速水家から勘当されたあと、身一つで父と結婚しようとしていた。
だから所持しているピアノは速水家に縁のある物ではなく、父が母にマンションを買い与えた時、一緒に贈ったものだ。
学生時代、父は音楽室で母が弾くピアノをうっとりとして聴いていたらしく、将来は子供にピアノを習わせたいと決めていたようだ。
グランドピアノのある環境で育った俺は、自然と音楽を愛するようになった。
十歳までは母にピアノを師事し、篠宮家に移ったあとは、父に『ピアノだけは続けてほしい』と頼まれて都内のピアノ教室に通った。
ピアノ教室の先生には期待され、コンクールにも出場してそこそこの成績を収めた。
だが音楽学校に入るつもりはなく、プロになるつもりもない。
クラシックも好きだが、自由さを求めてジャズピアノに手を染め始めた。
ピアノは唯一、俺が自分を表現する手段だった。
篠宮家で弾けば怜香がうるさいと言うのは目に見えているので、俺のピアノは防音が効いた借り物件に移された。
その後、今住んでいるマンションの防音室に置かれてある。
当時、寝食は篠宮家でしていたが、他の時間はピアノのある部屋で過ごし、ひたすら勉強に励んだ。
――だが今は、ピアノを弾いても楽しいと思えない。
宮本も今まで付き合った女性たちも、全員怜香のせいで離れていったと知り、行き場のない怒りを抱くものの、どこにも発散できない。
食べるのも面倒臭くなり、缶コーヒー一本で済ませる日もあった。
そんな中、俺の心を救ったのは、中村さんから送られてくる朱里の写真や動画だった。
『…………は、……よく食うわこいつ』
スマホの動画では、以前より笑うようになった朱里がハンバーガーを食べている。
《マジで? 朱里二個目?》
最近よく動画に登場するようになった田村が呆れたように言い、朱里は《お腹すいたもん》と言って二個目のハンバーガーに手を伸ばす。
《栄養が全部胸にいってるんじゃない? 私に分けてよ》
そう言ったのは中村さんだ。
《分けられるなら分けてあげたいよ。こないだだって痴漢に遭って……、あー、腹立つ》
朱里が痴漢に遭ったと聞いて、気持ちが穏やかでなくなる。
だが田村と付き合い、側に中村さんもいるなら……と自分に言い聞かせた。
朱里はしばらくモグモグと口を動かしていたが、溜め息をついて呟いた。
《家に帰りたくないな》
俺は彼女の今の家庭環境を思い、溜め息をついた。
朱里の母親は再婚し、現在は継父と継兄、継妹と暮らしている。
高校一年生の思春期まっただ中に生活環境が変わり、朱里が動揺していない訳がない。
おまけに今までは母子家庭だったのに、新しい生活空間には血の繋がっていない〝男〟がいる。
《お父さんはいいんだけど、亮平が気になるんだよね。こないだなんて学校まで迎えに来たんだよ? クラスの人に彼氏かって聞かれて困ったもん》
《家族になったばっかりだし心配だったんだろ。朱里は考えすぎだよ。そうやって家族を疑うのは良くないと思う》
田村に言われるが、朱里は首を横に振る。
《……心配……だったのかもしれないけど、……なんか違うんだよなぁ。ハッキリしないけど、雰囲気がねっとりしてるんだもん》
そのあとも朱里は継兄への不満ともつかない感情を吐露したあと、大きな溜め息をついて継妹への愚痴をこぼした。
《美奈歩は私への当たりが強いったら。同じ空間にいるだけなのに、わざとらしく大きい溜め息つくんだよ。……どうすれっつーの》
《朱里は巨乳美少女だから、お兄ちゃんを取られるって思ったんじゃない?》
中村さんに言われ、朱里は彼女を睨む。
《家族なんだから体型とか顔とか関係ないでしょ。……もしも亮平がそういうところを気にしてるんだったら……。うわあああ……! 鳥肌立ってきた!》
嫌がった朱里は、高速で手を動かして自分の二の腕をさする。
《……ところで恵、なんでいっつも動画とってるの?》