部長と私の秘め事

運命の日

 十一月三十日の夕方、墓の掃除を終えた俺は母とあかりに報告する。

『母さん、あかり。……俺、幸せになっていいかな。どうしても気になって仕方がない子がいるんだ。最初はあかりに重ねて妹として見守っているつもりだった。……でも今は違う。あの橋で会ってから十二年が経ち、お互い結婚しても問題ない年齢になった』

 俺は風に吹かれて揺れる仏花を見て切なげに笑う。

『今までずっと嫌な上司を演じてきた。本当は甘やかして大切にしてやりたいけど、あいつには付き合っている男がいたし、本気にならないように壁を作ってきた。……でも別れた今なら、気を遣う必要はない。……嫌っている上司から告白されたら、ドン引きされると思う。…………けど、最後に一回だけ女性を信じて愛してみたい。幸せになりたい。……あいつが欲しいんだ』

 俺は押し殺した声で言ったあと、小さく首を横に振って笑った。

『違う。……本音を言えばずっと朱里を愛したかった。大切にしていた()の処女を奪われたと知って、腸が煮えくりかえりそうだった。あいつを一番想ってるのは俺だ。…………ずっと見守っていたんだ。もう妹の代わりなんかじゃない。……朱里がほしい。…………あいつと幸せになりたい』

 最後は、か細い声で望みを口にした。

『朱里の名前を口にするたび、あかりを思いだす。……でも、もう違うんだ。ごめんな。あかりの事は心の奥でずっと大切に想ってる。……でも兄ちゃんはそろそろ、結婚して幸せになりたいんだ。お前を忘れる訳じゃない。朱里と混同する訳でもない。…………人として、人を愛して、前に進みたいんだ』

 俺は今まで、怒りと憎しみ、絶望と共に生きてきた。

 母とあかりを喪って絶望し、不甲斐ない父に怒り、怜香への憎しみを育て続けた。

 人を好きになりかけた事は何回かあったが、その想いが叶った事はない。

 三十二歳になってなお、俺は真の意味で人を愛する事を知らないガキのままだ。

 母とあかりの死の真相を知って復讐を決意したが、それを果たしたあとはどうする?

 この憎しみは、一生晴れないだろう。

 だが怜香を断罪したあとも、あの女を憎みながら生きていくのか?

 ――そんなの嫌だ。

 俺だって人並みの幸せが欲しい。

 人を愛し、愛されて恋人になり、愛のあるセックスをして、結婚して子供を授かりたい。

 母とあかりができなかった事を代わりにしたいし、『生まれて良かった』と思いたい。

 妻に愛され、子供に頼られ、理想的な家庭を築きたい。

 ――だから、恋をする覚悟を決めた。

 一世一代の恋だ。

 朱里は俺を嫌っているから、彼女に受け入れてもらえるかは分からない。恐らく、とても難しいだろう。

 実は命の恩人の〝忍〟だった……という切り札を使えば簡単かもしれないが、できるなら〝速水尊〟を好きになってほしい。

 俺は朱里の思い出に残る〝格好いいお兄ちゃん〟ではない。

 汚い事もするし、ずっと朱里を見守ってきたストーカーだ。

 ちょっと金は持ってるが、性格は悪いし家庭環境も最悪、クソ重たい過去を持つSランクの訳ありだ。

 それでも、もし朱里が俺を好きになってくれるなら、彼女にすべてを捧げたい。

 俺は性経験はあっても、恋愛はど下手くそだ。

 やり方を間違えるかもしれないし、今以上に嫌われるかもしれない。

 でも可能な限り誠実に接し、想いを伝えていきたい。

 朱里にフラれたとしても、俺はずっと彼女を想い続けるだろう。

 十二年見守り続けた朱里以上、好きになれる女性なんてきっと現れない。

『……ははっ、すげぇクソデカ感情だな』

 俺は乾いた声で自嘲する。

『まだ田村を想ってるあいつが俺に応えてくれるかは分からない。でも悠長に待ってたら、他の男に盗られるかもしれない。その前に俺が〝次の男〟になりたい。……正直、どう迫ればいいか分からないし、成功する確率も低い。……でも、あいつを大切にしたい気持ちは誰にも負けない。……頑張ってみる。……だから、二人も見守っていてくれ』

 俺は決意表明をしたあと立ち上がり、新しい道を歩む気持ちで踵を返す。

(『田村より俺のほうが、ずっとお前を大切にできる』と教えたいけど、どうやったら聞いてくれるかな)

 未来への希望を抱きながら帰路についたが――、それをせせら笑うように、マンションのロビーには悪魔――怜香が待っていた。



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