部長と私の秘め事
『遅かったじゃない』
マンションに戻ってロビーに入った途端、聞きたくない声が耳に入り、俺はギクリとして足を止める。
十歳の頃から植え付けられたトラウマなのか、いまだに怜香の声を聞くと心臓をギュッと握られたような感覚に陥る。
怜香にはマンションに来ないでほしいと言い、コンシェルジュにも通さないでほしいと伝えている。
なのにこいつは篠宮ホールディングスの社長夫人である事と、俺の母である事を理由に、勝手に中に入る。
本当は俺の顔なんて見たくもないはずなのに、いびりたくなった時は三田まで足を運ぶのだ。
『……ご用ですか?』
俺は足を止め、緊張して尋ねる。
――まさか、朱里の事がバレたわけじゃないだろうな?
恋人になれたら家族に報告するつもりだが、結果を出せていない今はまずい。
コツコツとヒールの音を響かせて近づいてきた怜香は、少し離れた所に立って冷笑した。
『別に? 今日は母親の命日らしいから、悲しみに暮れているあなたを慰めてあげようと思って』
そう言われ、胸の奥にグッと怒りと憎しみが湧き起こる。
悪魔のようなこいつは、今日が母と妹の命日だと分かって、俺の顔を〝見物〟しにきたのだ。
『世間はもうクリスマスムードなのに、いまだに独り者なの?』
怜香に煽られた俺は、こいつのペースに巻き込まれたら駄目だと自制し、冷静に切り返した。
『あなたが相手を用意すると言ったんじゃないですか』
『そうね。……じゃあ、風磨の秘書の丸木さんとでも結婚したら? そうなさい』
『は?』
予想外の事を言われ、俺は声を上げる。
丸木エミリは風磨の恋人だ。
実家を出たあと、たまに風磨と外食する機会があり、その時にエミリも同席していた。
恐らくだが、エミリは面倒見のいい性格をしているから、風磨に俺と繋がりを持っておくべきだと言ったのかもしれない。
今になって風磨と仲良くできる気がしないし、何をしても上辺だけのやり取りだとお互い分かっている。
それでも、あいつは怜香みたいに敵意を向けてこない。
むしろ母親が俺をいびっていた事に罪悪感を抱く、まともな感性の持ち主だから、罪滅ぼしに俺と向き合おうと考えているのかもしれない。
俺はその気持ちを理解したから応じたし、エミリと恋人関係にあると言われた時は素直に祝福した。
多分風磨は俺を味方に引き込む事で、エミリとの結婚に賛成する者を増やしたかったのかもしれない。
二人は数年前から同棲していて、両親にも結婚する予定だと伝えていた。
しかし怜香は風磨とエミリの結婚を許さず、家や会社の利益になりそうな相手を探している。
むしろこの女は自分の結婚生活を壊されたから、自分が子供の人生を支配して〝理想の結婚生活〟を送らせようとしているのだろう。
理屈は分かるが、同意はできない。
今もまた、こいつは理不尽な理由で俺を痛めつけようとしている。
だから敢然と断った。
『お断りします。彼女は兄貴の恋人です』
すると怜香は腕を組んで笑った。
『風磨は別の女性と結婚するの。もう三ノ宮グループのご令嬢に釣書を送ってあるわ』
(何を勝手な事を)
怒りを抱くと同時に、風磨とエミリが心配になった。
この女は俺と違って〝いい子〟の風磨なら、自分の言う事を聞くと盲信している。
黙っていると、怜香はせせら笑って言葉を続けた。
『それにこうでもしないと、あなたみたいな人と結婚したがる女性なんて現れないでしょう? 風磨のお下がりで丁度いいでしょう。丸木さんは秘書だし、〝お世話〟が得意なんじゃない?』
怜香はエミリを侮辱し、さらに俺を嘲笑する。
『あなたは三十二歳になっても恋人がいないんでしょう? もしかして不能なの? それなら病院に行かないとね? それとも女遊びが好きだから結婚するつもりはない? せめて性病ぐらいは治しなさいよ』
侮辱されても我慢していると、怜香は目に苛立ちを宿してさらに責め立ててきた。
『あなたの遺伝子なんて途絶えてしまえばいい。人の夫を寝取った女の子供が、まともに人を愛せるはずがない。仮に結婚できても絶対不倫するわね。あなたの子供も同じ運命を辿るに決まってる。あはは! それなら色仕掛けが得意な丸木さんで丁度いいじゃない』
『…………っ』
俺はきつく拳を握り、震わせた。
俺だけならまだしも、故人を侮辱する必要があるか?
『言葉が過ぎやしませんか?』
言い返すと、怜香はギラギラとした目で俺を睨み、憎しみをぶつけてきた。
マンションに戻ってロビーに入った途端、聞きたくない声が耳に入り、俺はギクリとして足を止める。
十歳の頃から植え付けられたトラウマなのか、いまだに怜香の声を聞くと心臓をギュッと握られたような感覚に陥る。
怜香にはマンションに来ないでほしいと言い、コンシェルジュにも通さないでほしいと伝えている。
なのにこいつは篠宮ホールディングスの社長夫人である事と、俺の母である事を理由に、勝手に中に入る。
本当は俺の顔なんて見たくもないはずなのに、いびりたくなった時は三田まで足を運ぶのだ。
『……ご用ですか?』
俺は足を止め、緊張して尋ねる。
――まさか、朱里の事がバレたわけじゃないだろうな?
恋人になれたら家族に報告するつもりだが、結果を出せていない今はまずい。
コツコツとヒールの音を響かせて近づいてきた怜香は、少し離れた所に立って冷笑した。
『別に? 今日は母親の命日らしいから、悲しみに暮れているあなたを慰めてあげようと思って』
そう言われ、胸の奥にグッと怒りと憎しみが湧き起こる。
悪魔のようなこいつは、今日が母と妹の命日だと分かって、俺の顔を〝見物〟しにきたのだ。
『世間はもうクリスマスムードなのに、いまだに独り者なの?』
怜香に煽られた俺は、こいつのペースに巻き込まれたら駄目だと自制し、冷静に切り返した。
『あなたが相手を用意すると言ったんじゃないですか』
『そうね。……じゃあ、風磨の秘書の丸木さんとでも結婚したら? そうなさい』
『は?』
予想外の事を言われ、俺は声を上げる。
丸木エミリは風磨の恋人だ。
実家を出たあと、たまに風磨と外食する機会があり、その時にエミリも同席していた。
恐らくだが、エミリは面倒見のいい性格をしているから、風磨に俺と繋がりを持っておくべきだと言ったのかもしれない。
今になって風磨と仲良くできる気がしないし、何をしても上辺だけのやり取りだとお互い分かっている。
それでも、あいつは怜香みたいに敵意を向けてこない。
むしろ母親が俺をいびっていた事に罪悪感を抱く、まともな感性の持ち主だから、罪滅ぼしに俺と向き合おうと考えているのかもしれない。
俺はその気持ちを理解したから応じたし、エミリと恋人関係にあると言われた時は素直に祝福した。
多分風磨は俺を味方に引き込む事で、エミリとの結婚に賛成する者を増やしたかったのかもしれない。
二人は数年前から同棲していて、両親にも結婚する予定だと伝えていた。
しかし怜香は風磨とエミリの結婚を許さず、家や会社の利益になりそうな相手を探している。
むしろこの女は自分の結婚生活を壊されたから、自分が子供の人生を支配して〝理想の結婚生活〟を送らせようとしているのだろう。
理屈は分かるが、同意はできない。
今もまた、こいつは理不尽な理由で俺を痛めつけようとしている。
だから敢然と断った。
『お断りします。彼女は兄貴の恋人です』
すると怜香は腕を組んで笑った。
『風磨は別の女性と結婚するの。もう三ノ宮グループのご令嬢に釣書を送ってあるわ』
(何を勝手な事を)
怒りを抱くと同時に、風磨とエミリが心配になった。
この女は俺と違って〝いい子〟の風磨なら、自分の言う事を聞くと盲信している。
黙っていると、怜香はせせら笑って言葉を続けた。
『それにこうでもしないと、あなたみたいな人と結婚したがる女性なんて現れないでしょう? 風磨のお下がりで丁度いいでしょう。丸木さんは秘書だし、〝お世話〟が得意なんじゃない?』
怜香はエミリを侮辱し、さらに俺を嘲笑する。
『あなたは三十二歳になっても恋人がいないんでしょう? もしかして不能なの? それなら病院に行かないとね? それとも女遊びが好きだから結婚するつもりはない? せめて性病ぐらいは治しなさいよ』
侮辱されても我慢していると、怜香は目に苛立ちを宿してさらに責め立ててきた。
『あなたの遺伝子なんて途絶えてしまえばいい。人の夫を寝取った女の子供が、まともに人を愛せるはずがない。仮に結婚できても絶対不倫するわね。あなたの子供も同じ運命を辿るに決まってる。あはは! それなら色仕掛けが得意な丸木さんで丁度いいじゃない』
『…………っ』
俺はきつく拳を握り、震わせた。
俺だけならまだしも、故人を侮辱する必要があるか?
『言葉が過ぎやしませんか?』
言い返すと、怜香はギラギラとした目で俺を睨み、憎しみをぶつけてきた。