想いと共に花と散る
 壬生寺から戻って入った屯所は、何処か静まり返っていた。
 日は暮れ始めたが、それでもまだ外は明るいのはずなのに人の気配が薄い。

(……こんなに静かだったっけ)

 雪は履き慣れた草履の音を意識的に殺しながら、廊下を進む。
 稽古を終えたばかりの沖田や藤堂の姿は見当たらない。普段なら、誰かしらが屯所の何処かで騒いでいる時間帯であるはずだ。
 廊下を進んで縁側に出てみても、庭には誰もいない。
 まるで、不気味なほど静かな屯所にたった一人取り残されたような違和感があった。

「……?」

 不意に、鼻を擽る微かな匂いを感じて足を止める。
 目を閉じて集中すると、薬草と何やら錆のような匂いが漂ってきた。否、これは乾いた血の匂いだ。
 その正体を考えるより先に、胸の奥がひやりと冷えた。

(この匂い……)

 以前、山崎が怪我をした隊士の手当てをしていた時にも嗅いだことがある。
 雪は無意識の内に、視線を匂いが漂ってくる方向へと向けていた。
 視線の先にあるのは、山南の個人部屋だ。
 障子は、ぴったりと閉じられたまま。いつもなら、風通しのために少しだけ開いているはずの障子が、きっちりと閉じている。
 そこに人の気配はない。けれど、完全に空でもないのが何故だか感じ取れた。

(留守……じゃない)

 確信に近い感覚が、胸の内に落ちる。
 理由も、説明もない。ただ、そこに触れてはいけない空気がある。
 足音を立てないようにそっと部屋に近づき、中の様子を伺おうとしたその時。

「雪君」

 突然、背後から掛けられた声に雪はびくりと肩を揺らした。
 思わず大声を上げそうになるが、何とか堪えて振り返る。背後には、井上が穏やかな表情で立っていた。

「こんな所に一人でいて、どうかしたかい?」
「……いえ」

 一瞬、山南のことを聞きかけて、雪は言葉を飲み込んだ。
 井上の目が、ほんの僅かに揺れた気がしたからだ。

「稽古は終わったのかい?」
「はい。皆さん、もう戻ってると思ったんですけど……」
「そうか。今日は、それぞれ用事があってね」

 それだけ告げると、井上はそれ以上何も言わなかった。
 雪も、聞かなかった。聞けなかった、が正しい。
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