想いと共に花と散る
 出陣を前にした屯所は、奇妙なほど静かだった。
 いつもなら聞こえてくるはずの笑い声も、忙しない足音もない。
 灯りの落とされた廊下を隊士達が無言で行き交い、それぞれの装備を整えていく。
 その気配だけが、今夜にも起きようとしているのがただ事ではないことを物語っていた。
 雪は土間で帯を締め直していたところで、土方に呼び止められた。

「雪」

 背後から短く鋭い声が飛んでくる。
 振り向いた瞬間、視線が絡んだ。土方は浅葱色の羽織を羽織り、額には白い鉢巻と額当てを着けた姿で部屋の入口に立つ。

「今夜は出るな。屯所で待機だ」

 左腰に提げた刀の鞘を握り、土方は淡々と言い放つ。
 その言葉を聞いた雪は、一瞬、意味が分からず頭の中が真っ白になるのを感じた。
 帯を巻いていた手の動きが止まり、しばしの沈黙が二人の間に満ちる。

「……どうしてですか」

 あまりの衝撃に、そう問うのがやっとだった。
 雪の問いに土方は表情を変えず、やはり淡々とぶっきらぼうに言う。

「副長命令だ」

 それだけだった。理由も、説明もなく、ただ伝えるためではなく口から零れ落ちたような言葉。
 何が気に入らないのか、雪にだって分からない。
 雪は唇を噛み締め、感じる不快感に押し潰されそうだった。

「……分かりました」

 そう答えるしかなかった。
 土方の顔を見られなくて、土方に自分の顔を見られたくなくて俯く。
 背を向けた土方は、何も言わず静かに土間から離れていった。
 決定的に雪を戦の外へ切り離すために、自ら離れていくような足音が遠のいた。

(まただ)

 何かが起きる時、いつもこうだ。核心から外され、守られる側に置かれる。
 納得できないまま、雪は屯所に残るしかなかった。
 何をするでもなく縁側に出て静かな空を見上げていると、廊下の奥から静かな足音が近づいてきた。

「……雪殿も、待機ですか」
「山崎さん……。はい、土方さんの命令で」

 廊下の奥から現れたのは、前線には出ないため、雪と同じく屯所で待機する山崎であった。
 雪の小さな声に山崎は小さく頷き、隣に腰を下ろす。

「今夜は……かなり大きな動きになるやろうな」

 雪はその言葉に視線を上げる。
 訛りのある話し方に、その言葉が指す意味に驚いたのだ。
 懸念は山崎の言葉によって確信に変わる。
 やはり、今夜はただならぬ事が起きようとしている。そして、土方は戦地から雪を遠ざけようとしているのだ。

「何が、起きようとしているんですか? どうして、皆は私に隠すんですか……?」

 せめて、何処に行くかくらい言ってくれればいいのではないか。
 何も知らされず、ただ待ち続けなければならない側の気持ちにもなれ。雪はそう叫びたくなるほどの怒りを腹の底から感じていた。
 山崎は一瞬だけ言葉に詰まり、それから曖昧に微笑んだ。

「……詳細は言えへん」
「山崎さん……本当に、これでいいんですか?」

 山崎は灯りの揺れる方を見つめたまま、静かに答えた。

「危険なんや。今夜、京は血の匂いに包まれる。……だからこそ、あんたは動かんほうがええ」
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