愛する夫が催眠術で私に「貴方を愛することはありません」と言わせようとしている

(!?)
「そして、眠っている間に俺にされたり言われたりしたことは全て忘れている。夢を見ていたんだ。いいね?」

 いいね、ってよくないでしょう!
 そもそも矛盾しているわ。目が覚めたら「愛することはない」と言えと命令されつつ、今目を閉じている間に言われたことを忘れろって、どっちを優先すればいいのかわからない。私はじっと横になったまま、現状を受け入れられずに混乱していると彼は勝手に話を進めてしまう。

「じゃあ、俺が1、2、3と数を数えて、手を叩いたら君は目が覚める。そして全て忘れているんだ。行くよ。……1、2、3!」

 パン! と彼が両手を打ち合わせる音がした。ここは起きるべきと考えた私は目を開ける。寝室にたった一つ灯されたランプの薄暗い灯りを頼りに、横にいる彼を見上げると微笑を見せていた。今までいつも辛そうだったり怒っていたりしたシリウス様が初めて微笑んでくれたことが嬉しくて、思わず私も微笑み返す。すると彼の優しい声が降ってきた。

「リエーラ。気分はどうだい?」

 ……微妙な気分ですとは言えず、私は上半身を起こしながら目を左右にきょろきょろと動かす。

「え、と……今のが催眠術ですか?」
「そうだよ。君はバッチリかかっていたみたいだね。催眠術と相性がいいのかも」
「はあ、そうですね……」

 そりゃあバッチリかかっていたフリをしていましたから。

「リエーラ、催眠術をかけられていた間、何か覚えているかい?」
「え……」

 私は迷った。どちらを言うべきか。でも最後に「全てを忘れている」と念を押されたし、何よりシリウス様に「愛することはありません」なんて言いたくない。たとえ命令されても。

「……いいえ、何も」

 私の返事に対するシリウス様の表情は一生忘れられないと思う。酷くがっかりしたような、傷つくような顔。その直後にランプの明かりが風も無いのに揺らめき、何故か表情がほっとしたものに変わったようにも見えたのは……私の願望が入っていたのかもしれない。

「……そうか。じゃあ今夜はもう寝よう。おやすみ」
「えっ」
(待って、このまま初夜を終わらせるの!?)

 でもそんなこと、恥ずかしくて絶対に訊けない。この心の中の叫びは当然彼に伝わる筈もなくて。彼はもう一度優しげに微笑み、私の髪の一房を取った。

「今夜はもう疲れてしまったから、ごめん。俺は自分の部屋で寝るから君はここに居たらいい」

 そう言うと私の茶色い髪を端までさらりと手に滑らせて、ベッドを下り寝室からも出て行ってしまった。鈍い私は呆然と彼の背中を見送り、扉がバタンと閉められた瞬間にやっと理解できた。

 さっき、彼に「何か覚えているかい」と問われた時の正解は「貴方を愛することはありません」と言う方だったのだ。
 私は彼を好きなのに。

 私はその夜、ずっと泣いて泣いて、泣き疲れて眠ってしまった。


 ◇◆◇


「おはようございます。奥様」
「テレサ、入って」

 翌朝、大分遅くなってから控えめなノックと共にテレサが入室の許可を求めてきた。彼女は私が実家から連れてきた侍女で、年も近く最も信頼できる存在。テレサは夫婦の部屋に入ると私の顔を見て珍しく慌てた。

「お嬢……奥様! 何があったのですか?」
「テレサ……」

 もう涸れ果てたと思っていた涙がまたぼろぼろと零れる。私は泣きながらテレサに昨日何があったのかと、悲しくてたまらない思いの丈を全て告白した。その間彼女は私を抱きしめ、背中や頭を撫でてくれていた。

「……つまり、シリウス様は白い結婚を望んでおられると?」
「きっとそういう事なんだわ」
「でも妙ですね」
「え?」
「この結婚はシリウス様側、ロドフォード侯爵家から申し込まれたものですし、それに催眠術ですよね?」
「ええ」
「催眠術は確かに良く眠るための研究ですが、人を操る方のそれは素人には簡単にできない筈です。大道芸でそれらしき見世物はありますけれど、あれは演技が大半かと」
「そうなの?」
「私には、シリウス様がそんなことを本気でなさるような愚かな方とは思えないのですが」
「そうよね、私もそう思うわ! シリウス様は落ち着いていて賢い方だもの!」

 私が同意するとテレサは微笑み、夜着の上からそっとガウンを着せてくれた。

「それに、こんなに魅力的な奥様と白い結婚を望むなんて信じられません。世の男全てを虜にしそうなお姿ですもの」


< 2 / 7 >

この作品をシェア

pagetop