馬鹿で愚鈍な私ですから。
「ローラ・エーメリー! 貴様に婚約破棄を言い渡す!」

 王立学園内で開かれるパーティー。
 その会場の真ん中で、婚約者ジョシュア・タイナー侯爵子息は私にそう言った。
 彼の隣には婚約者である私の代わりにマーゴット・リプスコム男爵令嬢がいる。

「貴様はマーゴットへ陰湿ないじめを行い、彼女を社会的に殺そうとした! それだけじゃない。貴様は暗殺者を雇い、彼女を殺す計画を立てた!」

 確かに私はマーゴットへ、ジョシュアのように婚約者を持つ異性と身体的な接触を伴い程親しくするのはいかがなものかと、遠回しな皮肉を込めて何度も伝えた事がある。
 だがそれがいじめと言えるべきものかは甚だ疑問だ。

 また、後半の暗殺未遂については完全なる言い掛かり。その様な事実はない。
 そして、ジョシュアは更にこう言い放った。

「しかも貴様は傲慢な上に馬鹿で愚鈍! 俺の婚約者として相応しくない!」

 仮にも公爵令嬢に向かって何たる言い草。そう思う人間はこの場に多くいた事だろう。
 さて、この話を聞いている間の私はというと――間抜け面を晒していた。
 何が起きているのか、何を言っているのかが分からないというきょとん顔。
 目を丸くして小首を傾げ、困ったように眉を下げる。非常にあほっぽい顔を繕っていた。
 まさに彼の言う『馬鹿で愚鈍』な令嬢像だ。

「よってお前との婚約は白紙にする! 俺が愛しているのは彼女――マーゴットなのだから!」

 一応まだ婚約破棄の儀式の最中で――つまり婚約者がいる中で別の女性が好きだと豪語する事が如何に愚かな発言であるのか、彼は気付いていないらしい。
 ジョシュアもマーゴットも、勝ち誇った笑みを私へ向けていた。

 私はそんな二人を見てはらはらと涙を溢す。
 そして口元に手を当てて俯き――

「畏まりました。ジョシュア様」

 ――隠した口で大きな弧を描いた。

 その時だ。

「待て」

 婚約破棄劇場を見ていた観衆の中から一人の青年が姿を現す。
 銀髪に青い瞳を持つ、涼しげ且つどこか厳かな雰囲気を放つ彼はこの国の王太子、アイザック・パーシヴァル・スリンディ殿下。
 彼は私の前に立つとジョシュアを見据えた。

「貴方達の婚約について、こちらから口を挟むことはしないが……少々気になる点があってな。いくつか確認させていただこう」

 王族が出るとなれば流石のジョシュアも身構えるらしい。
 彼は顔を強張らせながら殿下の言葉を待った。

「まず、陰湿ないじめと言うのは、具体的には?」
「わ、私に暴言を浴びせて来たんです。私は社交界に出るに相応しくないと」
「事実か、ローラ嬢」
「はい。私の婚約者であるジョシュア様と腕や肩を触れ合うような姿を何度も見ておりましたから」
「それで強く忠告した、と」
「はい」
「そ、そのような言い方ではありませんでした! もっと、私を貶める事を目的にしたような」
「では、それを見ていた者は?」

 殿下の言葉に答える者はいない。

「これではどちらの言い分が正しいかはわからないな。……ああ、それはそうと、貴方達はまだ法律上は婚約者ではない。現時点で腕を組むなどの行為は避けた方が良いだろうな」

 殿下の視線はジョシュアとマーゴットの腕へ。
 二人はこれ見よがしに組んでいた腕を慌てて解いた。

「もしそのような言動が繰り返されていた場合、目撃者が居らずともその詳細や発生日時などを事細かに記した書類があれば貴女の言い分が通る可能性もあるが」
「……あ、ありません」
「では致し方ない。これについては保留にしよう」
「で、でも他にも私、高い所から突き飛ばされたり、足を引っ掛けられたり」
「目撃者、もしくは詳細を記した書類は?」
「…………ありません」
「では同様だ。あまり無意味な発言はしないように」

 マーゴットの顔がカッと赤くなった。
 そんな彼女を庇うようにジョシュアが前に出る。

「で、殿下! お言葉ですが、これは俺とローラの問題です! 殿下が口出しする程の事では――」
「我が国の貴族制度による位の大小は厳格に定められている。公爵家に属する者を下位の貴族が侮辱する……貴族制度を軽んじるような振る舞いを見れば放っておくわけにもいかない」

 貴族階級は絶対。
 それを容易に踏み倒すような者が増えれば、それは国の傾きの前兆をも意味する事例になり兼ねない。
 そう殿下は仰った。

「それから……我が国において、暗殺者等の裏稼業の者と通じた者が厳罰に処される事は知っているだろう。ローラ嬢にその疑いがあるのであれば、はっきりさせなければならない訳だが。……これが偽りであった場合、どうなるかはわかっての発言だな」
「も、勿論です、殿下! 私は確かに何者かに襲われたんです! これについては家の者は皆知っていますし、後に事件として捜査も入りましたから、国の記録にも残されているかと!」
「何故、それがローラ嬢の企てによるものだと?」
「私は今まで誰かに恨まれるような人生を歩んできていません。私を嫌うのは、ローラ様が初めてだったんです! それに……私、聞いたんです。殺され掛けた時、暗殺者はローラ様のお名前を口にしていました」

 因みにマーゴットを嫌う者はこの学園に山ほどいた。
 人の婚約者へ手を出すという行いを、彼女はジョシュア以外にも行っていたのである。
 故に観衆の中には鋭い視線をこちらに飛ばす者もいた。

「そうか」

 殿下は一つの相槌の後、口を閉ざした。
 マーゴットの笑みが深まる。今度こそ自分の主張は通ったと確信したのだろう。
 しかし、口を開いた殿下が次に言ったのは――

「……残念だ」

 その一言だった。

 それから殿下は、徐に指を鳴らす。
 刹那。
 殿下の傍に一人の青年が姿を現す。
 物音一つさせず、瞬きの内に姿を見せた黒髪の青年。
 殿下は彼を示してこう言った。

「貴女が契約を交わした暗殺者は彼だな? マーゴット・リプスコム」
「……え? な、なん――」

 マーゴットは黒髪の青年を見て呆然とする。
 その様子を見れば、彼女は殿下の問いの意味を理解した上で己に降り掛かろうとしている危機を的確に悟っている事がよくわかった。

「先程述べた通り、我が国は国民と裏稼業の者との関わりを無くすべく厳格な制度が存在する。そしてこの法を破る者を炙り出すべく、裏稼業の者として身分を偽った潜入のプロを国は裏社会に忍び込ませているんだ」
「な、な……っ」

 マーゴットは顔を蒼白とさせて震え上がり、ジョシュアはそんなマーゴットを見て愕然とする。
 そんな二人を差し置いて、黒髪の青年は持っていた紙をマーゴットへ向けて突き出した。

「俺は確かに暗殺者として彼女と契約しました。多額の報酬と引き換えに『依頼主へ暗殺者による襲撃を偽装する』ことを」
「筆跡の鑑定も済んでいる。貴女は時期に裁かれるだろう。……全く、こんな事の為に法を犯し、厳罰を受けるなど――己の浅はかさを呪い、社交界から消えると良い」
「そ、そ、そんな……っ、殿下、どうかお慈悲を――」
「さて、これでローラ・エーメリーへの疑いは全て晴れた! この興醒めしたパーティーもお開きとしよう」

 崩れ落ち、泣きじゃくりながら懇願するマーゴットの声を殿下は遮る。
 辺りは拍手の音で満たされた。

「ローラ嬢」
「……感謝いたします、殿下」

 そして、殿下は私の前へ手を差し出す。
 私は涙ながらにそれを受け、彼の隣に立った。
 そのままエスコートされ、その場を離れようとしたその時――

「待ってください、殿下!」

 ジョシュアが殿下を呼び止めた。
 彼は怒りと焦りに顔を歪めながら私を指す。

「殿下! 殿下は――彼女に騙されています!」

 彼は半狂乱になりながら、声を裏返らせて続けた。

「奴こそ、男に色目を使い、女から同情を買い――人を誑かす事しかできない愚者なのです! 殿下はそのお立場や権威から目を付けられ、彼女の掌で踊らされているのです! どうか目を覚ましてください!」

 殿下は私をじっと見つめた。
 一方の私は目を潤ませ、上目遣いで殿下を見ている。
 そんな私の様子に殿下は笑みを見せてから、ジョシュアへ向き直った。

「ああ――知っている(・・・・・)よ」
「……え?」
「私は彼女に利用されている。そんな事は知っているとも」

 そう。滅茶苦茶な理屈を並べたり、愚かな女に転がされたジョシュアだが――この発言だけは正しいものであった。

 彼は私を馬鹿で愚鈍だという。
 その評価の是非はさておき――私が他者を魅了することに長けているという事だけは、本能的に理解していた。
 私はその才をふんだんに使い、常に優位な立ち位置を手に入れてきたのだ。

 そして――殿下は、王太子という立場が持つ力を私が求めていると知っていた。
 知っている上で、彼はこうして私の前に立ち、自らの口では何も語れない弱者の代わりになったのだった。

「だが……利用される事を選んだのは、他でもない自分だ」

 殿下が妖しく笑う。
 彼はその言葉を最後に、ジョシュアから背を向けた。

「な……っ、お、おま――ローズゥゥッ!!」

 私の卑しさを伝えても尚、殿下の心が変わらないとは思っていなかったのだろう。
 彼は私の名を叫んだ。
 私は、相変わらず困った様な顔付きで彼の目を見る。

 ジョシュアが言う。

「お前……ッ、わかっていたな!? お前が、こうなるように企んでいたのか!? お前が――ッ!!」

 最早理性を失い、怒り心頭の男を前に、私はやはり困惑顔のまま首を横に振る。

「わ、私には何の事だか、わ、わかりませんわ……」

 しかしそこまで話した時。
 我慢していた表情筋が限界を迎える。
 私はジョシュアを見据えたまま口角を釣り上げ、嘲笑した。

「――馬鹿で愚鈍な私ですから」



 女は賢さをひけらかすより、馬鹿で愚鈍で弱い面を見せていた方が強い。
 恵まれた容姿を持って生まれた私は五歳の頃にはこの結論に至っていた。
 勿論、本当に勉学を怠っていた訳ではない。
 裏では誰よりも勉学に励んでいたし、努力を積むことを疎かにした事はない。
 ただ、愚かに振る舞い、相手を立たせてやる事で物事が上手く運ぶのならば、何も自分の力で成し得ずともよいだろう、というのが私の持論であった。

「よ、よろしかったのでしょうか……国が秘密裏に動かしている偽装暗殺者の話などを明かして」

 殿下と同じ馬車に乗る私。
 折角のパーティーが台無しになったので、どこかで食事でもどうかと誘われ、私は殿下に同乗していた。

「それについては問題ない。どの道近々公にするものだった。……貴族達への牽制としてな。マーゴット嬢には感謝しているよ。偽装暗殺者に見つかったものがどのような末路を辿るのか――その一例を示してくれることになるからな。……それよりも」

 窓枠に肘を突く殿下。
 冷たい色の瞳が私へ向けられた。

「いい加減、その分厚い仮面は外してくれてもいいのではないか。私の前でくらい」

 その言葉の意味を私は理解している。
 けれど私はわざと首を傾げた。

「仮面……? 私は仮面など付けていませんよ」

 ほら、と自身の頬を触って示すと、殿下は小さく息を吐いた。

「ロマンス小説のブームのおかげで世間には悪役令嬢という言葉がはやっているが――悪役令嬢という言葉が真に似合うのは、貴女のような人間なのだろうな」
「私、何か悪役のような言動を働いてしまったのでしょうか」

 相も変わらずうるうると瞳を潤ませる私の顔を見て、殿下は不満そうに眉根を寄せた。

「……まあいい」

 それから彼は、私の髪を掬い上げる。

「いつか必ず剥がしてみせよう。――貴女のその仮面を」

 青い瞳を見据えながら、私は内心で微笑んだ。

 全ては計画通り。
 うんざりしていたジョシュアとの婚約はなくなり、王太子という絶対的な地位を持つ異性の近しい存在になれた。
 想定外の事があったとすれば……
 ――殿下と心の読み合いをするこの時間を、楽しいと思ってしまっている自分がいる事だろうか。

「……殿下の仰っている意味が、よくわかりませんわ」

 私は本心をひた隠し、あざとく首を傾げる。

 彼にだってまだ教えてはあげない。
 今のような時間がもっと長く続いて欲しいから。

「――馬鹿で愚鈍な私ですから」
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