一大決心して大学院に進学したら、なぜか指導教官の外科医に溺愛されてます
「……にしても、女心ってのは分からん。
俺は将来のために、今必死に種を撒いてるってのに」
坂上先生は、空になった焼き鳥の串を苛立たしげに皿に置いた。
アルコールの入った瞳は、怒りよりも、理解されない悲しみで揺れている。
その姿を見て、私はふと、口元の力を抜いた。
「……まぁ、私も似たようなもんですけどね」
「あ?」
「去年、学生時代からずっと付き合ってた彼と、別れたんです」
私がジョッキを回しながら淡々と告げると、先生は意外そうに目を丸くした。
「……お前が?」
「はい。二つ上の、普通のサラリーマンでした。
学生の頃は時間もあったし、うまくいってたんですけど……私が就職して、さらには『大学院に行きたい』って言い出したあたりから、歯車が狂って」
思い出すのは、最後の喫茶店での会話。
彼が求めていたのは「定時で帰ってきて、美味しいご飯を作ってくれる奥さん」で。
私が目指していたのは「夜中まで実験して、キャリアを積み上げるスペシャリスト」だった。
「言われましたよ。『有希は、仕事が恋人みたいだね』って」
私は自嘲気味に笑って、ハイボールを一口飲んだ。
「彼にとってみれば、休みの日にデートもせず、疲れた顔で医学書読んでる彼女なんて、可愛げのかけらもなかったんでしょうね。
……『普通の幸せ』をくれる相手じゃなかった、ってことです。お互いに」
そこまで話して、私は先生を見た。
「だから、先生が振られた理由も、痛いほど分かります。
私たちみたいな人間は、相手に寂しい思いをさせるのがデフォルトですから」
シン、と二人の間に沈黙が降りた。
居酒屋の喧騒が遠のく。
先生はしばらく私をじっと見ていたが、やがてフッと短く息を吐いた。
「……奇遇だな」
「ええ。嫌な偶然ですね」
「全くだ。
……だが、見る目のない男だ。
仕事に打ち込んでる女の良さが分からないとは、その彼氏も大したことないな」
「……っ」
先生はぶっきらぼうにそう言うと、私のジョッキに自分のグラスをカチン、と軽くぶつけた。
「飲め。
今日は、仕事が恋人の同志による、残念会だ」
「……ふふ。はい、乾杯」
冷たい炭酸が喉を通り過ぎていく。
似たもの同士の傷の舐め合い。けれど、その「共感」が、今の私にはどんな慰めよりも温かかった。