一大決心して大学院に進学したら、なぜか指導教官の外科医に溺愛されてます
宴の後
二日酔い、かつ盛大にやらかしてしまった脳内反省会を開く間も、あるいは余韻に浸る間もないほどに、
次の日の輸血部は、朝から大荒れだった。
嵐の震源地は、産婦人科の手術室だ。
『緊急帝王切開、搬入します! 胎盤早期剥離の疑い、母体ショックバイタル! 大量輸血プロトコル発動!』
ホットラインが鳴り響いた瞬間、検査室の空気が一変した。
私は受話器を肩に挟んだまま、端末を叩く。
「患者ID確認……三十代女性、妊娠三十四週……」
画面に表示された患者情報を見た瞬間、私の背筋が凍りついた。
警告を示す赤い文字が、点滅していたからだ。
【不規則抗体スクリーニング:陽性】
「……嘘でしょ」
最悪のパターンだ。
ただでさえ一分一秒を争う大量出血なのに、この患者さんの血液には、他人の血を攻撃する「抗体」が含まれている。
適当なA型やO型の血液を入れたら、その瞬間に体内で溶血反応を起こし、出血性ショックに加えて腎不全まで引き起こしかねない。
『輸血部! MAP(赤血球)とりあえず六単位! FFP(血漿)も溶かしてくれ! 急げ!』
スピーカーから産科医の悲鳴のような指示が飛ぶ。
私はマイクの送信ボタンを押し、冷静に、しかし大声で叫び返した。
「待ってください! 患者さん、不規則抗体が陽性です!
ただのA型を出しても適合しません! 過去に検出されたのは『抗E抗体』ですが、現在もそれだけとは限りません!」
『なっ……!?』
電話の向こうで息を呑む気配。
手術室のモニター音が、不規則に速く刻まれているのが聞こえる。
赤ちゃんの泣き声はまだ聞こえない。母子ともに危険な状態だ。
『じゃあどうすればいい! 待ってたら母体が持たない! 出血が止まらないんだ!』
「クロスマッチは最低でも四十分かかります!
今すぐ出せるのは、緊急用の『O型・Rhマイナス』だけです!
ですが、これも抗体の反応で副作用が出るリスクはゼロじゃありません!」
究極の二択だ。
血が足りなくて死ぬか。
合わない血を入れて副作用のリスクを負うか。
「先生! 未交差での出庫、同意いただけますか!?」
『……くそっ、同意する! 責任は俺が取る!
Oマイナスでも何でもいい、持ってこい!』
「了解! O型Rhマイナス、緊急出庫します!」
私は受話器を投げ出すように切り、冷蔵庫へ走った。
貴重なOマイナス製剤をひっ掴み、走りながらバーコードを読み込ませる。
「先輩! Oマイナス出します!
その間に、私は抗原陰性のA型血を探します!
E抗原がマイナスのバッグ、在庫のスクリーニングかけてください!」
「分かった! セグメント切るよ!」
検査室内は戦場だった。
遠心機の唸る音、冷蔵庫の開閉音、そして私の荒い呼吸音。
(お願い、持って……!)
見えない血管の中で起きている免疫の嵐を想像しながら、私は適合する血液を探して、ひたすらに試験管を振り続けた。
昨夜のことなど、跡形もなく頭から消し飛んでいた。