一大決心して大学院に進学したら、なぜか指導教官の外科医に溺愛されてます
「つっかれた……」
休憩室で、私は冷たいお茶を喉に流し込んだ。
「……はぁ。寿命が縮まる」
先日の坂上先生の件と、今の産科の件。
やってることは真逆に見えるかもしれない。
坂上先生には「待て」と言い、産科には「リスク承知でいけ」と言った。
でも、これが輸血検査技師の仕事だ。
世の中のほとんどの人は、血液型なんて四種類──せいぜいRhのプラスマイナスを合わせて八種類くらいしかないと思っている。
占い雑誌の性格診断だって、四通りで全てを分類した気になっているのだから気楽なものだ。
けれど、私たち輸血検査技師が見ている世界は違う。
Rh、Kell、Duffy、Kidd、Lewis……
国際輸血学会が認定している血液型システムだけでも四十種類以上。
赤血球の表面にある「抗原」と呼ばれる目印のパターンに至っては、三百種類を軽く超える。
それらの組み合わせは指紋と同じで、厳密な意味で「完全に同じ血液」なんて、自分自身の血以外には存在しないと言ってもいい。
「A型だからA型を入れる」
そんな単純なパズルで済むなら、私たちは苦労しない。
たった一つのマイナーな抗原が合わないだけで、患者の免疫が拒絶反応を起こし、この赤い液体が命を奪う毒に変わることだってあるのだ。
だからこそ、基本的には時間がいくら掛かろうとも交差適合試験ークロスマッチを実施の上で、最良の選択肢を提供するのが私たちの仕事。
ただ、緊急時となると話は別だ。
時間と、リスク、それからリソース。それを天秤にかけて、何より救命を最優先に動く必要がある。
坂上先生の時は、まだ「理屈」が通じる余地があった。六十秒待てば、より安全で、資源を無駄にしない正解(A型)を選べたからだ。
けれど、今の産科は違う。あれは「理屈」を超えた総力戦だ。
不規則抗体による副作用(溶血)が起きるかもしれない。後で重篤な腎障害が出るかもしれない。
それでも──「今、心臓を止めないこと」。
その一点だけが、全てのルールに優先される瞬間がある。
「……怖かった」
自分の判断一つで、患者さんの予後が変わる。
震える手を太ももの上で握りしめ、私は深く息を吐いた。
この恐怖だけは、何年経っても慣れることはないだろう。