一大決心して大学院に進学したら、なぜか指導教官の外科医に溺愛されてます
対する私が、臨床一辺倒だった時代──技師三年目の頃に、地方の検査学会で発表した内容といえば。
『当院における、描出困難例に対する心エコー図検査の工夫 〜呼吸調節と体位変換の有用性について〜』
……あまりにも、地味すぎる。
英語でもなければ、数式も出てこない。インパクトファクターなんて概念すらない、日本語のポスター発表だ。
内容は、文字通り「泥臭い現場の知恵」の詰め合わせ。
『肥満の患者さんには、息を吐ききってもらってから止めると、肺が小さくなって心臓が見えやすくなる』とか。
『ゼリーを温めておくと、患者さんの緊張が解けて画像が安定する』とか。
科学というよりは、もはや「職人芸の備忘録」に近い。
……レベルが違いすぎて、落ち込む気にもならない。
でも当時の私は、この発表のために一ヶ月も悩んで、先輩に何度もスライドを直されて、当日は緊張で胃薬を飲んで挑んだのだ。
「現場の検査時間を三分短縮できた」という結果に、小さな誇りすら持っていた。
けれど、彼の論文を見た後だと、それがまるでままごとのように思えてしまう。
彼は、見えない血流を数式で操り、世界の医療を変えようとしている。
私は、目の前の患者さんの脂肪や肋骨と格闘して、少しでも綺麗な絵を出そうと足掻いている。
(……でも)
私はふと、自分の手を眺めた。
彼の数式は美しいけれど。
その数式通りに動く心臓を、実際にこの手で描出し、異常を見つけるのは、私たち技師の仕事だ。
「……私の研究も、悪くはなかったはず」
そう小さく呟いて、別に気後れする必要はないのだと自分に言い聞かせた。
住む世界は違っても、目指している「患者さんを救う」というゴールだけは、辛うじて繋がっていると信じたかった。