一大決心して大学院に進学したら、なぜか指導教官の外科医に溺愛されてます
「待たせた。……お前も、浴びて来るといい」
やがてリビングに戻ってきた坂上先生は、濡れた髪をタオルで押さえながら私にそう声を掛けると、少し湿ったバスルームに案内した。
「……広っ」
思わず独り言が反響する。
生活感のないグレーのタイルに、ガラス張りのドア。
私の住むアパートのユニットバスとは比較にならない、まるで高級ホテルのような空間だ。
シャワーヘッドからお湯を出すと、レインシャワーが頭上から柔らかく降り注いだ。
温かいお湯が、今日の輸血部での緊張と、研究室での疲れを溶かしていく。
(……シャンプー、これかな)
棚には、ボトルが一本だけ。
ドラッグストアで売っているような安物ではなく、見たこともない英語のラベルが貼られた、スタイリッシュなデザインのものだ。
手に取ってプッシュすると、透明な液体から、ふわりとムスクとウッド系の香りが漂った。
(……あ。先生の匂いだ)
いつもの白衣や、さっきの車内で微かに香っていたものと同じ匂い。
それを自分の髪に泡立てていくと、なんだか先生に抱きしめられているような錯覚に陥って、指先が少し震えた。
「……女性の痕跡、本当にないな」
正直、別れたばかりだというから身構えていた。
それなのに、ピンク色のボトルも、フローラルの香りも、トリートメントもヘアパックもない。
あるのは、機能的で上質な、男の人の生活だけ。
その事実に安堵している自分がいる一方で、これから私がその領域に踏み込んでいくのだという事実に、喉の奥がキュッとなる。
(……流さなきゃ)
シャワーを強める。
「臨床検査技師」という肩書きも、「大学院生」という立場も、全部排水溝に流して。
ただの「高橋有希」という一人の女になって、あの部屋に戻る。
鏡に映った自分は、湯気で少し上気して、どこか不安げな目をしていた。
「……よし」
私は大きく深呼吸をすると、先生が用意してくれた、ふかふかのバスタオルを手に取った。
扉の向こうで、彼が待っている。
その事実だけで、心臓が壊れそうなほど高鳴っていた。