一大決心して大学院に進学したら、なぜか指導教官の外科医に溺愛されてます
宴会場の重い扉を抜け、静まり返ったホテルの廊下に出る。
絨毯の上を歩く二人の足音だけが響く。
エレベーターホールに到着し、彼が「上」へのボタンを押した瞬間、ようやく肩の荷が下りたような長い息を吐いた。
「……お疲れのようですね」
「ああ。立ってるだけで疲れる。オペしてた方がマシだ」
彼はネクタイの結び目を緩め、第一ボタンを乱暴に外す。
その無防備な仕草を間近で見られるのは、今は私だけの特権だ。
到着したエレベーターに乗り込む。
箱の中、二人きりの密室。
階数表示の数字が増えていくのを眺めていると、不意に彼が口を開いた。
「おい」
「はい?」
「さっきの話だが」
鏡越しに目が合う。
少しアルコールの入った彼の瞳は、会場にいた時よりも熱っぽく、そしてどこか意地悪に細められていた。
「手先が器用で助かってる、というのは嘘じゃないぞ」
「……恐縮です。これからも正確なデータを出せるよう善処します」
「データ?」
彼は鼻で笑うと、一歩、私との距離を詰めた。
逃げ場のない箱の中で、彼の香水とアルコールの匂いが私を包む。
「……すっとぼけるな。研究パートナーとしての評価だけなら、わざわざこんな所まで連れ出したりしない」
チーン、と軽い電子音が鳴り、目的の客室フロアに到着する。
ドアが開く直前、彼は私の耳元で低く囁いた。
「部屋に戻ったら、その自慢の『手技』で俺を癒やせ。……わかるな?」
心臓が跳ねる。
「手技」という言葉の響きが、研究室(ラボ)での意味とは全く違う熱を持って鼓膜を震わせた。
彼は私の返事を待たず、先に廊下へと歩き出す。
その背中はもう、外科医の顔ではなく、一人の男の顔をしていた。
私は熱くなった頬を隠すように俯き、慌てて彼の後を追った。