幼馴染の影と三年目の誤解 ――その笑顔は、私に向かない

第6章 『会えない距離、増えていく不安』

翌朝。
隼人は由奈より早く起き、
すでに仕事へ向かう準備をしていた。

キッチンには、飲みかけのコーヒー。
整理された資料。
そして――
由奈が眠っている間に準備したと思われる、
早朝出勤の痕跡。

「……また、早い」


由奈は小さな声でつぶやいた。

結局一緒に出勤出来ない。

以前は、お互いの支度を待って、
同じ玄関で「行ってきます」と言っていたのに。

最近は、隼人だけが先に出てしまう。

(忙しいのは分かってる……けど)

胸の奥が少し沈む。

ソファに座りながら、
由奈は昨夜見た“指輪を外した跡”を思い出した。

(隼人さん……)

触れようとして離れた手。
説明してもらえなかった指輪のこと。

ひとつひとつが、
小さな不安になって積み重なっていく。

考えれば考えるほど、
胸がきゅっと痛む。



仕事中も、集中しようとしても、
気が散ってしまう。

時計を見るたびに
「隼人さん、今なにしてるの?」
と考えてしまう自分が苦しい。

午後になると、社内で噂声がひそひそと聞こえた。

「課長、今日も隼人さんと会議だって」
「また? 二人で外出続きだよね」
「仲良しだよなぁ。幼馴染ってすごいよね」

その言葉は、
由奈の胸に直接落とされた氷のようだった。

(……外出? 二人で?)

昨日も帰りが遅かった。
今日も、また。

隼人は決して浮ついたところのない人だ。
だからこそ――
「仕事だから」
と言われたら信じるしかない。

でも。

(どうして……
 どうして、麗華さんとばかり?)

モニターの光がにじんで見える。

由奈はそっと目を伏せた。



夕方、スマホが震えた。
画面に映った名前を見て、
胸がつぶれそうになる。

――隼人さん。

(やっと……)

そう思ったのも束の間。
開いたメッセージは、短い一文だけ。

『遅くなる。先に寝てていいよ』

いつも通り。
丁寧で、優しい文。

でもそこには
“由奈に会いたい”
という気配はひとつもない。

(……今、どこにいるの?)

尋ねたい。
でも聞けない。

彼に迷惑をかけたくない気持ちが、
喉を塞いでしまう。

夜風が窓を揺らし、
カーテンがかすかに揺れた。

時計の針が進むたび、
家の中の静けさが深まっていく。

隼人不在の部屋は、
思った以上に寒い。

ソファの端で丸くなりながら、
由奈は自分の腕を抱いた。

(……隼人さん。
 私は、どうしてこんなに寂しいんだろう)

隼人の仕事は、重要なものだ。
それは理解している。
理解しているのに――
どうしようもなく不安が膨らんでいく。

そして、
その不安の中心にいるのが
“麗華”であることを、
由奈自身がいちばんよく知っていた。

(私……信じていいのかな)

その問いの答えは、
どこにも見つからない。

――会えない距離は、
気づかないうちに“心の距離”になっていく。

由奈はその夜、
ひとりで涙をこらえながら
眠れない時間を過ごした。

隼人の名前を胸の奥で何度も呼びながら。
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