幼馴染の影と三年目の誤解 ――その笑顔は、私に向かない
第5章 『指輪を外した夫』
リビングの照明をつけると、
一人きりの部屋は、思った以上に静かだった。
時計の針の音が妙に大きい。
カチ……カチ……と、
寂しさを刻むように響いてくる。
(……隼人さん、遅いな)
麗華と一緒に出ていった隼人は、
まだ帰ってこない。
帰ってきたら笑顔で迎えよう。
そう思って待っていたのに、
時間が経つほど、不安の影が広がっていく。
由奈はソファに腰を下ろし、
冷めた紅茶に視線を落とした。
(あの人……麗華さんとは、どんな話をしているんだろう)
考えたくないことばかりが浮かぶ。
胸の奥が重く沈んでいく。
そんな時。
――カチャリ。
玄関の鍵が回る音がした。
由奈は慌てて立ち上がり、
できるだけ明るく声をかけようとした。
「おかえ……」
しかし、
言葉が途中で止まった。
隼人がドアを閉め、
コートのポケットに手を入れたとき――
ふと光が反射して、
右手の薬指が見えた。
指輪が、ない。
正確には、
“外した跡だけがくっきり残っている”。
(……え?)
心臓が大きく揺れた。
思わず息を飲む。
隼人は気づかず、靴を脱いで部屋に上がる。
「遅くなって悪い。……ちょっと仕事が長引いて」
いつもの声。
いつもの歩き方。
だけど、
由奈の視界は“薬指の跡”から離れなかった。
(どうして……指輪、してないの?)
訊きたい。
でも怖い。
麗華の言葉が浮かぶ。
――隼人って、妻の気持ちには気づきにくい人よ。
本当にただの仕事ならいい。
でも、もし。
もし。
(……外したのは、私のせい?
もう、つけたくないの?)
胸がぎゅっと締めつけられて、
指が小さく震えた。
その震えに気づかないまま、
隼人は着替えを手に寝室へ向かう。
「由奈も疲れたろ。先に休んでいいよ」
優しい声。
だけど、その優しさはどこか遠かった。
(優しいのに……触れてくれない。
どうして……指輪はしていないの。)
由奈はそっと問いかけた。
「あの……隼人さん」
「ん?」
寝室のドアの前で、隼人が振り返る。
由奈は視線を落としたまま、
小さな声で言う。
「……指輪、今日は……外していたんですか?」
一瞬の沈黙。
隼人は軽く笑って、
「ああ、仕事でどうしても。
危ない現場だったから、壊したくなくてね。」
なんでもないことのように言った。
本当に、なんでもないという顔だった。
でも。
(私には……説明しなくてもいいことなの?)
胸の奥が少しだけ冷えた。
「……そう、なんですね」
「由奈?」
心配するように名を呼ばれたのに、
それすら胸に痛く響く。
隼人はその痛みに気づかない。
それどころか、
無意識に優しさを向けてくる。
「明日は一緒に出られるといいな。
今日はちょっと……色々あって」
“色々”。
その言葉が
麗華の微笑みと重なる。
(色々……って、麗華さんのこと?)
由奈は、笑えなかった。
ただ静かにうつむいた。
隼人は再び寝室へ歩いていく。
その背中が遠く感じる。
指輪を外した薬指だけが、
由奈の目に焼きついて離れなかった。
(隼人の指輪……
私のためにつけてくれてたはずなのに)
落ちていくような感覚に、
胸がゆっくり沈んでいく。
触れられない手。
言えない気持ち。
外された指輪。
すべてが、
由奈の心に“痛い影”を落としていった
一人きりの部屋は、思った以上に静かだった。
時計の針の音が妙に大きい。
カチ……カチ……と、
寂しさを刻むように響いてくる。
(……隼人さん、遅いな)
麗華と一緒に出ていった隼人は、
まだ帰ってこない。
帰ってきたら笑顔で迎えよう。
そう思って待っていたのに、
時間が経つほど、不安の影が広がっていく。
由奈はソファに腰を下ろし、
冷めた紅茶に視線を落とした。
(あの人……麗華さんとは、どんな話をしているんだろう)
考えたくないことばかりが浮かぶ。
胸の奥が重く沈んでいく。
そんな時。
――カチャリ。
玄関の鍵が回る音がした。
由奈は慌てて立ち上がり、
できるだけ明るく声をかけようとした。
「おかえ……」
しかし、
言葉が途中で止まった。
隼人がドアを閉め、
コートのポケットに手を入れたとき――
ふと光が反射して、
右手の薬指が見えた。
指輪が、ない。
正確には、
“外した跡だけがくっきり残っている”。
(……え?)
心臓が大きく揺れた。
思わず息を飲む。
隼人は気づかず、靴を脱いで部屋に上がる。
「遅くなって悪い。……ちょっと仕事が長引いて」
いつもの声。
いつもの歩き方。
だけど、
由奈の視界は“薬指の跡”から離れなかった。
(どうして……指輪、してないの?)
訊きたい。
でも怖い。
麗華の言葉が浮かぶ。
――隼人って、妻の気持ちには気づきにくい人よ。
本当にただの仕事ならいい。
でも、もし。
もし。
(……外したのは、私のせい?
もう、つけたくないの?)
胸がぎゅっと締めつけられて、
指が小さく震えた。
その震えに気づかないまま、
隼人は着替えを手に寝室へ向かう。
「由奈も疲れたろ。先に休んでいいよ」
優しい声。
だけど、その優しさはどこか遠かった。
(優しいのに……触れてくれない。
どうして……指輪はしていないの。)
由奈はそっと問いかけた。
「あの……隼人さん」
「ん?」
寝室のドアの前で、隼人が振り返る。
由奈は視線を落としたまま、
小さな声で言う。
「……指輪、今日は……外していたんですか?」
一瞬の沈黙。
隼人は軽く笑って、
「ああ、仕事でどうしても。
危ない現場だったから、壊したくなくてね。」
なんでもないことのように言った。
本当に、なんでもないという顔だった。
でも。
(私には……説明しなくてもいいことなの?)
胸の奥が少しだけ冷えた。
「……そう、なんですね」
「由奈?」
心配するように名を呼ばれたのに、
それすら胸に痛く響く。
隼人はその痛みに気づかない。
それどころか、
無意識に優しさを向けてくる。
「明日は一緒に出られるといいな。
今日はちょっと……色々あって」
“色々”。
その言葉が
麗華の微笑みと重なる。
(色々……って、麗華さんのこと?)
由奈は、笑えなかった。
ただ静かにうつむいた。
隼人は再び寝室へ歩いていく。
その背中が遠く感じる。
指輪を外した薬指だけが、
由奈の目に焼きついて離れなかった。
(隼人の指輪……
私のためにつけてくれてたはずなのに)
落ちていくような感覚に、
胸がゆっくり沈んでいく。
触れられない手。
言えない気持ち。
外された指輪。
すべてが、
由奈の心に“痛い影”を落としていった