君と見た花火は、苦情だらけ

第1話 君と見た花火は、苦情だらけ

 七月の終わり、湿った風が川から吹き上がってくる夕方。
 川辺センター三階の会議室には、折りたたみ椅子がびっしり並び、その一つ一つに、うちわやエコバッグを手にした住民たちが座っていた。壁際のホワイトボードには、「川辺センター再開発計画 住民説明会」と書かれた紙がマグネットで留められている。
 前方の演台に立つ一輝は、ネクタイを指でゆるめたい衝動をこらえながら、配布資料の一枚目を持ち上げた。
 「本日は、お忙しい中お集まりいただきありがとうございます。不動産会社スターツホームズ地域活性チームの相沢一輝と申します。本日は、この川辺センターと周辺地区の今後の計画について――」
 その言葉を遮るように、後ろの方から手が上がる。
 「今後ってねえ、どうせ高いマンション建てるんだろう?」
 黒い帽子を深くかぶった男性が、椅子から半分立ち上がりながら声を張った。
 隣でメモを取っていた永羽が、小声で囁く。
 「最初の三分でツッコミ来たな……想定より二十分早い」
 「課長、その実況いります?」
 一輝は口元だけで返事をして、マイクを持ち替えた。
 「本日の資料二ページ目をご覧ください。現時点では複数案を検討しておりまして、確かに集合住宅の案も候補に上がっておりますが、それだけではなく――」
 「集合住宅はもう間に合ってるの! この前も駅前にできたばっかりでしょう?」
 今度は前列の買い物袋を抱えた女性が、袋を足元に置きながら続ける。
 「うちなんか、ここに来るのが楽しみで生きてるようなもんなのよ。サロンもあるし、体操もあるし、取り壊しって簡単に言わないでほしいわ」
 会議室の空気がじりじりと熱を帯びる。
 一輝は、資料の図表を指し示しながら、できるだけ具体的に説明を続けた。耐震基準のこと、このビルの築年数、改修にかかる金額、もし新しい施設になった場合に考えているサービス。
 言葉を選びすぎて、喉の奥がひりつく。
 その間にも、会議室の入口付近では、受付テーブルに肘をついた圭良が、出席者の名前をチェックしながら場を和ませていた。
 「お名前、山本様ですね。今日もお孫さんと一緒ですか? あ、もう走り回ってる。元気で何よりです」
 「うるさいって怒られちゃうかしら」
 「さっき、うちの課長が『子どもの声が聞こえない建物は怖い』って言ってましたから、大丈夫です」
 わざとらしく肩をすくめて見せると、山本と呼ばれた女性がふっと笑う。
 受付の列に並んでいる人たちにも、圭良は一人ずつ軽口を飛ばした。
 「ご意見は、あとでアンケートにも書けますからね。三枚書いたら景品が当たる……といいんですけど、すみません、一枚だけです」
 「なんだ、三枚書いてやろうと思ったのに」
 そんなやりとりに、ピリピリしていた空気が少しずつほぐれていく。
 会議室では、一輝が資料三枚目にたどり着いていた。
 「もし新しい施設ができた場合にも、今このビルで行われている活動を、できるだけ継続できるように考えています。たとえば――」
 「できるだけ、って言葉が一番あやしいのよねえ」
 高齢の男性が椅子をぎい、と鳴らしながらつぶやく。
 永羽が、前方の椅子からさっと立ち上がった。
 「本日いただいたご意見は、必ず社内で共有します。今日ここで決定事項を押しつけるために来たわけではありません。ただ、老朽化の現状や、もしもの時の危険性についても、正直にお伝えしたいと思っています」
 そう言って頭を下げると、会議室のあちこちから、「危険って言われても」「でもねえ」という声がまだ飛んでくる。
 質疑応答の時間は予定を十五分オーバーし、ようやく説明会が終了したときには、外の空はすっかり暗くなっていた。
 会議室の片づけをしながら、一輝はマイクのケーブルを巻き取る。
 「ふう……」
 思わず漏れた息を、永羽が聞き逃さない。
 「なに、もうバテたのか。これからが本番だぞ。アンケート集計と、上への報告書と、住民からの追加の電話と」
 「それを聞いて、ますますバテました」
 冗談めかして返すと、永羽は胸ポケットから胃薬の箱をちらりと見せた。
 「ほれ、これを一日一回飲みながら、数字と向き合うのが大人のたしなみだ」
 「その生活、正直あまり憧れません」
 そんな会話を交わしていると、廊下の方からにぎやかな声が流れ込んできた。
 「もうすぐ河川敷で花火が上がるそうですよ!」
 市の職員が書類の束を抱えながら通り過ぎる。
 「そうだ、今日だったな」
 圭良が受付テーブルの前で伸びをしながら言った。
 「毎年、商店街と町内会が頑張って準備してるやつです。課長、見に行きます?」
 「いや、俺は書類とデートが――」
 「課長、それ以上しゃべると、余計に胃が痛くなりますよ」
 一輝が遮ると、永羽は「はいはい」と手を振って会議室に戻っていった。
 「一輝は?」
 「……片づけが終わったら、少しだけ」
 「少しだけって顔じゃないですよ、そのスーツの汗の量」
 「花火の煙に紛れるから問題ない」
 そんなやりとりをしつつ、三人は机をたたんで壁際に寄せ、椅子をまとめて推しやり、ホワイトボードの紙をはがしていく。
 片づけを終え、川辺センターの正面玄関を出ると、空にはすでに最初の一発が尾を引いて広がっていた。
 ぱぁん、と乾いた音が遅れて届く。
 川沿いの土手には、家族連れや学生たちがレジャーシートを広げ、夜店の焼きそばの香りと、かき氷の甘い匂いが入り混じっている。
 川面には、まだ完全には沈みきっていない夕焼けと、街灯の明かりが揺れていた。
 「相変わらず、こじんまりしてるけど、いいですよね」
 圭良が缶のお茶を片手に、土手の上から見下ろす。
 「文句を言いに来た人も、ほとんどそのまま流れてますよ」
 指さした先では、先ほど会議室で声を上げていた住民たちが、今度は「たまやー」と叫んで笑っていた。
 その様子を見て、一輝の肩から少し力が抜ける。
 「……さっきの勢いで打ち上がらなくてよかったですよ。途中で資料を空に投げそうでした」
 「それをやったら、本社に連絡が打ち上がりますね」
 圭良がにやりと笑う。
 「俺はもう少し受付まわり片づけてきます。先に見てきてくださいよ。一応、今日のご褒美ってことで」
 そう言って圭良はセンターの中に戻っていった。
 一輝は、土手の斜面を下り、河川敷の真ん中あたり、人の隙間をぬうようにして前へ進んだ。
 目の前で、子どもが打ち上げ花火の音に少し驚いて、母親の腕にしがみつく。母親は笑いながら頭を撫でる。
 次の一発が上がる直前、すぐ横で紙の擦れる音がした。
 肩先に近い距離に、誰かが立っている。
 暗がりに目を慣らすと、そこには、肩までの髪をひとつにまとめた女性がいた。
 彼女は人混みのざわめきの中、手帳サイズのノートを胸の前で開いている。街灯の光が、白い紙の上にほんの少しだけ差し込む。
 ひゅるるる、と音を立てて上がる光を見上げながら、女性のペン先が、紙の上をすべる。
 その筆跡が、ふと一輝の視界に入った。
 ――君と見た花火。
 くっきりと、そう書かれている。
 思わず、目がそこにとどまってしまった。
 次の瞬間、ぱあん、と夜空が白くはじける。
 光に照らされた横顔が、ほんの一瞬、くっきり浮かび上がった。
 笑っているでもなく、泣いているでもなく、ただ何かを確かめるように花火を見上げる表情。
 女性は、視線を空からノートに戻し、追いかけるように数文字を書き足す。
 そして、ふっと息を吐いてから、ノートを閉じた。
 「……すみません」
 一輝は、視線をそらしきれなかった自分に気づき、思わず声をかけていた。
 「文字、見てしまいました」
 女性は、驚いたように瞬きをしたあと、すぐに口元をゆるめた。
 「気づきました。さっきから、視線が紙の上を行ったり来たりしていたので」
 「そんなにわかりやすかったですか」
 「ええ。説明会のときから、資料の隅っこまでちゃんと見ている人だなと思っていたので」
 さっきの会議室の空気が、ふっと脳裏によみがえる。
 「……先ほどは、失礼しました。言葉が足りなかったかもしれません」
 「言葉自体は、ちゃんと準備してきた感じがしましたよ」
 女性は、手帳をバッグにしまいながら言った。
 「ただ、聞いている人の顔より、ホワイトボードの方をよく見ていたから、もったいないなって」
 「顔を見ていると、質問が飛んできそうで」
 「それはもう飛んできてました」
 彼女はくすりと笑う。
 花火が続けて三つ、間隔をあけて打ち上がる。
 川の向こう岸の明かりが、そのたびに一瞬かき消され、また戻ってくる。
 「現場の声って、さっき誰かが言っていましたよね」
 女性が、空を見上げたまま口を開く。
 「今日みたいな説明も大事だけど、ここの廊下で立ち話している人の言葉とか、部屋の隅でうなずいている人の視線とか、そういうものを拾って伝えてあげる人がいたら、きっと安心すると思います」
 「拾って伝える人、ですか」
 「はい。そういう仕事をしているので、つい気になってしまって」
 女性は、自分の胸元を指さす。
 「ここに教室があるんです。文章を一緒に書く教室。今日も、受講生の方とこの後の特集について話していて……そのまま花火までついてきてしまいました」
 川辺センターの上階。
 エレベーター前の掲示板に貼られていた、「市民講座『私がアツく語りたい』受講生募集中」という紙が、一輝の頭に浮かぶ。
 「……あの教室の先生ですか」
 「多分、その『あの』です」
 女性はうなずき、少しだけ肩をすくめた。
 「さっきの説明、全部を否定したいわけじゃないんです」
 そう前置きしてから、続ける。
 「ただ、ここに通っている人たちが、今日みたいな場で何を感じているのかも、一緒に伝えてもらえたらいいなって。数字だけじゃなくて、生活の話も」
 「……生活の話は、資料に載せづらくて」
 「ですよね」
 彼女は、あっさりとうなずいた。
 「だから、私の方でも書いてみます。ここのビルが、誰にとってどんな場所なのか。誰とここで花火を見てきたのか。そういう話を集められたら、少しは違うかもしれません」
 その言葉に、一輝の胸の中で何かがひっかかった。
 自分が今日話したのは、耐震、築年数、収支計画。
 彼女が言おうとしているのは、誰かの思い出と、暮らしの手ざわり。
 同じビルの話をしているのに、見ているものが少し違う。
 「現場の声、ですか」
 「そうです」
 「もし、それを書いたら……見せてもらうことは」
 「もちろん。ここのフリーペーパーにも載せたいと思っているので」
 そう言って、彼女は一歩下がった。
 「まあ、まずは、さっきの説明の続きからですね」
 「続き?」
 「『老朽化だから壊す』って言った人がいましたよね。その人に、『老朽化していても通いたい場所』って何なのか、今度聞いてみます」
 ひゅるる、と高く上がった光が、ふたりの会話を区切る。
 次の瞬間、夜空一面に色とりどりの火花が広がった。
 思わず見上げた一輝の耳に、彼女の小さなつぶやきが届く。
 「……君と見た花火、か」
 さっきノートに書かれた言葉。
 「君」というのが誰なのか、聞いてみたい気持ちが、喉のあたりまでせり上がってくる。
 だが、その問いかけを形にする前に、別の声が割り込んできた。
 「先生、ここにいたんですね!」
 後ろから、紙袋を抱えた女性が駆け寄ってくる。
 「原稿の相談、来週でもいいって言ってましたけど、やっぱり一回だけ見てほしくて……」
 「あ、すみません。すぐ行きます」
 彼女は慌てて振り返り、会釈をした。
 「さっきは、いろいろ言ってしまって」
 「いえ。こちらこそ」
 「また、どこかで」
 その曖昧な約束の言葉を残し、彼女は人混みの中へと歩いていく。
 背中が夜店の灯りに紛れ、やがて見えなくなった。
 ふと視線を落とすと、足元近くの地面に、さっきまで彼女が持っていたボールペンが転がっている。
 一輝はそれを拾い上げ、しばらく指先で転がした。
 「……名前、聞いてないな」
 苦笑まじりにつぶやき、ポケットから名刺入れを取り出す。
 代わりに渡せなかった自分の名刺が、きれいなまま並んでいる。
 花火がいくつか上がり終わったころ、圭良が後ろから肩を叩いた。
 「お、ちゃんと見てるじゃないですか。どうでした?」
 「どうって」
 「説明会の後の花火って、なんか味変わりません? クレームが煙に流されるというか」
 「そんな便利な煙だったら、うちの会社で商品化してます」
 「じゃ、代わりに作りましょうか。『苦情が少しだけ柔らかく聞こえる耳栓』」
 「機能の説明が難しすぎます」
 ふたりでそんな話をしている間にも、川沿いでは最後の連発が始まっていた。
 連続して上がる花火の光が、一瞬だけ、川辺センターの窓ガラスを照らす。
 翌朝。
 スターツホームズのオフィスで、一輝は前日のアンケート結果をまとめながら、パソコン画面と紙の山のあいだを行き来していた。
 休憩がてら、川辺センターのテナント一覧のファイルを開く。
 エレベーターの停止階、部屋番号、業種、責任者の名前。
 数字と文字が並ぶ表の中に、ひとつだけ昨日の横顔と結びつく行があった。
 二階 203号室
 市民講座「私がアツく語りたい」
 講師 相沢詩織
 「相沢……詩織」
 声に出した途端、川沿いの風と、夜空に散った光と、「君と見た花火」という文字が、まとめて胸の奥に戻ってくる。
 「お、そこ気になります?」
 いつの間にか背後に立っていた圭良が、ファイルを覗き込む。
 「昨日、階段の踊り場の張り紙で見ましたよ。その教室の先生、説明会の前も後も、ずっと受講生の話聞いてました」
 「……そうですか」
 「名前、覚えました?」
 「さっき、覚えたところです」
 「じゃあ次は、顔と名前をセットで覚えに行きましょうか、仕事として」
 圭良は、にやりと笑って自分のデスクに戻っていった。
 一輝は、パソコン画面のテナント一覧をもう一度見つめる。
 昨日、河川敷で隣に立っていた女性の横顔と、ファイルに打ち込まれた「相沢詩織」の文字が、少しずつ重なっていく。
 君と見た花火。
 あのノートに書かれていた「君」が誰なのか、その答えを確かめる機会は、きっとまた来る。
 そう思った瞬間、手の中のボールペンが、軽く鳴った。
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