ボーイズ・アンサンブル!

前奏


かつて、天才と持て囃された少女がいた。

その名は望星(ノゾミボシ)(カナデ)
音楽界の希望の星、天才作曲家。
音楽を愛する家に生まれ、音楽の英才教育を受けた、音楽の申し子。ミュージカル、オペラ、合奏曲、協奏曲…あらゆる音楽を創り出す、正真正銘の天才。
メディアの前に顔を出すことは一切なく、存在はするのに顔を出さないミステリアスさから、世界中のクラシックファン・音楽家は、彼女を追い求めた。

しかし、彼女は急に消えた。



[望星奏は、もう曲を作りません。]



そう、インターネットに呟かれた一言。
それは瞬く間に世界中に拡散され、大事件となった。

そんな彼女が、音楽を辞める。
それは音楽界、いや世界にとって大きな損失である。

世界中の音楽家やテレビ局、新聞社は、こぞって彼女の居場所を探した。
しかし、見つかることはなかった。
家族に聞いても、黙秘を貫き通されるばかり。

そうして、望星奏は音楽界から世界を消したのだった…



***



場所は変わり、私立 黎音(レイネ)学園。
中高一貫・全寮制、進学科と普通科、工業科など様々な分野に分かれているマンモス校である。
ここに、とある人物が入学することになった。



(…私は、もう音楽なんてやりませんから。)



望星奏。音楽界の希望の星。
そんな彼女は、黎音学園の進学科に所属することが決定していた。



(音楽から離れて、普通に過ごしたい。)



作曲家としての過去を捨てて、普通の女子中学生として生きていくと決めていた。
進学科専用の校門から、これからに対する一抹の不安を抱えながらも、一歩を踏み出す…筈だった。



「あ、望星さん…でよかったかしら?」



急に、スーツを着た女の人が彼女に話しかけてきた。
明るい茶髪を左側でまとめ、細い黒縁眼鏡をかけている。教師なのだろうか、首にストラップもつけている。



「え?ああ、そうですが…」

「急にごめんなさいね。私は乙音(オトネ)。今年から新設された音楽科の教師をしてるの。」

「音楽科、ですか…」



奏は顔を少し顰める。とは言え、初対面の人にはわからない程度にだが。
音楽に精通しているなら、奏の名前は誰だって知っている。それを彼女はわかっていた。
だからこそ、音楽科のないところが第一志望だったのに、新設されているなんて…奏は自分の情報収集能力の無さを、少しだけ恨んだのだった。



「…で……だから…望星さん?聞いてる?」

「あ…申し訳、ありません。」



個人的な考え事のせいで、話を聞くのを忘れていたことに気づく。
これはこちら側の過失であるため。奏は慌てて頭を下げて謝った。



「大丈夫だけど…じゃあ最初から話すわね。

貴女には…音楽科に移籍してもらいます。」


「……え?」



一瞬、奏は相手が何を言っているのかわからなくなった。
進学科で、音楽を辞めたはずの自分が、また音楽を再開する?そんな阿呆な。そんなことができるのなら、初めから辞めてなんてない、と。



「わ、私は進学科を受験して合格して此処にいます。入学金や学費も払ってますし…!」

「スライドよ。お金は音楽科の学費に使われているわ。音楽設備が整っている新築の校舎に、通常の学費で入れるのだからむしろお得よ。」

「でも、親が…!」

「そう、だから一つ条件があるわ」



“条件”
その言葉に、奏の喉がごくりとなった。



「一年間。12ヶ月間だけ、音楽科として生活して欲しいの。
その後の延長は自由だし、進学科に移籍してもいい。きっぱり一年間だけよ。」



それは、恐らく奏の親からの最大の譲歩だったのだろう。
音楽を愛する一家の娘が、音楽を辞めてしまった。
理由を知っている家族は、態々音楽をやらなくて良いと言ってきた。
でも、それでも音楽に溢れたあの場所が苦しくて、奏は家から逃げるように全寮制の学園に入学したのだ。
もしかしたら、社会への後ろめたさや音楽への愛が暴走したのかもしれない。嫌になる。
それでも、親からの愛が伝わってきて、奏は断ろうにも断ることができなかった。
喉の奥から、必死の思いで言葉を捻り出す。



「…了解、しました。ですが、こちらからも条件があります。」

「何かしら」

「期間を6ヶ月にして、住む場所は進学科の女子寮にしてください。それからのことは自分で決めます。」



これは、奏にとっての絶対条件である。
学年の半ばというキリの悪い時期に編入すれば、孤立する可能性がある。だから、二人一組の部屋割りである進学科女子寮に入寮しておくことで、関係性を築く。これが、奏の計画なのだ。



「…わかったわ。それくらいなら許可します。
早速音楽科は顔合わせを行うから、ついてきて頂戴。」

「…はい。」



背を向けて歩き出す乙音に導かれるように、奏は入学式会場から真逆の、音楽棟へ進んでいったのだった。



***



「ここが音楽棟よ。」



連れてこられたのは、公民館のような建物の前だった。真新しく、壁には染み一つ見つからない。新築であるというのはあながち間違いではないようだ。
ガラス製の扉は自動ドアになっていて、入ってすぐには大きなエレベーターも見える。楽器運搬用だろうか。

指定された階段を降りていく。目的地である大合奏室は地下三階にあり、そこまでのフロアには専用の練習室が存在し、地上の2階は寮になっているらしい。音楽のためと全てが合理的かつ理的に配置されており、奏は少し尊敬してしまった。



(あれ…?)



通るフロアには、各楽器用の練習室なのか「ピアノ」や「フルート」、「ヴァイオリン」など、カラフルに彩られた個性豊かなネームプレートが付けられていた。
奏は、そこになんとなくの違和感を感じたが、その正体はわからなかった。



「ここが大合奏室よ。」

「迎え役の子達がそろそろ来るから。待ってて頂戴。」

「は、はい…」



階段を降りきってすぐ見えたのが、その大合奏室なるもの。
合奏室と言ってもどこかの小ホールのような豪華な舞台が、それも地下にあるのは流石黎音学園だなぁと、空返事をしながら奏は思うばかりだった。



「ねぇ、奏ちゃん。」

「うぇっ?!」



急に、後ろから肩を叩かれた。
飛び跳ねる心臓を抑えながら振り向いた先には、一人の青年が笑みを浮かべて立っていた。
あまり異性にも興味がない奏でさえ美形であるとわかる美しい顔立ちと白い瞳、癖など一切ない、白色から根元にかけて黒色へと移り変わっていく髪。
首元についているチョーカーに埋め込まれた白色の宝石は、彼の中心であるかのように光り輝いていた。



「だっ、誰ですか…それに、何故私の名前を…」

「転入する子の名前くらい覚えるよ。
 あ、俺の自己紹介がまだか」



「やらかしちゃった」と笑う笑顔からは、多少の胡散臭さを感じつつも、目が離せない輝きがあった。



「俺は七音(ナナネ)(ケン)。此処黎音学園音楽科のリーダーであり、鍵盤学部のマスターをしているんだ。」

「け、鍵さん…?」

「そう。そして、鍵盤楽器“ピアノ”の化身でもある。」



「化身」その言葉が、奏の中に引っかかった。



(そんな言葉、聞いたことない。
 化身だなんて、まるで自分がピアノ自身であるかのように…)

「俺は、ピアノそのものだよ。」

「えっ、」

「疑問に思ってたでしょ?」

「それはそうですけど…どういうことですか!」



「当たってた?」と無邪気に笑う彼に、奏は更なる説明を求める。
すると、相手は項垂れるように口を開いた。



「説明してって、俺たちも不安定だからよくわからないよ。
 俺はピアノの化身であり、“楽器男子”である。
 そして、」

「人の心に残り続ける曲を作らなければ、俺は…俺たちは消える。それだけ。」



奏は言葉を失った。
それは、話した内容の衝撃度が大きかったこともあるかもしれないが…それ以上に、さっきまで優しく微笑んでいた青年が、泣きそうなくらい苦しそうな顔を作っていたからだろう。



「だからさ、君にお願いがあるんだ!」

「え、?」



さっきまでの哀愁は何処へやら。
弾けんばかりの笑みを浮かべ、奏の手を取りながら目の前の男は語りかけてきた。



「俺たちが生き残るために、曲を作ってよ。
 天才作曲家、望星奏ちゃん。」

「あ、」



“天才作曲家”
それは、奏が幾度となく言われてきた言葉で、奏に音楽を作れなくさせた言葉でもある。



(そのプレッシャーが苦しい。
 やめて、私に期待しないで。
 私に失望しないで。)



息ができない、呼吸が荒くなる。
視界にモヤが掛かったように見える。
体からスッと血の気が引くのがわかり、立っていられなくなる。



「奏ちゃん?!」



慌てて奏を支える鍵。
過呼吸状態になっている奏は、これだけは伝えないとと言葉を紡いだ。



「もう…曲は、作れません…」



相手がどんな顔をしていたかなんてわからない。
ただ、その拒絶を息も絶え絶えに伝えた後、奏の視界は黒く染まったのだった。
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