ビタースイート・ドロップ~次期社長の甘い嘘~
 相手にも緊張が伝わったのかもしれない。
 人の好い顔をさらににっこりと微笑ませ、社長はテーブル越しに書類を差し出してきた。

 半透明のクリアファイルに挟まれた数枚を見つめた後、首を上げて社長の顔を眺める。
 社長は薄い笑みを――それだけは沓澤代理が浮かべる笑みによく似ている――浮かべ、口を開いた。

「この書類を、奏……いや失礼、沓澤君に届けてくれないかな」

 穏やかに微笑む社長と派手に視線がかち合い、頬が引きつった。

「……はい?」
「はい、沓澤君の住所。知ってるとは思うけど、一応ね。今日の退勤後に届けてもらえるかな? もらえるよね?」

 一気にまくし立てられ、二の句が継げない。
 いや、あの、と意味を成さない言葉ばかり零す私に、社長は有無を言わさずさらにクリアファイルを押し出してくる。
 住所が記されているメモ用紙は、いつの間にかさりげなくクリアファイルの中に一緒に入れられていた。

「あの、社長。そのいったお仕事は、私は、」

 意を決して放とうとしたお断りの口上は、相手の微笑みに掻き消されてしまう。
 いや、どちらかといえば、微笑みの裏にちらちらと垣間見える落ち着き払った視線に、かもしれなかった。
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