各務課長が「君の時間を十分ください」と言った結果
 私は急いでスカートのポケットからハンカチを取り出した。課長の前髪から明らかに水がしたたり落ちている。よく見たらジャケットの肩や腕も濡れていた。

「あの……かばってくださってありがとうございました」

「これを」と差し出したハンカチを課長はいつまでも受け取ろうとしない。その間にもポタポタと水滴が前髪から落ちてくる。

「そのままにしていたら、風邪を引いてしまいます」

 前髪を拭こうと手を伸ばしたら、手首を掴まれた。手のひらの熱さに心臓がドキンと大きな音を立てる。

「風邪を引いたら実花子が看病してくれる?」
「なっ……」

 小首をかしげて甘やかに微笑まれ、心拍数が駆け上がる。

「恋人のふりはもう終わったんですよね?」
「残念」

 ふっと息を吐くように笑いながら、課長は私の手首を放す。そして自分のハンカチを出すと、私の左肩をポンポンと拭いた。

「かばいきれなくてすみませんでした。せっかくいつにも増してかわいい格好をしていたのに」

 かっ、かわいい⁉ 

 急に敬語に戻ったことよりも、課長の口から『かわいい』なんて単語が出てきた方に驚く。

「い、いえっ! あれは私が余計な口出しをしたせいなのでっ! 各務課長は黙って座っていてとおっしゃっていたのに……」

 無防備なまま一撃を食らったせいで、動揺を隠しきれない。顔が熱い。

「いや。彼女が君に対してあんな凶行に出るとは思いませんでした。詰めが甘かった俺が悪い。本当に申し訳ありませんでした」

 思いきり頭を下げられ、私はさらに慌てふためいた。

 今思えば、課長は冷たく当たることで園田さんを諦めさせようとしていたのだ。それを私が邪魔した形になった。
『かばいきれなかった』とはいっても、私は肩口にほんの少し水がかかった程度。それも彼が拭いてくれるまで気づかなかったレベルだ。
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