大好きだった元彼と再会しましたが、私はもう結婚しています。
夕方、私は残って特許出願用の資料をまとめていた。
フォレスティア飲料では、すべての新商品で特許をとるわけではない。
技術の核心が競合に模倣されやすいか、差別化にどれだけ寄与するか、今後のラインアップでどう位置づけるか。
そういった戦略を総合して、「出願するかどうか」が決まる。
今回は、香味の安定化に関する製法が競合優位につながるということで、方法特許として法務部と共同で出願することになった。
本来の出願作業は法務部だけど、反応条件、製法手順、配合比、実施例などの技術内容は私たち開発側がまとめる必要がある。
社内規定上、試作データや比較例も揃えておかないといけない。
(よし……残りの実施例1、2の考察を書き足したら一区切りかな)
私がパソコンを前にそんなことを考えていた時、
「桐沢さん、こちらの書類、チェック終わりました」
と声をかけてきたのは、新人の松本くんだった。
控えめだけど観察力が鋭く、分析も丁寧で正直すごく助けられている。
「ありがとう。先行技術の簡易調査までやってくれたんだね。確認しておくよ。残りは私がやるから、もう帰っていいよ」
「はい。……あの、ひとつ聞いてもいいですか?」
「どうしたの?」
「前って、桐沢さん、家の都合で定時で帰る方針じゃなかったですか? 最近、遅くまで残ってますけど……その、大丈夫ですか?」
少し驚いて、顔を上げてしまった。
「アハハ……バレてた? 今、夫が忙しくて帰りも遅いの。家にいても時間を持て余しちゃうから、むしろ仕事が進む時期というか……」
「……そうですか」
「ごめんね。私が残ってると、帰りづらかったりするよね。本当に気にしなくていいから、自分の予定にあわせて帰ってね」
「いや、帰りづらいとかじゃなくて……」
彼は少し照れたように視線を落としたあと、ぽつりと言った。
「最近の桐沢さん、無理して早く帰ってた時より……仕事楽しそうだなって思って」
「え?」
思わず息を呑んだ。
「俺も、上廻部長に新しい論文テーマの相談に乗ってもらってて。元々、俺の修士の専門が近かったから声をかけてもらって……そこからずっと、いろいろ教えてもらってるんです。新しい発見もあって、毎日すごく楽しいです」
後輩が、こうして嬉しそうに語ってくれることが、少し誇らしい。私にもその気持ちがよくわかった。
「開発もすごく好きですけど……研究も楽しくて。その両方を今できてるのが、幸せだなって」
「ふふ、分かるよ。すごく分かる」
頷くと、松本くんは顔をほんのり赤くして笑った。
自分も、昔はそう思っていた。
(……いや、今もそうだ)
私は今、ここで仕事をしている時間が、何より楽しいと思ってしまっている。
家にいるよりも、夫の顔色をうかがうよりも、香りと数字と試作に向き合っているときが、一番呼吸がしやすい。それに気づいてしまった。