声にならない、さよならを
第2章 「放課後、名前を呼ばれる距離」
部活の音が響く放課後の校舎は、
昼間よりもなぜか温度が低く感じる。
委員会の仕事が終わって、
私はひとり廊下を歩いていた。
夕焼けの光に照らされた床がオレンジ色に染まり、
窓の外では男子バレー部の掛け声が聞こえる。
体育館の横を通るたび、
少しだけ胸がざわつくのは――
そこに、蒼士先輩の姿を探してしまうから。
副委員長として委員会に顔を出す日は決まっているのに、
なぜか私は毎回“偶然会えるかもしれない”と期待してしまっていた。
そんなときだった。
「ゆりー!待って!」
大きな声が響いて、振り返る。
バレー部のジャージ姿の春斗が、こちらへ走ってきていた。
頬が少し赤くて、汗で髪が額に張りついている。
それなのに笑顔で近づいてくる姿が、
なんだか眩しかった。
「また委員会だったの?今日ずっと探してたんだけど」
「探してたって…どうして?」
「教科書、借りたやつ返したくて」
少し照れたように春斗が教科書を差し出す。
その声色は軽く聞こえる。
でも、
心の奥では“それだけじゃない”ことに、私はうすうす気づいていた。
「ありがとう」
「うん……あ、あのさ」
春斗が言いかけたその時――
「春斗ー!!まだスパイク練習あるってば!!」
体育館から仲間の声が響いた。
「あっ……くそ、行かなきゃ……!」
「いいよ、行ってあげて」
「……また、後で話してもいい?」
春斗の声は、
どこか言葉を選んでいるように聞こえた。
「うん」
返事をすると、
彼はホッとしたように笑って戻っていった。
その背中を見送りながら、
私は自分がどんな顔をしているのかわからなかった。
春斗は優しい。
近くにいると心があたたかい。
でも、
それは“恋”とは少し違う気がした。
──その時だった。
「……何してるの?」
静かな声が聞こえ、振り向く。
廊下の角から、
蒼士先輩が歩いてくるところだった。
今日の先輩は委員会の仕事があったはず。
だけど資料を片手にしているから、済ませて帰るところなのだろう。
蒼士先輩は春斗の背中が見えなくなった方向を一度見て、
それから私に視線を戻す。
「仲いいんだね、春斗と」
「え? あ、いや……そんなにでも……」
「そっか」
蒼士先輩は淡々としている。
けれどその一言には、
言葉以上のものが含まれていた。
嫉妬、というほど強くはない。
でも確かに、そこには“感情”があった。
胸の奥が、ゆっくりと熱くなる。
「帰るなら、駅まで一緒に行こう。
資料、職員室に戻したら行くから」
「えっ……あ、はい」
自然に隣を歩くように促されて、
私の心臓は落ち着かない鼓動を打ち続ける。
委員会の説明、
名前を呼ばれたあの日、
そして今日。
蒼士先輩はいつも、
“そっと寄り添うように近くにいる”。
なのに、
その距離は絶対に0にはならない。
手を伸ばしたら届く気がするのに、
本当は届かない場所にいる人。
歩くたびに、
その背中に“大人の影”が落ちて見えた。
駅までの道は夕焼けが少しだけ残っていて、
空気は春なのに冷たかった。
蒼士先輩は何も話さない。
ただ歩幅を合わせてくれる。
それだけなのに、安心できる。
信号待ちの時だった。
「……さっきの」
急に先輩が口を開く。
「春斗。君のこと、気にしてるよ」
「え……」
「わかるよ。ああいう目は」
蒼士先輩の目が、ほんの少しだけ柔らかくなった。
でも、その奥には触れられない何かがある。
「君のこと好きなんだと思うよ、あいつ」
心臓が一瞬止まりそうになる。
そんなふうに誰かの恋を語る先輩の声は、
優しいのに、どこか遠かった。
「……そうなんですかね」
なんとか返すと、
蒼士先輩は私の方を一瞬見て、
ふっと息を漏らした。
「君も……気をつけてね」
その“気をつけて”は、
第1章で言われたそれとは違うニュアンスだった。
春斗に?
それとも――
私自身の心に?
聞き返そうとした瞬間、
先輩は歩き出してしまった。
問いが喉の奥に残ったまま、
私はただ後ろからついていく。
夕焼けも、冷たい風も、
全部が胸に染み込んでいくようだった。
その日の帰り道、
気づいてしまった。
――この先輩を好きになったら、
きっと、簡単には戻れない。
自分でも驚くくらい、
心がゆっくりと痛い方向へ傾いていった。
昼間よりもなぜか温度が低く感じる。
委員会の仕事が終わって、
私はひとり廊下を歩いていた。
夕焼けの光に照らされた床がオレンジ色に染まり、
窓の外では男子バレー部の掛け声が聞こえる。
体育館の横を通るたび、
少しだけ胸がざわつくのは――
そこに、蒼士先輩の姿を探してしまうから。
副委員長として委員会に顔を出す日は決まっているのに、
なぜか私は毎回“偶然会えるかもしれない”と期待してしまっていた。
そんなときだった。
「ゆりー!待って!」
大きな声が響いて、振り返る。
バレー部のジャージ姿の春斗が、こちらへ走ってきていた。
頬が少し赤くて、汗で髪が額に張りついている。
それなのに笑顔で近づいてくる姿が、
なんだか眩しかった。
「また委員会だったの?今日ずっと探してたんだけど」
「探してたって…どうして?」
「教科書、借りたやつ返したくて」
少し照れたように春斗が教科書を差し出す。
その声色は軽く聞こえる。
でも、
心の奥では“それだけじゃない”ことに、私はうすうす気づいていた。
「ありがとう」
「うん……あ、あのさ」
春斗が言いかけたその時――
「春斗ー!!まだスパイク練習あるってば!!」
体育館から仲間の声が響いた。
「あっ……くそ、行かなきゃ……!」
「いいよ、行ってあげて」
「……また、後で話してもいい?」
春斗の声は、
どこか言葉を選んでいるように聞こえた。
「うん」
返事をすると、
彼はホッとしたように笑って戻っていった。
その背中を見送りながら、
私は自分がどんな顔をしているのかわからなかった。
春斗は優しい。
近くにいると心があたたかい。
でも、
それは“恋”とは少し違う気がした。
──その時だった。
「……何してるの?」
静かな声が聞こえ、振り向く。
廊下の角から、
蒼士先輩が歩いてくるところだった。
今日の先輩は委員会の仕事があったはず。
だけど資料を片手にしているから、済ませて帰るところなのだろう。
蒼士先輩は春斗の背中が見えなくなった方向を一度見て、
それから私に視線を戻す。
「仲いいんだね、春斗と」
「え? あ、いや……そんなにでも……」
「そっか」
蒼士先輩は淡々としている。
けれどその一言には、
言葉以上のものが含まれていた。
嫉妬、というほど強くはない。
でも確かに、そこには“感情”があった。
胸の奥が、ゆっくりと熱くなる。
「帰るなら、駅まで一緒に行こう。
資料、職員室に戻したら行くから」
「えっ……あ、はい」
自然に隣を歩くように促されて、
私の心臓は落ち着かない鼓動を打ち続ける。
委員会の説明、
名前を呼ばれたあの日、
そして今日。
蒼士先輩はいつも、
“そっと寄り添うように近くにいる”。
なのに、
その距離は絶対に0にはならない。
手を伸ばしたら届く気がするのに、
本当は届かない場所にいる人。
歩くたびに、
その背中に“大人の影”が落ちて見えた。
駅までの道は夕焼けが少しだけ残っていて、
空気は春なのに冷たかった。
蒼士先輩は何も話さない。
ただ歩幅を合わせてくれる。
それだけなのに、安心できる。
信号待ちの時だった。
「……さっきの」
急に先輩が口を開く。
「春斗。君のこと、気にしてるよ」
「え……」
「わかるよ。ああいう目は」
蒼士先輩の目が、ほんの少しだけ柔らかくなった。
でも、その奥には触れられない何かがある。
「君のこと好きなんだと思うよ、あいつ」
心臓が一瞬止まりそうになる。
そんなふうに誰かの恋を語る先輩の声は、
優しいのに、どこか遠かった。
「……そうなんですかね」
なんとか返すと、
蒼士先輩は私の方を一瞬見て、
ふっと息を漏らした。
「君も……気をつけてね」
その“気をつけて”は、
第1章で言われたそれとは違うニュアンスだった。
春斗に?
それとも――
私自身の心に?
聞き返そうとした瞬間、
先輩は歩き出してしまった。
問いが喉の奥に残ったまま、
私はただ後ろからついていく。
夕焼けも、冷たい風も、
全部が胸に染み込んでいくようだった。
その日の帰り道、
気づいてしまった。
――この先輩を好きになったら、
きっと、簡単には戻れない。
自分でも驚くくらい、
心がゆっくりと痛い方向へ傾いていった。