声にならない、さよならを
第3章 「近づきそうで、遠くなる距離」
春の陽が少し傾いた放課後、
図書室の静かな空気に、私はひとり座っていた。
課題を整理するふりをして、
でも実際はノートの文字を追うこともできない。
視線は、いつもより少し光の少ない窓の外を漂っていた。
「柚李?」
柔らかい声に顔を上げると、
そこに立っていたのは蒼士先輩だった。
「……先輩、なんで?」
「用事があって…君がまだいるかな、と思って」
蒼士先輩は軽く資料を手に持ち、
でもその目は私をまっすぐに見ていた。
心臓が、自然に早鐘を打つ。
「ちょっと手伝ってほしいことがあって」
そう言って差し出されたのは、委員会の資料。
でも、私が受け取ると、手が少し触れた。
「……あっ、すみません」
「大丈夫。ほんの少しだから」
その距離感――
触れそうで触れられない微妙な間。
胸の奥が、じわじわと熱くなる。
「この資料、整理してくれる?」
図書室の片隅で、並んで座る。
ページをめくるたび、手がほんの少し重なる。
小さな接触なのに、
心臓が止まりそうになる。
「先輩…本当に、手伝うだけですか?」
「もちろん。ただ…柚李といると、落ち着くから」
その言葉に、胸がぎゅっと締めつけられる。
落ち着く、って…
誰も知らない距離感を、私だけが感じている。
でも、すぐに現実に引き戻される。
「……でも、先輩って、年上ですよね」
「……ああ」
蒼士先輩の声が、少しだけ低くなる。
遠くに感じる大人の壁が、
私と彼の間に確かにあるのを思い知らされる。
「だから、私…春斗に言い寄られても、気にしないでいいですか?」
「……あいつは、優しい。
でも、君の心がどこにあるかは、僕が知ってる」
私は、声を出して笑えなかった。
嬉しいような、切ないような、
胸の奥で複雑な感情が絡み合う。
その後も、二人で資料を整理しながら、
言葉よりも沈黙の方が多い時間が続いた。
窓の外、夕陽は図書室の床に伸びて、
長い影が私たちの間に落ちている。
「柚李、もうすぐ帰る時間だね」
その声に、私はうなずく。
でも足は動かない。
もっと、ここにいたい。
もっと、蒼士先輩と近づきたい。
「……また、来てくれますか?」
「もちろん。
でも、無理はしなくていい」
大人の余裕を持つ彼の声は、
優しいのに、どこか届かない。
胸が痛い。
手を伸ばしたら届きそうなのに、
絶対に触れられない距離。
帰り道、校門の前で見送る蒼士先輩。
「また、委員会で」とだけ言って、
そのまままっすぐ帰っていく。
私は立ち止まり、見送った。
その背中は優しく、暖かく、
でも決してこちらに歩み寄らない。
振り返ると、春斗が校門の向こうで手を振っている。
その笑顔に、胸が少し痛む。
どうしてか、心が二つに割れそうだった。
――好き。
――でも、触れてはいけない。
そんな気持ちが、静かに胸の奥で揺れる。
その夜、ベッドに入っても、
蒼士先輩の声が、手の触れた感触が、
くっきりと頭の中に残った。
あの日から、
“触れそうで触れられない距離”が、
私の日常になったのだ。
図書室の静かな空気に、私はひとり座っていた。
課題を整理するふりをして、
でも実際はノートの文字を追うこともできない。
視線は、いつもより少し光の少ない窓の外を漂っていた。
「柚李?」
柔らかい声に顔を上げると、
そこに立っていたのは蒼士先輩だった。
「……先輩、なんで?」
「用事があって…君がまだいるかな、と思って」
蒼士先輩は軽く資料を手に持ち、
でもその目は私をまっすぐに見ていた。
心臓が、自然に早鐘を打つ。
「ちょっと手伝ってほしいことがあって」
そう言って差し出されたのは、委員会の資料。
でも、私が受け取ると、手が少し触れた。
「……あっ、すみません」
「大丈夫。ほんの少しだから」
その距離感――
触れそうで触れられない微妙な間。
胸の奥が、じわじわと熱くなる。
「この資料、整理してくれる?」
図書室の片隅で、並んで座る。
ページをめくるたび、手がほんの少し重なる。
小さな接触なのに、
心臓が止まりそうになる。
「先輩…本当に、手伝うだけですか?」
「もちろん。ただ…柚李といると、落ち着くから」
その言葉に、胸がぎゅっと締めつけられる。
落ち着く、って…
誰も知らない距離感を、私だけが感じている。
でも、すぐに現実に引き戻される。
「……でも、先輩って、年上ですよね」
「……ああ」
蒼士先輩の声が、少しだけ低くなる。
遠くに感じる大人の壁が、
私と彼の間に確かにあるのを思い知らされる。
「だから、私…春斗に言い寄られても、気にしないでいいですか?」
「……あいつは、優しい。
でも、君の心がどこにあるかは、僕が知ってる」
私は、声を出して笑えなかった。
嬉しいような、切ないような、
胸の奥で複雑な感情が絡み合う。
その後も、二人で資料を整理しながら、
言葉よりも沈黙の方が多い時間が続いた。
窓の外、夕陽は図書室の床に伸びて、
長い影が私たちの間に落ちている。
「柚李、もうすぐ帰る時間だね」
その声に、私はうなずく。
でも足は動かない。
もっと、ここにいたい。
もっと、蒼士先輩と近づきたい。
「……また、来てくれますか?」
「もちろん。
でも、無理はしなくていい」
大人の余裕を持つ彼の声は、
優しいのに、どこか届かない。
胸が痛い。
手を伸ばしたら届きそうなのに、
絶対に触れられない距離。
帰り道、校門の前で見送る蒼士先輩。
「また、委員会で」とだけ言って、
そのまままっすぐ帰っていく。
私は立ち止まり、見送った。
その背中は優しく、暖かく、
でも決してこちらに歩み寄らない。
振り返ると、春斗が校門の向こうで手を振っている。
その笑顔に、胸が少し痛む。
どうしてか、心が二つに割れそうだった。
――好き。
――でも、触れてはいけない。
そんな気持ちが、静かに胸の奥で揺れる。
その夜、ベッドに入っても、
蒼士先輩の声が、手の触れた感触が、
くっきりと頭の中に残った。
あの日から、
“触れそうで触れられない距離”が、
私の日常になったのだ。