隣の彼はステイができない
* * *
「わーすごい、混んでるね」
国立博物館の入り口で、隣にいる歩が階段を見上げて呟いた。
「人気なんだ」
「ミイラが来日するのは滅多にないので」
「ミイラか……! やばい、めちゃくちゃ楽しみになってきた!」
チケットと一緒にもらったリーフレットを見ながら歩が目を輝かせる。その反応に一華はほっと息を吐いた。
日曜日の今日、大きな駅で待ち合わせをしたふたりは博物館へやってきた。一華のリクエストだ。
昼間から会うことだけを決めた歩からは、行き先はどこでもいいと言われた。
迷う一華に、歩は、だったら一華がひとりだったら行きたいと思うところにしようと言ったのだ。
『一華ちゃんのおひとりさま時間を俺も体験してみたい。……て、俺がいる時点でひとりじゃないんだけどね』
そして前々から一華が来たいと思っていた。特別展示の『メキシコ文明展』にやってきたのだ。けれどさすがに、趣味全開すぎただろうかと心配でもあった。
「一華ちゃん、メキシコが好きなの?」
「メキシコっていうか古代文明が好き。ドキュメンタリーとか見るのが好きで、いつか現地に行きたいなと思ってるんだけど、ひとり旅ではちょっと難しいし」
「なるほどね。こういうのは、ひとりの方がゆっくり観られるられるよね。てか、ひとりで来てる人結構いる?」
「と、思う。美術館とかは結構多いよ」
「なるほど」
エスカレーターを二階へ上がると、大きな入口だ。
人は多いけれど、ごった返しているというほどではない。
まだ期間の中盤だからだろう。これが終盤になると駆け込みでもっと人が多くなる。
特別展示のチケットを切って中へ入ると照明が暗くなる。巨大な壁に流れる壮大なメキシコのVTRに迎えられる。古代アステカ文明にタイムスリップしたようで、一華の胸がわくわくと弾んだ。
「タイムスリップしたみたいだね」
隣で歩が呟いた。
「いいね、俺わくわくしてきた」
「私も今、まったく同じこと思った」
「だよね。こういうの、俺ひとりだったら絶対に来なかったから、なんかすごい得した気分」
けれどそこで、少し迷うような表情になった。
「あ、でももしかしてここからは、別々に見るのがいいかな? その方が一華ちゃんはゆっくり楽しめるよね」
本当はひとりで来るつもりだった一華が、気兼ねなく展覧会を楽しめるようにとの配慮だろう。
ありがたいと思いつつ一華は首を横に振る。今日は彼と一緒に過ごしたいからここにいるのだ。それじゃあ意味がない、と素直に思う。
「一緒に見よう。せっかく一緒に来たんだし」
「でも一華ちゃんが落ち着かなくない? 本当に気にしないで、一華ちゃんが気を遣うのは俺も嬉しくな……」
「気を遣わない、歩くんなら大丈夫」
遮る形で言い切ってハッとして口を閉じると、歩が驚いたように目を見開いている。
じわっと頬が熱くなった。
なにをムキになっているんだろう?と思いながら慌てて言い訳をする。
「今日はトモみたいに癒してくれるって話だったから。えーっと私はトモと一緒にいる時は、ひとり時間を楽しむんじゃなくて、一緒の時間を楽しむから……。むしろ一緒がいいっていうか。今日はせっかく歩くんと来てるんだし……その……」
言いながら一華は、彼に伝えたいのだという自分の気持ちに気がついた。
彼がしてくれたことに、自分がどれだけ助けられているか、昨日電話でも伝えたけれど、しっかりと言葉にしていきたい。
けれど、言えば言うほど変な空気になっていく。あまりうまく伝えられているとも思えなくて恥ずかしくなる。
なに言ってるんだろう私、と思いながらうつむくと、歩が咳払いをした。
「えーっと……」
少し掠れた声で答えた。
「うん、了解。じゃあ、俺も一華ちゃんの隣で楽しむね。でもなるべくお口チャックで」
「それも……大丈夫」
この展覧会は、私語禁止ではなくむしろ推奨している。意見交換をしながら、わいわいがやがやとメキシコ文明の世界を楽しんでほしいというコンセプトで、写真撮影も自由だ。
「私は歩くんの話を聞くと癒されるので、話はたくさんしてほしい……」
今度こそちゃんと伝えられたっぽいと思うけれど、返事はない。
不自然な沈黙を不思議に思って顔を上げると、彼は口もとを手で覆っていた。いつもは真っ直ぐにこちらを見ている視線が、明後日の方を向いている。
「歩くん……?」
「……いや、なんていうか、直球は、やばい」
「え?」
「や、なんでもないなんでもない。じゃあ、俺もいつも通りということで。でもあまりにうるさかったら、ステイしてね」
そう言って彼は飼い主が犬に指示する時のように手をピシッとする。大きな身体の男性が、それを自分にしてくれと言うのがなんだかおかしくて、一華はふふっと笑ってしまう。
「そうする……!」
そのままくすくす笑っていると、また彼が「やばい」と呟いた。再び首を傾げるとなにかを誤魔化すようにニコッと笑う。
「や、なんでもない。じゃあ行こうか」
疑問に思いつつ一華は頷く。そして次の展示に踏み出した。
「わーすごい、混んでるね」
国立博物館の入り口で、隣にいる歩が階段を見上げて呟いた。
「人気なんだ」
「ミイラが来日するのは滅多にないので」
「ミイラか……! やばい、めちゃくちゃ楽しみになってきた!」
チケットと一緒にもらったリーフレットを見ながら歩が目を輝かせる。その反応に一華はほっと息を吐いた。
日曜日の今日、大きな駅で待ち合わせをしたふたりは博物館へやってきた。一華のリクエストだ。
昼間から会うことだけを決めた歩からは、行き先はどこでもいいと言われた。
迷う一華に、歩は、だったら一華がひとりだったら行きたいと思うところにしようと言ったのだ。
『一華ちゃんのおひとりさま時間を俺も体験してみたい。……て、俺がいる時点でひとりじゃないんだけどね』
そして前々から一華が来たいと思っていた。特別展示の『メキシコ文明展』にやってきたのだ。けれどさすがに、趣味全開すぎただろうかと心配でもあった。
「一華ちゃん、メキシコが好きなの?」
「メキシコっていうか古代文明が好き。ドキュメンタリーとか見るのが好きで、いつか現地に行きたいなと思ってるんだけど、ひとり旅ではちょっと難しいし」
「なるほどね。こういうのは、ひとりの方がゆっくり観られるられるよね。てか、ひとりで来てる人結構いる?」
「と、思う。美術館とかは結構多いよ」
「なるほど」
エスカレーターを二階へ上がると、大きな入口だ。
人は多いけれど、ごった返しているというほどではない。
まだ期間の中盤だからだろう。これが終盤になると駆け込みでもっと人が多くなる。
特別展示のチケットを切って中へ入ると照明が暗くなる。巨大な壁に流れる壮大なメキシコのVTRに迎えられる。古代アステカ文明にタイムスリップしたようで、一華の胸がわくわくと弾んだ。
「タイムスリップしたみたいだね」
隣で歩が呟いた。
「いいね、俺わくわくしてきた」
「私も今、まったく同じこと思った」
「だよね。こういうの、俺ひとりだったら絶対に来なかったから、なんかすごい得した気分」
けれどそこで、少し迷うような表情になった。
「あ、でももしかしてここからは、別々に見るのがいいかな? その方が一華ちゃんはゆっくり楽しめるよね」
本当はひとりで来るつもりだった一華が、気兼ねなく展覧会を楽しめるようにとの配慮だろう。
ありがたいと思いつつ一華は首を横に振る。今日は彼と一緒に過ごしたいからここにいるのだ。それじゃあ意味がない、と素直に思う。
「一緒に見よう。せっかく一緒に来たんだし」
「でも一華ちゃんが落ち着かなくない? 本当に気にしないで、一華ちゃんが気を遣うのは俺も嬉しくな……」
「気を遣わない、歩くんなら大丈夫」
遮る形で言い切ってハッとして口を閉じると、歩が驚いたように目を見開いている。
じわっと頬が熱くなった。
なにをムキになっているんだろう?と思いながら慌てて言い訳をする。
「今日はトモみたいに癒してくれるって話だったから。えーっと私はトモと一緒にいる時は、ひとり時間を楽しむんじゃなくて、一緒の時間を楽しむから……。むしろ一緒がいいっていうか。今日はせっかく歩くんと来てるんだし……その……」
言いながら一華は、彼に伝えたいのだという自分の気持ちに気がついた。
彼がしてくれたことに、自分がどれだけ助けられているか、昨日電話でも伝えたけれど、しっかりと言葉にしていきたい。
けれど、言えば言うほど変な空気になっていく。あまりうまく伝えられているとも思えなくて恥ずかしくなる。
なに言ってるんだろう私、と思いながらうつむくと、歩が咳払いをした。
「えーっと……」
少し掠れた声で答えた。
「うん、了解。じゃあ、俺も一華ちゃんの隣で楽しむね。でもなるべくお口チャックで」
「それも……大丈夫」
この展覧会は、私語禁止ではなくむしろ推奨している。意見交換をしながら、わいわいがやがやとメキシコ文明の世界を楽しんでほしいというコンセプトで、写真撮影も自由だ。
「私は歩くんの話を聞くと癒されるので、話はたくさんしてほしい……」
今度こそちゃんと伝えられたっぽいと思うけれど、返事はない。
不自然な沈黙を不思議に思って顔を上げると、彼は口もとを手で覆っていた。いつもは真っ直ぐにこちらを見ている視線が、明後日の方を向いている。
「歩くん……?」
「……いや、なんていうか、直球は、やばい」
「え?」
「や、なんでもないなんでもない。じゃあ、俺もいつも通りということで。でもあまりにうるさかったら、ステイしてね」
そう言って彼は飼い主が犬に指示する時のように手をピシッとする。大きな身体の男性が、それを自分にしてくれと言うのがなんだかおかしくて、一華はふふっと笑ってしまう。
「そうする……!」
そのままくすくす笑っていると、また彼が「やばい」と呟いた。再び首を傾げるとなにかを誤魔化すようにニコッと笑う。
「や、なんでもない。じゃあ行こうか」
疑問に思いつつ一華は頷く。そして次の展示に踏み出した。