双子の弟と入れ替わって護衛騎士になった私が、なぜか王太子殿下の初恋を奪ってしまった!
第五章
第36話 視えないもの
エデルガルトへの求婚、そして想いが通じ合ったことに、アルフレートの頬は熱を下げられずにいた。
この幸せな時間ができるだけ長く続いたらいいのに——。
だがそんなアルフレートを現実に引き戻したのは、王女宮の主フロリアン王女だった。
「あなたたちは、あちらでお菓子パーティの続きをどうぞ」
そう口にすると、王女はテーブルを指し示す。
まだ祝い足りなさそうなノーマンたちだったが、テーブルの上のお菓子が目に入った途端、大喜びで戻っていった。
「ねえ、アルフレート。シャルロッテだけじゃなく、ラインフェルデン公爵ご夫妻にも、こちらに来て頂いたらどうかしら」
スツールに座っている小さな王女フロリアンは、アルフレートに微笑みかける。
窺うように小首を傾げれば、繊細な薄紅の長い髪が、ドレスの肩口からサラサラと滑り落ちるのが見えた。
「ラインフェルデン公爵家の秘密を、私もエデルガルトも知ってしまったのですもの。私たち、公爵家の心強い味方になりましてよ」
幼く、邪気のない声に似つかわしくない言葉にアルフレートは一瞬戸惑った。が、すぐに答えを出す。
「とてもありがたいお申し出ですが、今から両親を呼ぶとなると深夜になってしまいます」
窓の外を見れば、すっかり茜色に染まっていた。
王太子宮とはいえ、同じ王城にいるシャルロッテと違い、両親はここから数刻かかる領地にいる。
早馬で知らせたとしても準備があるだろう。こちらに到着するのが深夜になるのは目に見えていた。
「あの……サーシャさまはご領地だと思いますが、ラインフェルデン公爵様は王宮にいらしてるのではないかしら?」
ふいに口を開いたのは、それまでアルフレートとフロリアンの会話を黙って聞いていたエデルガルトだった。
なぜ彼女が父のことを知っているのか?
驚いてエデルガルトを振り向くと、
「朝、父が母に『今日は城で会議がある』と言っていたのです」
「アーデンベルク公爵様が?」
この国——アデスグラント王国では月に一度王城で行われる貴族会議がある。
しかし、会議は……。
「ですが会議は、十日ほど前に終わったはずでは?」
「ロイス伯爵家のことで進展があったらしいですわ」
「ロイス伯爵家……」
その家名にアルフレートは眉を顰めた。
ロイス伯爵家の次男ライマー。
シャルロッテが王太子宮に上がった初日に、彼女が巻き込まれた『魔弾銃貿易密輸事件』はまだ記憶に新しい。
ライマーがシャルロッテに決闘を申し込んだことがきっかけで、ロイス伯爵がこの国では禁止されている武器を他国から購入し、密かに販売していたことが露見した事件だ。
あの日のことを思い出すと、胃から何かがせり上がってくる感覚がする。
「ですが、もう裁判も終わりましたし、事件そのものは落ち着いたのではなかったのですか?」
先程まではあどけない少女の顔をしていたフロリアン王女の表情に、ほんの僅かだが翳りが見えた。
確かにフロリアン王女の言う通りだった。
密貿易に関わる証拠が、うんざりするくらい出てきたお陰で裁判はあっという間に終わり、ロイス伯爵家は家名を剥奪された。
徐々にロイス家の話を聞くことは減り、アルフレートもすっかり忘れていたのだが。
ただし、国外追放となったライマーと、斬首を待つ元伯爵の刑は、いまだ執行されていない。
その理由は——。
「ライマーの兄が見つかった、とか?」
口にして顔を上げたアルフレートは、フロリアン王女と視線がぶつかった。
同じことに思い当たったのだろう。
ロイス家の長男は王宮を護る近衛騎士団に所属していたが、あの事件の後行方不明となっていた。
密輸に関わっていた他国に逃亡したとも考えられていて、捜査の手を尽くしていたはずだ。
「ミヒャエル様は何かご存知ありませんでしたか?」
フロリアンが同じ近衛騎士団に所属している、エデルガルトの兄の名を口にする。
「お恥ずかしいことですが、兄が知ってるとはとても……。それに、父の様子だとまだ限られた人数しか聞かされていないように見えました」
エデルガルトの父は法務大臣だ。
誰より先に伝わっていてもおかしくない。
が、それよりもアルフレートは、自分の体たらくにうんざりしていた。
ロイス元伯爵家に新たな動きがあったことなど、まったく知らなかったからだ。
本当にどうかしている。
今までのアルフレートなら、王宮にまつわる些細な出来事も見逃さなかっただろう。
魔法を使えないからこそ、周囲に嫌っていうほど意識を向けてきたはずなのに。
ここ数週間は自分のことで精一杯だった。
もちろんなんの言い訳にもならないことを、アルフレートは知っていた。
ぎゅ、と爪が食い込むほど両手を握り込む。
「アルフレート、シャルロッテを待ちましょう」
その手に、ふいに温かさを感じ、アルフレートは俯いていた顔を上げた。
冷たくなった手を包み込むようにして、温度を与えてくれていたのは、エデルガルトだった。
指先からじわじわと熱が伝わり、やがてその熱が心まで届く頃、アルフレートは冷静さを取り戻していた。
「わたくしたちに今、できることはありません。シャルロッテが来るのを待って、決めたらよろしいのではないでしょうか。それにきっと、本来ならわたくしが入れ替わりを知るのは今日ではなかったのですよね」
エデルガルトはいつものように美しい双眸で、アルフレートを見つめてきた。
「アルフレートはシャルロッテに、一番に相談したかったのでしょう?」
……そうだ。
双子の姉シャルロッテ。
誰よりも一番近くにいた、アルフレートの半身。
生まれた時からずっと一緒にいて、いつだって手を取り合って生きてきた。
なんでも分かり合えていたはずの彼女に、アルフレートは今日伝えるはずだった。
『これからのことを相談しよう』
と。
シャルロッテは、一緒に王女宮に来ているエマが迎えに行っている。
まるで心を見透かしたように、フロリアンが笑った。
「もう、間もなくじゃないかしら」
その言葉を待ち侘びていたかのように、扉を叩く音。
ほらね、と言いたげにフロリアンは目配せをしてくると、
「どうぞ!」
と扉の向こうにいる待ち人へと声をかけた。
「失礼致します」
いつも通りの作法でお辞儀をし、顔を上げたエマを見てアルフレートは驚いた。
「大丈夫? 顔色が悪いよ」
普段から肌の色素は薄いエマだが、今の彼女の顔色はそれを通り越して青白かった。
まさかシャルロッテに何か?
ヒヤリ、と背筋が冷たくなる。
嫌な予感に心が浸食されそうになったその時、すぐにエマの後ろに人影を感じて安堵した。
が。
「この者は王太子宮の侍女、モニカです。皆さまにお話があるとのことで、連れて参りました」
エマの背後から現れたのは、何度か見かけたことのある王女宮の侍女だった。
小刻みに震えて、琥珀色の大きな瞳からは今にも涙が溢れそうだ。
「あの……わ、私……」
「しっかりしなさい!」
エマの鋭い声にモニカの肩が小さく震える。
が、エマに叱られたことで落ち着いたのか、モニカは深呼吸をひとつすると青ざめた唇で話し始めた。
それは時々要領を得ないものであったが。
聞き終えた頃、部屋は重苦しい沈黙に覆われていた。
「……つまり、城下町に行っていたはずの兄と護衛騎士隊の行方がわからなくなった、ということかしら?」
今日は久しぶりに王太子殿下が、お忍びで城下町に赴く日だった。
殿下は朝市でたくさんの食料や日用品を買い求め、元乳母であるデボラの元に向かった。
「先程までは、王宮と連絡が取れていたそうです。例の一件から、町に出るときは数刻おきに連絡をするよう陛下から申し渡されていたらしく」
今はもう、泣き崩れているモニカの代わりに、エマが答えた。
「デボラさんのおっしゃることには、王宮から早馬が来た、と」
先程ロイス元伯爵家の話を聞いたばかりではないか。
嫌な考えが、アルフレートの体をじわりじわりと蝕んでいく。
「でも、それは嘘だったんですね」
フロリアンの問いに、エマは小さな声で肯定した。
ああ、
もう、それは……
喉を締めておかないと声が漏れそうだった。
頭の中が真っ白だ。
せっかく温かくなった指先が、また冷たくなっていくのがわかる。
以前のアルフレートであれば、ショックで倒れていたかもしれない。
でも今は。
自分がしっかりしなければ。
まだ何もわからないのだから。
まずは情報を集めなくては。
「フロリアンさま、こんなことをお願いするのは厚かましいのですが、」
「申し訳ないけれど、先読みは使えないの」
アルフレートが全て言葉にする前に、フロリアンが悔しそうな声を上げた。
いつもは感情を露わにすることのない、小さな姫君が初めて見せる感情に、アルフレートはピタリと動きを止める。
「私の先読みの力は、『私の大切な人』を視ることができない」
フロリアン王女の大切な人、すなわち兄であるヴィルヘルム王太子殿下であろう。
であるなら、側にいるシャルロッテもこの後どうなるかは視えない、ということになる。
「一番視たい人が視られないなんて、」
フロリアンは小さく息を吸うと、苦しそうに言葉を落とした。
「私のこの力はなんのためにあるのか、って思うの……」
アルフレートは何も言えなかった。
フロリアンの言葉だけが、太陽がすっかり隠れ、闇に包まれそうな部屋に、ポツンと取り残されていた——。
この幸せな時間ができるだけ長く続いたらいいのに——。
だがそんなアルフレートを現実に引き戻したのは、王女宮の主フロリアン王女だった。
「あなたたちは、あちらでお菓子パーティの続きをどうぞ」
そう口にすると、王女はテーブルを指し示す。
まだ祝い足りなさそうなノーマンたちだったが、テーブルの上のお菓子が目に入った途端、大喜びで戻っていった。
「ねえ、アルフレート。シャルロッテだけじゃなく、ラインフェルデン公爵ご夫妻にも、こちらに来て頂いたらどうかしら」
スツールに座っている小さな王女フロリアンは、アルフレートに微笑みかける。
窺うように小首を傾げれば、繊細な薄紅の長い髪が、ドレスの肩口からサラサラと滑り落ちるのが見えた。
「ラインフェルデン公爵家の秘密を、私もエデルガルトも知ってしまったのですもの。私たち、公爵家の心強い味方になりましてよ」
幼く、邪気のない声に似つかわしくない言葉にアルフレートは一瞬戸惑った。が、すぐに答えを出す。
「とてもありがたいお申し出ですが、今から両親を呼ぶとなると深夜になってしまいます」
窓の外を見れば、すっかり茜色に染まっていた。
王太子宮とはいえ、同じ王城にいるシャルロッテと違い、両親はここから数刻かかる領地にいる。
早馬で知らせたとしても準備があるだろう。こちらに到着するのが深夜になるのは目に見えていた。
「あの……サーシャさまはご領地だと思いますが、ラインフェルデン公爵様は王宮にいらしてるのではないかしら?」
ふいに口を開いたのは、それまでアルフレートとフロリアンの会話を黙って聞いていたエデルガルトだった。
なぜ彼女が父のことを知っているのか?
驚いてエデルガルトを振り向くと、
「朝、父が母に『今日は城で会議がある』と言っていたのです」
「アーデンベルク公爵様が?」
この国——アデスグラント王国では月に一度王城で行われる貴族会議がある。
しかし、会議は……。
「ですが会議は、十日ほど前に終わったはずでは?」
「ロイス伯爵家のことで進展があったらしいですわ」
「ロイス伯爵家……」
その家名にアルフレートは眉を顰めた。
ロイス伯爵家の次男ライマー。
シャルロッテが王太子宮に上がった初日に、彼女が巻き込まれた『魔弾銃貿易密輸事件』はまだ記憶に新しい。
ライマーがシャルロッテに決闘を申し込んだことがきっかけで、ロイス伯爵がこの国では禁止されている武器を他国から購入し、密かに販売していたことが露見した事件だ。
あの日のことを思い出すと、胃から何かがせり上がってくる感覚がする。
「ですが、もう裁判も終わりましたし、事件そのものは落ち着いたのではなかったのですか?」
先程まではあどけない少女の顔をしていたフロリアン王女の表情に、ほんの僅かだが翳りが見えた。
確かにフロリアン王女の言う通りだった。
密貿易に関わる証拠が、うんざりするくらい出てきたお陰で裁判はあっという間に終わり、ロイス伯爵家は家名を剥奪された。
徐々にロイス家の話を聞くことは減り、アルフレートもすっかり忘れていたのだが。
ただし、国外追放となったライマーと、斬首を待つ元伯爵の刑は、いまだ執行されていない。
その理由は——。
「ライマーの兄が見つかった、とか?」
口にして顔を上げたアルフレートは、フロリアン王女と視線がぶつかった。
同じことに思い当たったのだろう。
ロイス家の長男は王宮を護る近衛騎士団に所属していたが、あの事件の後行方不明となっていた。
密輸に関わっていた他国に逃亡したとも考えられていて、捜査の手を尽くしていたはずだ。
「ミヒャエル様は何かご存知ありませんでしたか?」
フロリアンが同じ近衛騎士団に所属している、エデルガルトの兄の名を口にする。
「お恥ずかしいことですが、兄が知ってるとはとても……。それに、父の様子だとまだ限られた人数しか聞かされていないように見えました」
エデルガルトの父は法務大臣だ。
誰より先に伝わっていてもおかしくない。
が、それよりもアルフレートは、自分の体たらくにうんざりしていた。
ロイス元伯爵家に新たな動きがあったことなど、まったく知らなかったからだ。
本当にどうかしている。
今までのアルフレートなら、王宮にまつわる些細な出来事も見逃さなかっただろう。
魔法を使えないからこそ、周囲に嫌っていうほど意識を向けてきたはずなのに。
ここ数週間は自分のことで精一杯だった。
もちろんなんの言い訳にもならないことを、アルフレートは知っていた。
ぎゅ、と爪が食い込むほど両手を握り込む。
「アルフレート、シャルロッテを待ちましょう」
その手に、ふいに温かさを感じ、アルフレートは俯いていた顔を上げた。
冷たくなった手を包み込むようにして、温度を与えてくれていたのは、エデルガルトだった。
指先からじわじわと熱が伝わり、やがてその熱が心まで届く頃、アルフレートは冷静さを取り戻していた。
「わたくしたちに今、できることはありません。シャルロッテが来るのを待って、決めたらよろしいのではないでしょうか。それにきっと、本来ならわたくしが入れ替わりを知るのは今日ではなかったのですよね」
エデルガルトはいつものように美しい双眸で、アルフレートを見つめてきた。
「アルフレートはシャルロッテに、一番に相談したかったのでしょう?」
……そうだ。
双子の姉シャルロッテ。
誰よりも一番近くにいた、アルフレートの半身。
生まれた時からずっと一緒にいて、いつだって手を取り合って生きてきた。
なんでも分かり合えていたはずの彼女に、アルフレートは今日伝えるはずだった。
『これからのことを相談しよう』
と。
シャルロッテは、一緒に王女宮に来ているエマが迎えに行っている。
まるで心を見透かしたように、フロリアンが笑った。
「もう、間もなくじゃないかしら」
その言葉を待ち侘びていたかのように、扉を叩く音。
ほらね、と言いたげにフロリアンは目配せをしてくると、
「どうぞ!」
と扉の向こうにいる待ち人へと声をかけた。
「失礼致します」
いつも通りの作法でお辞儀をし、顔を上げたエマを見てアルフレートは驚いた。
「大丈夫? 顔色が悪いよ」
普段から肌の色素は薄いエマだが、今の彼女の顔色はそれを通り越して青白かった。
まさかシャルロッテに何か?
ヒヤリ、と背筋が冷たくなる。
嫌な予感に心が浸食されそうになったその時、すぐにエマの後ろに人影を感じて安堵した。
が。
「この者は王太子宮の侍女、モニカです。皆さまにお話があるとのことで、連れて参りました」
エマの背後から現れたのは、何度か見かけたことのある王女宮の侍女だった。
小刻みに震えて、琥珀色の大きな瞳からは今にも涙が溢れそうだ。
「あの……わ、私……」
「しっかりしなさい!」
エマの鋭い声にモニカの肩が小さく震える。
が、エマに叱られたことで落ち着いたのか、モニカは深呼吸をひとつすると青ざめた唇で話し始めた。
それは時々要領を得ないものであったが。
聞き終えた頃、部屋は重苦しい沈黙に覆われていた。
「……つまり、城下町に行っていたはずの兄と護衛騎士隊の行方がわからなくなった、ということかしら?」
今日は久しぶりに王太子殿下が、お忍びで城下町に赴く日だった。
殿下は朝市でたくさんの食料や日用品を買い求め、元乳母であるデボラの元に向かった。
「先程までは、王宮と連絡が取れていたそうです。例の一件から、町に出るときは数刻おきに連絡をするよう陛下から申し渡されていたらしく」
今はもう、泣き崩れているモニカの代わりに、エマが答えた。
「デボラさんのおっしゃることには、王宮から早馬が来た、と」
先程ロイス元伯爵家の話を聞いたばかりではないか。
嫌な考えが、アルフレートの体をじわりじわりと蝕んでいく。
「でも、それは嘘だったんですね」
フロリアンの問いに、エマは小さな声で肯定した。
ああ、
もう、それは……
喉を締めておかないと声が漏れそうだった。
頭の中が真っ白だ。
せっかく温かくなった指先が、また冷たくなっていくのがわかる。
以前のアルフレートであれば、ショックで倒れていたかもしれない。
でも今は。
自分がしっかりしなければ。
まだ何もわからないのだから。
まずは情報を集めなくては。
「フロリアンさま、こんなことをお願いするのは厚かましいのですが、」
「申し訳ないけれど、先読みは使えないの」
アルフレートが全て言葉にする前に、フロリアンが悔しそうな声を上げた。
いつもは感情を露わにすることのない、小さな姫君が初めて見せる感情に、アルフレートはピタリと動きを止める。
「私の先読みの力は、『私の大切な人』を視ることができない」
フロリアン王女の大切な人、すなわち兄であるヴィルヘルム王太子殿下であろう。
であるなら、側にいるシャルロッテもこの後どうなるかは視えない、ということになる。
「一番視たい人が視られないなんて、」
フロリアンは小さく息を吸うと、苦しそうに言葉を落とした。
「私のこの力はなんのためにあるのか、って思うの……」
アルフレートは何も言えなかった。
フロリアンの言葉だけが、太陽がすっかり隠れ、闇に包まれそうな部屋に、ポツンと取り残されていた——。