身代わり王女は隣国の皇弟に囚われる

13

「あ、頭痛い……」

 最悪の寝覚めだった。体の節々と頭が今までにないほどの痛みを訴えるせいで、起き上がることすらままならない。全く身に覚えがないけれど、病気か怪我の類だろうか。起こしにきたケイトとサラにメソメソと体調を告げると、「二日酔いですわ……」と気の毒そうにされた。

 生まれて初めて参加したパーティーで、生まれて初めてお酒を飲んだ。貴族たちに挨拶をしたり、侯爵に言い返したり、ダンスをしたりで疲れていたネリア。給仕のもつトレーから選んだ美味しそうなぶどうジュースに、アルコールが入っていることなど気づくはずもなかった。なんだか変わった味だ、とは思ったけれど、喉の渇きには換えられない。気づけばグラスは空になっていて、ふわふわと浮つくような心地のままパーティーは終了。呆れたようなシルビオを庭園に連れていくよう強請ったことまでは覚えているけれど、その後の記憶は曖昧だ。
 
「わ、私がどうやって部屋まで帰ってきたかわかる?」
「殿下が連れ帰ってくださったようですわ」
「先ほど部屋の外でお会いしたときに、二日酔いで苦しんでるだろうから白湯を飲ませるようにと仰せつかっております」

 そう言って湯気の立ち上るコップを手渡すサラ。ありがたく受け取って口につけると、まだ熱いせいか舌をほんの少し火傷した。息を吹きかけながら飲み下していくと、五臓六腑に染み渡るような感覚がする。痛みがほんの少し薄れゆくのと比例して、今度は後悔がネリアの頭に痛みをもたらす。

 ――やらかしすぎたわ……。

 侯爵への無礼な物言いに加え、飲酒して記憶をなくした挙句に部屋まで連れ帰ってもらうだなんて。どう考えても、一国の王女であり、皇弟の婚約者として相応しい振る舞いではない。まだ誰かに何かを言われたわけではないけれど、昨日の一件でネリアの評価が大なり小なり下がったことは間違いない。皇宮での、「本当はエリシア王女ではないのではないか」という疑念は強まることだろう。言い返した直後は、間違ったことはしていないはずだと妙なテンションで思い込んだけれど、どう考えても間違っているのはネリア。しかもそのあと、酔っ払って記憶を飛ばしているのだから救えない。

「本日の妃教育は、休んではいかがでしょう?」

 そう提案してくれる侍女たちは、頭を抱えるネリアを心から心配してくれているらしい。その優しさに涙が出そうになったけれど、首を横に振った。ここで休めば、ネリアの評判は地の底に落ちる。仮にもキシュ王国王家の一員として、これ以上醜態を晒すわけにはいかないのだ。

 気合を入れて起き上がる。心配そうに見守る二人に身支度を手伝ってもらい、妃教育のため部屋を後にした。

 *

「侯爵様に口答えなさるとはどういうおつもりですか」
「申し訳ありません……」
「殿方に大勢の前で言い返すだなんて、淑女としてあるまじき行いですわ」
「仰るとおりです……」

 縮こまるエリシアの前に仁王立つ礼儀作法の先生。伯爵夫人である彼女は、公正かつ公明で厳しい。「本当はエリシア王女ではないのではないか」と皇宮中からうっすら疑われているネリアにも、色眼鏡をかけることなく指導してくれる。だからこそ、昨日のネリアの振る舞いは、彼女にとって看過できるものではなかった。これで二日酔いを理由に休みでもしていたら、今の三倍は叱られていたことだろう。

 返す言葉もなく項垂れるネリア。後ろでサラとケイトが、おろおろと成り行きを見守っている。二人にいらない心配をかけてしまった、ということが余計にネリアを落ち込ませた。けれど、悪いのが自分だと言うことはわかっている。自らの行いに後悔していないとはいえ、褒められたことではない。甘んじて受け入れなければ、と唇を固く引き結んだときだった。

「まあまあ、そこまでになさっては?」
「セレステ様!」

 部屋に入ってきたのは、侍女を連れたセレステだった。いつものように穏やかな笑みをゆるりと浮かべている。セレステに嗜められて毒気が抜かれるのは、皇帝兄弟に限ったことではないらしい。「そこまで怒らなくてもいいのではなくて?」と進言され、「ですが……」と返しているけれど、明らかに先ほどよりも険が取れている。

「私は、エリシア様の昨日の行動は間違っていたと思わないわ」
「!」
「婚約者が悪く言われて、黙っていられる人なんていないもの。本当なら私や陛下が嗜めなければならなかったところを、エリシア様が代わってくださったようなもの」
「セレステ様……」
「むしろ感謝しなければならないわ」

 胸の奥から何か込み上げてくるのを感じながら、セレステを見つめる。優しさが服を着て歩いているような彼女がいるから、シルビオは皇宮でもやってこられたのだろうか。ふと、そんなことが頭をよぎった。

「ごめんなさい、エリシア様。不甲斐ない私たちの代わりをさせてしまって」
「い、いえ! そんな……!」
「あなたがシルビオ様の婚約者で、本当に良かった。ありがとう」

 そう言うと、「お邪魔してごめんなさいね」と先生に軽く謝り、侍女を連れて部屋を出ていく。どうやら、今の一連のやり取りのためだけに足を運んでくれたらしい。ぽかん、と呆気に取られてその背中を見送る。あとに残ったのは、気まずいほどの沈黙。破ったのは、先生の咳払いだった。

「……お説教はこのぐらいにして、今日の授業に入りましょうか」
「は、はい。よろしくお願いします」

 *

 どうにか気力を振り絞り、一日を乗り切ったネリア。湯浴みを終え、侍女を下がらせて少しすると、扉からノックの音が聞こえる。いつもよりどきどきするのは、どういう顔をしたらいいかわからないからだろう。

「体調は?」
「へっ?」

 入ってきて早々、シルビオはぶっきらぼうにそう尋ねる。「元気、ですけれど」と答えると、「そう」とだけ返ってきた。どうして聞かれたのかもわからないまま紅茶を淹れようとすると、「これ」と紙袋を差し出される。

「なんです?」
「ハーブティー」
「くださるの?」
「じゃないと持ってこねえよ」

 そっぽを向くシルビオ。言葉があまりに少ないけれど、どうやら今日はこれを淹れろということらしい。「ありがとうございます」とお礼を告げて紙袋を開けると、カモミールのいい香りが鼻腔をくすぐった。なぜかネリアの隣を陣取るシルビオに見守られながら、ポットとカップにお湯を注ぐ。決して上手とは言えない紅茶の淹れ方を、じっと見つめられるのはなんだか気まずい。「座って待っていただいて構いませんよ?」と、遠回しにどっか行けと言ってみるけれど、無言のまま動かない。

 ――気まずいわ……。

 お湯を捨てたポットに、茶葉を入れる手が震える。お茶を注ぎ蒸らすのを待つ間、今日の礼儀作法の授業よろしく、気まずい沈黙が訪れる。いつもは話題に困らないのに、今日に限って言葉がうまく出てこない。話さなければならないことは、もちろんたくさんある。昨日のパーティーでの諸々の粗相を謝らないといけないし、部屋に連れ帰ってくれたことに対してお礼も言わなければならない。けれど、紅茶の蒸らし待ちの時間でそんな重要な話をするのも憚られた。

「……昨日」
「! は、はい」

 口火を切ったのはシルビオだった。つんのめりながら返事をすると、「昨日のこと、どこまで覚えてんの?」と続ける。隣を見上げると、無表情のシルビオ。初対面のときの、馬鹿にするような、見下すような表情があまりに鮮明に焼き付いていたけれど、そこまで表情豊かでもないらしいことに気付いたのはいつだったか。羨むほどに眩い金髪と、吸い込まれそうなほどに深い碧眼に見惚れてしまう。

「おい」
「へっ!? はい!」
「昨日のこと。どこまで覚えてんのかって」

 反応がないネリアに焦れたのだろう。同じ質問を繰り返すシルビオ。どこまで覚えているか、というのは酔っ払って迷惑をかけたことを指しているのだろう。あとでしっかり謝ろうと思っていたのだが、シルビオの方から話題に出されるとは。「て、庭園を散策したところまでは」と正直に申告すると、「ふうん……」と眉間に皺を寄せる。その顔を見て、サーっと頭から血の気が引いた。

「て、庭園で、私は何をやらかしてしまったの?」
「はあ? なんで」
「だって、すっごく顔を顰めているから」

 声音から不安が伝わったのか、「別に、変なことは言ってねえよ。なんかずっとふわふわしてたけど」と付け加えた。「ふわふわ?」と首を傾げると、「料理と酒が美味しいってご機嫌だった」と返され、恥ずかしさに顔が火照る。料理もお酒もおいしいと思っていたのは本心だけれど、まさか口にしているとは。あわあわと「そ、それ以外は?」と尋ねると、「……別に何も」と目を逸らされた。

「ど、どうして目を逸らしたの?」
「なんでもねえよ」
「でもっ」
「それ以上蒸らすと渋くなるぞ」
「えっ!?」

 指差した方向に、勢いよく振り向く。完全に存在を忘れていたポットの蓋を開け、ティースプーンで一混ぜする。匂いと色みから見て、蒸らしすぎは防げたようだ。ふう、と息を吐いている間に、シルビオがティートローリーを転がす。「あっ」と引き留める間もなく、ソファ近くまで運ばれた。

「ありがとうございます」
「別に」

 相変わらずぶっきらぼうなシルビオがソファに腰掛けるのを見ながら、自身も腰掛ける。ポットを手に取りそっと注ぐと、透き通った黄金色がカップを満たした。あわや大惨事になりかけたけれど、なんとかなったようだ。カップを傾けると、口の中が爽やかさで満たされる。体中に暖かさが広まるのを感じた。

「殿下、あの」
「何?」

 落ち着いた今こそ、言うべきタイミングだろう。ティーカップをテーブルに置き、シルビオの方に向き直る。ネリアの改まった様子に思うところがあったのか、シルビオも同様にした。バクバクと心拍数が上がっていく。シルビオの様子を見るに、昨日のあれこれに対してそこまで怒っているわけではなさそうだ。けれど、それで謝らなくていいことにはならないし、迷惑をかけてしまったのは事実。膝の上で両手を握り、口を開いた。

「き、昨日は申し訳ありませんでした」
「何が?」
「侯爵様にはしたなくも口答えしてしまったことと、酔っ払ってご迷惑をおかけしたことです」

 ごめんなさい、と深く頭を下げる。本心はどうあれ、今のネリアは仮にも皇弟の婚約者。黙っていられなかったとはいえ、それはネリアの私的な感情。シルビオからすれば余計なお世話だったかもしれないのだ。ダンスのときもそのあとも。パーティーの最中は何も言われなかったけれど、人前だったからかもしれない。二人きりになった今、叱られる覚悟はできている。

「……やっぱり、覚えてねえんだ」
「え?」

 どういう意味だろう、と顔をあげる。何を覚えていないのか、と思っていると、視界に映るのは照れたように顔を赤くしたシルビオの顔。予想だにしていない反応に、ドギマギしてしまった。

「庇ってくれて、ありがとう」
「へっ」
「って言ったんだよ、庭園で。覚えてない?」
「えっ!? 殿下が!?」
「は? 文句あんのか」

 ムッと凄むような目を向けるシルビオに、ぶんぶんと首を振る。文句なんてあるはずもない。ただ、予想外だっただけだ。どうして酔っ払って記憶を飛ばすなんて真似をしてしまったのだろう。殿下がお礼を言うなんて、と口をあんぐり開けていると表情で思っていることが伝わったらしい。片手で両頬を挟まれてしまった。

「お前、ちょっと可愛いからって調子乗んなよ」
「? あ、りがとうございます」
「……ふはっ」

 舌足らずな返事がおかしかったのだろうか。両頬を挟んだまま、シルビオが笑う。喋りにくいので話してもらいたいけれど、やらかしたネリアに抵抗なんてできるはずもない。気が済むまで、じっと耐えるのみだ。

「パーティー、楽しかったか?」

 ネリアの頬から手を離すと、唐突にそう尋ねるシルビオ。ぱち、と目を瞬かせるけれど、シルビオの質問はそれだけらしい。碧眼は、答えを待つかのようにネリアの瞳を見つめる。昨日のことを思い出すネリア。侯爵に言い返し、酔っ払って迷惑をかけてしまった手前、正直なことを告げるのは憚られるけれど。

「……た、楽しかった、ですわ」

 それでも、嘘をつくことはできない。煌びやかな空間に、見たことのない料理、初めてのダンス。王国ですら経験のないパーティーは、一生忘れられないと思えるほどに楽しかった。ドキドキしていると、シルビオは目を丸くする。ふっと笑って、「そりゃよかった」とだけ呟くと、またカップを手に取った。もうこの話は終わり、とばかりに優雅にカップを傾けるシルビオ。紅茶を飲むだけで様になるその様子は、まるで一枚の絵画のようだ。ありきたりなことを思いながら呆然と見つめ、ハッと我に返った。

「それだけですの!?」
「何が」
「き、昨日のこと、もっと怒られることを覚悟していたのに……!」
「なんでだよ」

 ありがとうつったろうが、と怪訝そうに返すシルビオ。そうだけれど、そういうことではない。自らの行いに反省点があることを自覚しているのに、その罰が曖昧なままでいいはずがない。セレステが仲裁に入ってくれたおかげで先生からのお叱りもなあなあで終わってしまったけれど、迷惑をかけてしまった以上償うべきだろう。

「怒ってねえのに怒れって言われても無理だよ」
「で、でも……」

 その後に続く言葉は思いつかない。シルビオが怒っていないのなら、それに越したことはない。わかっているけれど、ネリアの王女としての良心と尊厳がそれに甘んじることを許さない。

 しょぼ、と俯くネリアを他所に、眉間に皺を寄せたシルビオはハーブティーを啜る。いつもより飲むペースが速い気がするけれど、余程うまく淹れられたのか、飲まないとやってられないのかどちらなのだろう。三度、気まずい沈黙が流れた頃。ふいっとそっぽを向いたシルビオは重たそうに口を開いた。

「……じゃあ、抱きしめさせて」
「えっ?」

 目を見開く。聞き間違いかと疑ったけれど、どうやらそうではないらしい。いきなりどうしてそんなことを言い出したのか、目の合わないシルビオからは伺えない。揶揄われていることを疑ったけれど、声音からするにそうでもなさそうだ。抱きしめさせて、だなんて。まるで好意を寄せている相手に懇願するようなことをどうして言い出したのか。目を白黒とさせるネリアに、「嫌なら別にいいけど」と早口に呟く。

「い、嫌ってわけじゃないわ。けど、その……そんなのでいいの?」
「そんなのって?」
「抱きしめるなんてそんな、別にいつでも……」
「いつでも抱きしめていいんだ?」
「い、いつでもはだめ!」
「なんなんだよ」

 思わず否定すると、シルビオはこちらを向いて呆れたように笑う。その笑い方がなんだかいつもより柔らかくて、どきりと心臓が跳ねた。「人前でないのなら構いませんわ」と条件を告げると、「じゃあ今は?」と返ってくる。

「へ」
「人前じゃないから、今はいい?」

 ネリアの瞳を真っ直ぐに見つめるシルビオ。瞳の奥に何かがちらついているような気がするけれど、ネリアにはよくわからない。今まで散々二人きりで話していたけれど、こんな空気になったことはない。気づけば、膝の上に置いた手にシルビオのそれが重ねられている。ダンスのときもエスコートのときだって、手が触れたことはある。けれど、どのときにも感じたことのない熱を持っていた。

 人前でないのなら、と条件を出したのは自分。今この瞬間、部屋にいるのはネリアとシルビオの二人だけ。断ってもいい理由は見当たらなかった。そもそも迷惑をかけてしまったのはネリアなので、受け入れる以外に選択肢はないのだけれど。こくりと頷くと、そっとシルビオに抱き寄せられる。ダンスのときより密着している体勢に、心臓の音が聞こえてしまうのではないかと心配になってしまった。

 ――償いに、なってるのかしら。

 ぐっとたくましい腕が背中に周る。いつの間にか緊張で強張っていた体から、ゆるゆると力が抜けていくようだ。湯浴みをしたばかりだからか、それともハーブティーを飲んだおかげか。シルビオのとも、ネリアのともつかない体温でのぼせてしまいそうだ。恐る恐る背中に腕を回すと、ネリアの背中に回った腕に力が籠る。熱いとすら感じるその体温から、それでも離れようとは思わなかった。
< 13 / 24 >

この作品をシェア

pagetop