百十一は思う。ある意味、難攻不落だと。
―――遡ること2週間前。
目の前で浮気現場を見せつけられた時、真っ先に私の頭に浮かんだことは、ただ一つ。
慰謝料についてだった。
「正二、お答え下さい。私はあなたの婚約者ですか、婚約者ではありませんか。」
「なっっ!! なんで?! なんで和果がここに?! 今日は仕事だって言ってたじゃないか!」
「ちゃんと私の質問に答えて下さい。」
私と正二が暮らす2Kのアパート。
家賃の9割は私が負担し、生活費も9.5割は出している。
正二とは大学の頃の同級生で、5年前の同窓会で再会した。
その頃正二はスーパーの契約社員で、私は今のマーケティング会社で働く正社員。
社会的地位の違いはあれど、正二の穏やかな雰囲気に惹かれて付き合うことになり。そして生活が苦しいという彼のため、同棲を始めた。
付き合って5年、同棲して4年。正二が正社員に昇進するということで、プロポーズされたのだ。
婚約指輪はもらっていない。でも来月、お互いの両親に挨拶することになっていた。
「ちょっと〜〜正ちゃん! 今日は彼女夜まで帰ってこないって言ってたじゃない〜」
「お前はちょっと黙っててくれ! な、なあ和果。穏便に話そう。これはちょっとした手違いでっ」
「えーー手違いぃ? 私たちアプリで知り合ったじゃんかあ!」
「いいから黙ってろって! こ、これは、違うんだよ和果、どうか、どうか俺を信じて」
バンッっと鞄を床に叩きつけ、2人を黙らせる。
そしてストッキングが破れないよう気を計らいながら正座をする。スカートの前を払う。まぶたをゆっくりと上げ、正二を見た。
「もう一度聞きます。私たち、婚約してるってことで合ってますよね。」
「ッ……、あ、ああ。」
「同棲してきたこの4年間、家賃11万円の9割は私が負担し、生活費も9.5割は私が負担しています。」
「え?! 正ちゃんそんなに彼女に出してもらってたの?!」
「ええ。家計簿をつけてましたから確かな数字です。」
鞄から電卓を取り出し、右の4本指を使って数字を叩き込んでいく。
ターン! と最後に税率のキーを叩いた。
「婚約している場合、私があなたに慰謝料を請求できる額は、およそ、これだけです。」
電卓を印籠のように見せつければ、正二とその浮気相手がゆっくりと電卓の画面に近づいてくる。
そして正二の顔が次第に青ざめていった。
「正式に弁護士を立てようと思います。うちの会社に専属の弁護士がいるので、」
「あっはっはははは!! 正ちゃん、嫉妬されるどころか慰謝料請求されてるんですけどー!」
お腹を抱えて笑う浮気相手には目もくれず、ゆっくりと立ち上がる。
「後日、代行引取業者と弁護士より連絡がいくと思いますので。どうぞお幸せに。」
私が見つけたこの物件。駅からは少し歩くけど、日当たりも良好でお気に入りの家だった。
でも浮気相手が入り込んでいるこの家にもう立ち入ることはできない。生理的にも衛生的にも気持ちが悪いから。
部屋を出ようとすれば、正二の声が背中をかすった。
「そんなんだから駄目なんだよ。」
なにが、駄目なの?
私の性格が気に喰わないのであれば、はっきりそう言ってくれればよかったはず。
今までは愛されていると信じて疑わなかったのに。たった一瞬のことで、私は正二に金銭を搾取されていたのだという頭に切り替わる。
「悪いけど正ちゃん! 私は助けないからねえ!!」
「ちょっと、お前さあ。こういう時くらい黙っててくれよ……。」
浮気相手には“お前”って言うんだ。
私にはあんなに親しみやすい接し方はしてくれなかった。